たまゆらなる僕らの想いを



ヒロのお姉さんに言われた、言葉も。


「少し……遠まわりしようかな」


早くみなか屋に帰って、温かいお夕飯を食べたいけれど、ナギのことを考えると気持ちが落ち着かなくて。

私は真っ直ぐに帰るのをやめ、覚えのあるいつもと違う道を走る。

ゆっくりとペダルを漕ぎ、白い息を吐き出して。

気分を変えるきっかけになればと瞬く星々を見上げても、会ってはダメだという言葉がぐるぐると頭の中を回る。

なぜ、あんなことを言ったのだろう。

お姉さん、深刻な顔してた。

それに、ナギの様子もなんだか変だった。

二人とも、どうしたんだろう……。


「ナギ……大丈夫かな」


心配を口にした刹那。


「だいじょばないけど、大丈夫だよ」

「わっ!?」


後方からいきなり聞こえた声に、私は慌ててブレーキをかけた。

振り返ると、私が通った道のガードレールにナギが寄りかかるように座ってこちらに手を振っている。




ナギがいたの、全然気づかなかった!

思考に囚われすぎたのか、なんにせよ考え事しながら自転車を運転するのは危ないなと気を引き締めつつバックする。


「お前、驚きすぎだろ」

「いるのわからなくて」


小さく笑うナギに苦笑すると、彼はコートのポケットに手を入れた。


「ぼけっと走ってたら壁と正面衝突するぞ。凛は鈍臭いとこあるしな」

「そ、そこまで鈍臭くないよ」


からかうように言われて、否定しながら自転車から下りる。


「それ、ヒロの自転車?」

「あ、そうなの。移動するのに不便だからって貸してくれて」

「ふーん……ヒロにも会ってんのか」


どこか不機嫌そうな表情で自転車を見るナギ。

もしかしたら、喧嘩しているせいだろうか。


「会ってるて言っても、お互いの用事のついでとかだけど。ナギは? ヒロと……会ってる?」


喧嘩して、会ってないのはわかってる。

ただ、いつも助けてくれる二人に何か手助けできないかと、とりあえずきっかけを探したかったのだけど。


「ヒロとは……」


そう零したきり黙ってしまったので、やっぱりこの話題はまだまずかったかなと慌てて話を変えた。




「そ、それにしても、ここで会うのは初めてだね」


いつもは御霊還りの社で会ってたし、偶然会うのは比良坂神社だった。

こんな道の途中で会ったのは初めてだから、この辺りにナギの家があるのかと予想していると。


「ここ……?」


ナギは辺りを見渡して。


「ここは……」


眉間にシワを寄せ、難しい顔で車道を見つめる。

どうしたのかと彼の視線を辿って、そこで初めて私は気づいた。

ここは、八雲君が教えてくれた事故のあった場所だ。


「そういえばここで事故があったって聞い──」

「っ……いってぇ……」


話していたら、突然、ナギが右手で頭を抑えて痛みを訴え始めた。


「だ、大丈夫!?」


やっぱり体調が悪かったんだと、急いで自転車を置き、ナギの背中をさすろうと手を伸ばせば、ナギがゆっくりと顔を上げる。


「ああ……そうか、もしかして俺は……」


その双眸は見開かれ、やがて顔をしかめると、姿勢を崩し、しゃがみ込んだ。




「ナ、ナギ?」


彼の隣で膝をつくと、ナギはその顔を膝の上に組んだ腕の中に隠してしまう。


「……変だと、思ってたんだ」

「変って何が?」

「気付いたら、いつもお前がいるから」

「……私?」


なぜ、私が出てくるのか。

全く話がわからず混乱していると、ナギはそっと顔を上げて私をジッと見つめて。


「なあ、お前は本物?」


本当に、わけのわからない質問をされた。


「ナギ、何の話をしてるの?」

「ごめん……凛。俺、帰るよ」

「え、ちょっと、ナギ待って。心配だから送っていくよ」


泣き出しそうな顔をして歩き出したナギを追おうとしたけれど、ヒロの自転車のことを思い出し、慌てて戻ってキックスタンドを蹴った。

そして、ナギに待ってとまた声をかけようとしたけれど。


「……嘘……」


彼は、もうどこにもいなかった。













一睡も、できなかった。

あまり会ってはいけないと言われた意味も、お前は本物かと問われた理由も。

考えても、考えてもわからないままで。

月がやけに明るく感じる冷えた夜。

物音もなく、全てのものが寝静まり、私だけが取り残されているような不安も相まって、何度寝返りをうっても眠気は訪れず。

やがて、朝日が昇り、今年最後の一日が始まった。

天気がいいのは救いだった。

これで雨なんて降っていたら、私のテンションは落ちる一方だっただろう。

雨の音や、全てが洗い流される匂いは好きだけど、気持ちが落ち込んでいる時は青空が広がっていてくれた方が気持ちも浮上する。

とりあえず、簡単なものだけどと女将さんが用意してくれた朝食をご馳走になった私は、食べ切れなかった分をビニール袋に包んでコートを羽織ると子猫のいる草むらへと向かった。

先日、こっそりと八雲君に尋ねたところ、子猫にはできる限りご飯を与えたいけれど、持っていけないこともあるようでお腹すかせていないかを気にしていた。

なので、私もこうして協力しているのだ。




「おはよう、猫さん。それ、暖かそうだね」


きっと、八雲君が用意してくれたのだろう。

ニットのセーターのようなものに包まれた子猫は、答えるようにニャーと可愛らしい声で鳴いた。

でも、よく見ると子供のサイズにしては大きくて、誰のものかと心配になっていると、背後の茂みがガサリと音を立てる。

もしかして八雲君が来たのかと思い振り向くと。


「……えっ?」

「……君は」


みなか屋の旦那さんが少し大きめのダンボールを抱えながら、目を見開き私を見て見下ろした。

旦那さんがなぜここにと思ってから、その手のダンボールの用途を想像し、焦る。


「え、この子をどこかへ?」


誰か飼い主が見つかって運ぶのかもしれない。

それなら子猫は飢えず、温かい家で過ごせるから嬉しいことだけど、八雲君は悲しみそうだと考えていたら。


「いや……来週、雪の予報が出てるから、しのげるものをと、思って」


それでダンボールを……。




確かに、それがあれば少しは寒さをしのげるかもしれない。

納得したところで、もうひとつの可能性に気づく。


「もしかして、このセーターも旦那さんのですか?」

「ああ、風邪をひいては可哀想だから古くなったものを置いたんだ。使ってくれて何よりだ」


やっぱりそうだった。

八雲君が勝手に持ってきてたら大変だと思ったけれど、良かった。

ホッと息を吐くと、旦那さんはダンボールを子猫の横にそっと置く。


「八雲も可愛がっているようだが、今後どうしてやるのがいいか悩むな」

「知ってらしたんですね」

「……実のところ、妻も知っているんだ」

「そ、そうなんですか?」


まさか、すでに女将さんにバレていたとは。

驚きつつも、子猫に用意してきたご飯の入った袋を広げて置いてあげると、子猫はセーターの中から出てきてご飯の匂いを嗅ぎ確かめる。

そんな子猫の姿を微笑ましそうに眼差しを和らげて、旦那さんは言った。


「親だから、子供ことはなんとなくわかるものだよ」と。

「よく見てるんですね」


八雲君だけじゃない。

きっと、たつ君のことだってそうなんだろう。




「まあ……八雲は小学生だしまだ隠し事も下手だ。それと、私も子供だったから想像がつく」


そう言われると、確かに小さな頃は上手に隠したつもりでも、いつのまにか親にバレていたことがあった。

子猫に関しても、私が気づいたくらいだし、ご両親からしたら気づくのは当然なのかもしれない。

ただ、子が成長すると今度は子が親の隠し事に気づくようにもなる。

三年前、母の雰囲気がどことなく変わり、父以外の男性の影に気づいたように。


「凛さん、八雲のことも、子猫のことも、うちの手伝いもありがとう」


一瞬、暗い思考の海を漂いかけた私に感謝の声が降ってきて。

私は急いで立ち上がると、旦那さんに頭を下げた。


「い、いえっ、お世話になってますし、お役に立てるのは嬉しいですし……こちらこそ、色々とありがとうございます」


言い切ってから頭を上げると、旦那さんは落ち着いた柔らかい表情でゆるゆると頭を振る。


「子猫のことは、心配しないでいいよ。八雲のフォローは私がやるから。実は、いい魚もあげてるんだ」


これは妻には内緒だよなんて、目を細めた旦那さんは、それじゃと告げて踵を返した。

ガサガサと草をかき分け、みなか屋へと戻っていく姿を見送りながら、ご夫婦揃って素敵だなとほっこりした気分になる。




子猫のことは、この先どうなるのか心配だった。

けれど、大人がついているなら大丈夫そうだ。

ひとつ、胸の片隅にあった不安が解消されて、心が少し軽くなる。

私も、こうして誰かの支えがあって生きてきたんだよね。

父だったり、母だったり、祖母であったり、ナギやヒロであったり。

朋美だってそうだ。

毎日を必死に生きていると、そんなことも見えなくて、うっかり見失って。

人は、ひとりでは生きられない。

ひとりでは、ないのだ。

誰かの手を借りて、誰かに手を差し伸べて。

そうやって生きている。

人は繋がっている。

開いたコートの合わせから覗く勾玉を無意識にぎゅっと握りしめ、瞼を閉じる。

母とも和解できてない。

ナギに関してもわからないことだらけ。

だけど、わからないからとウジウジしていたら、進めない。

進めないと、変われない。

なら、進まないと。

大きく息を吸って、吐き出して。


「……よし!」


両手で頬をパチンと叩いた。

動こう。

大切な人が苦しんでるのかもしれないから。

ヒロを困らせてしまうかもしれないけど、ぶつからせてもらおう。

決意して、私は子猫に別れを告げるとみなか屋へと足を向けたのだった。