とにかく、許可は貰えた。
宿泊先も決まった。
あとは、これから行くバイト先でシフトを申請すればOKだ。
少し長めの休みをもらうので、相談が必要だとは思うけど、実はすでに先手を打ってある。
今日、昼休みにお弁当を食べながら、朋美に相談したのだ。
彼女は私と同じ書店でバイトをしている。
私が休めば当然朋美にも負担がかかるわけで。
それでも、ナギに会いたい想いが強い私は、彼女に理由を話した。
不思議な夢を見たこと。
それから寝ても覚めても妙に落ち着かない心地でいること。
だから、休みを利用して会いに行ってみたいのだと。
話を聞いた朋美は、猫のような可愛らしい目を柔らかく細めて、私の背中をバンと叩いた。
『行きなよ。凛が積極的に動くことなんて珍しいし、ナギ君と会うべきよ』
クリスマスも予定はないし、凛の分も頑張るよと言ってくれて、私は深く感謝したのだ。
いつか、朋美が困った時は必ず助けになると約束して。
そんな一連の流れを思い出していたせいだろう。
バイト先に向かう道すがら、視線を落とし気味だった私は前から歩いてきていた人に気づけなかった。
──ドン、と。
肩がぶつかって、胸元まで伸びた少し癖のある髪を揺らしながら慌てて顔を上げると、相手と視線が合った。
茶髪にスカジャン、鼻と唇にピアスを付けた少し悪そうなイメージの男性が、私を鬱陶しげに見下ろしている。
相手の風貌に萎縮してしまい、口を開くも謝罪の声が出ない私を、男性は軽く睨んで舌打ちした。
「ご、ごめ、んなさい」
ようやく絞り出したか細く頼りない声は、相手に届いてなかったのだろう。
「うぜえ」と文句を零し、機嫌悪そうに去っていった。
ぶつかった瞬間に謝るべきだったのに。
相手の顔色を伺ってから行動しようとするのは私の悪い癖だ。
そして、こんな風に人との接し方で失敗すると、思ってしまう。
やはり、人の多い都会は苦手だな、と。
満員電車も、スクランブル交差点も、人の多さに息がつまりそうになる。
吸い込んだ息が重い気がして、軽くする為にゆっくりと吐き出すと、ジャケットの下に隠れている勾玉のネックレスをそっと押さえた。
そして、止まっていた足を再び動かし、私はバイト先へと急ぐのだった。
ナギは、私を見てすぐわかるだろうか──。
そんな不安と、久しぶりに会えるかもしれないという期待を胸に、私はひとり、飛行機とバスを乗り継いで港へ向かい、本土と予渼ノ島を結ぶフェリーに乗船する為のチケットを購入した。
ナギとは会ったのは引っ越しの日の朝が最後だ。
その後、彼とたまに送り合っていた手紙のやり取りは、中学に上がる前に途絶えてしまった。
実は、私と母は最初から今のアパートに引っ越したわけではなく、始めは母方の祖母の家にお世話になっていたのだ。
けれど、祖母が他界した翌年、うちは隣家の火事に巻き込まれて半壊。
その際に、ナギからもらっていた手紙や、住所を記載していたアドレス帳が燃えてしまい、その上引っ越すことになったので連絡が取り合えなくなってしまったのだ。
当然、すごくショックを受けた私はどうにかナギに連絡を取れないかと悩んだ。
ナギのお祖父さんは神社の宮司さんなので、母に聞けば神社の名前くらいはわかるのではと考えたこともあったけど、何せ島には神社が各地にたくさん点在しているのだ。
その上ナギは両親を事故で亡くしていて、彼は父方の祖父母の家に預けられていた。
なので、ナギの家とうちの両親とは接点がほとんどなく、島が地元であった父が亡くなったことにより尚更彼との縁が遠くなってしまったのだ。
もしかしたら、ナギは島にいない可能性もある。
ナギは私よりひとつ年上で、今は高校三年のはずだ。
島には高校が二つあり、住み続けているならどちらかに通う人が多いだろう。
けれど、本土の高校を受験していて寮生活をしているとすれば、いくら私が記憶を頼りにナギを探して歩いても、出会えることなく旅は終わる。
でもその時は、せめて神社でナギがどこにいるかだけでも知れたらいい。
それに、私が会いたい人はもうひとりいて、彼に会えればナギがどこにいるかは恐らくすぐにわかるだろう。
彼も島を出ていなければ、の話だけれど……。
「……大丈夫」
きっと、この勾玉がナギへと結び、繋いでくれる。
そう信じて、私は乗船口へと移動した。
時折、船の甲板から壮大な景色を眺めつつ海風に吹かれ、波間を進むこと約二時間半。
「本船は、まもなく予渼ノ島、予渼ノ港に着岸致します。長らくのご乗船、お疲れ様でした」
船内に到着のアナウンスが流れると、しばらくして船は島の港の桟橋に接岸した。
キンと冷えた真冬の空気に迎えられ、下船した私の目に飛び込んできたのは、観光案内所の側に立つ大きなクリスマスツリーだ。
船内のレストルームにもツリーが設置されていたけれど、明後日はクリスマスイブ。
予渼ノ島は近年、樹齢が千年以上ある大杉やマイナスイオンに包まれた荘厳な滝といったパワースポットがたくさんあるとのことで観光客が増えているらしく、季節によるイベントも盛大に開催している様子だ。
でも、確か予渼ノ島には死者が住むという黄泉の国への入り口があるとかなんとか言われているので、和の雰囲気たっぷりの神話が残る島でキリストが関連しているクリスマスで盛り上がるとうのも少しアンバランスな気がする。
なんて、密かに考えつつも、やはり楽しげな雰囲気に彩られた景色は素敵だなと感動しながら、まずは宿へ向かう為にバス乗り場へと移動した。
時刻表を確認すると、どうやらこの路線は二時間に一本しか走らないようで、次のバスが出るのは二十分後の午後三時ちょうど。
乗車予定の路線バスは私が昔住んでいた家の方まで行くらしく、宿への道はそれより四つ手前のバス停で下車となる。
私はスマホで地図と乗り換え案内を見直してから、私以外には待ち人のいないバス乗り場の冷えたベンチに腰を下ろした。
八年ぶりの故郷。
この辺りは旅行と引っ越しの際に訪れる程度だったので、あまり懐かしさはないけれど、記憶に残る景色と大きく変わっていなくて安心する。
緑溢れる穏やかな自然と、濁りのない清んだ空気。
背の高いビルに囲まれて切り取られた小さな空ではなく、どこまでも広がるような青空を見上げて深呼吸する。
ふわりと白い息が冬の空気に溶けた。
思えば、あれだけナギとは仲良くしていたのに、ナギの家には遊びに行ったことがなかった。
うちにも来たことはないし、そもそも待ち合わせして遊ぶことはほぼなかった気がする。
ナギの家も私の家も家族が皆働いていたから、放課後はそのまま夕方まで保育園や学童に預けられていた。
その為、待ち合わせなんて必要はなく、園内や学校内で一緒に遊んで過ごしていたのだ。
そしてそれは、もうひとりの幼なじみである男の子、ヒロも同様だった。
彼の家もご両親が自営業で忙しく、保育園時代から放課後はいつも私やナギと同じ空間にいた。
ヒロは一匹狼タイプの男の子で、保育園ではひとりで積み木遊びをしたり、絵本を広げていた子だ。
そんなヒロにも、私の時と同じ感じで話しかけていたナギ。
だから、自然と私たちは三人で遊ぶようになった。
『リンちゃん。ヒロくんがアリいっぱい捕まえたって!』
『えっ……虫こわいよ』
『……こわくない。たまに噛むけど』
『ヒロくん強いな! オレも捕まえる。リンちゃんも捕まえようよ』
『ひぇ……』
男の子ならではの遊びに戸惑いながら、私はいつも二人の間に挟まれて歩いていたっけ。
キラキラした笑顔のナギと、むすっと無愛想なヒロ。
二人がいれば、私は自然と笑顔になれた。
この島は、大好きな父との哀しい別れもあったけど、大切な幼なじみとの思い出が詰まった宝の島だ。
幼き日々に想いを馳せ、二人に会えたら何を話せばいいだろうと悩んでいるうちにバスはやってきた。
この路線バスは島のメインとなる観光地とは少し離れた場所に向かう為、乗り込んでくるお客さんもスーツケースを引く旅行者より島の住民といった装いの人が多い。
海岸沿いをしばらく走り、いくつかの集落を通ってから目的地で下車。
今日から二週間お世話になる民宿は、バス停から歩いてすぐの場所にあった。
朱色の瓦屋根の下に飾られた白い看板に【民宿 みなか屋】と書かれているけれど、どちらかといえば民宿というよりも大きめな作りの一軒家といったイメージだ。
母からここの女将さんと私は面識があるとは聞いているけど、いかんせん昔過ぎて覚えていない。
とにかく挨拶はしっかりしないとと、やや緊張しながらスーツケースを転がした直後。
──リリンと、鈴の音が微かに聞こえて。
私は目を丸くして辺りを見渡す。
でも、特に音の出所となるめぼしきものは見当たらない。
飼い猫の首輪か何かだろうか……。
「でも今の……」
夢の中で聞いたあの音に似ていた気がした。
あの夢を見たのはあれきりで、ハッキリと音を覚えているわけではないけれど。
それでも、ハッと思い出したくらいには似ていた。
一度聞いたらしばらくは耳に残る、優しく美しい鈴の音に。
そして、どうしてだろう。
この鈴の音を聞いた瞬間から、ナギのことが頭を離れない。
もちろん、ここにはナギに会いに来ているのだから当然なんだけど、そうじゃなくて。
あの夢を見た直後と同じ、気になって気になって仕方がないのだ。
早く会いたいと、走り出したくなる焦燥に駆られる。
今までこんなことはなかったのに。
どうして急に?
あの夢には、何か意味があるの?
……なんて、今考えていても答えは出ないだろう。
でも、ナギに会えれば、もしかしたらそれが判明するのかもしれない。
とにかく、ナギに会おう。
私は決心を新たに、民宿の引き戸に手を掛けた。