懐剣は無事、ユンジェに返された。

 それはカグムとハオに持てる物ではなく、彼らの帯にたばさむ前に懐剣の方が拒絶をする。
 頭陀袋に入れて、ユンジェから遠ざけようものなら、道すがらで不幸に遭ってしまうのである。

 ユンジェは既に三度(みたび)、頭陀袋に懐剣を入れたハオの不幸を目の当たりにした。
 最初は水を掛けられる程度だったのだが、三度目になると不幸が重くなり、彼は危うく突風に煽られ、潰れる出店の下敷きになるところだった。

 次は命を取られかねない。

 身の危険を感じたハオが、カグムの頭陀袋に収めようとすると、なぜだろう、彼の頭陀袋が燃えかけた。懐剣の祟りだと言われても、まったく不思議ではない。

「カグム。懐剣はガキに持たせるべきだぜ。たぶん、麒麟の使命を授かったこいつから懐剣を遠ざけると、呪いを受けちまうんだよ。なにせ、ピンインさまの懐剣小僧なんだから」

 呪われた王子の懐剣だから、下手なことはしない方がいい。ハオはそう主張した。

「昔、俺が触った時には、こんなことなかったんだがな」

 いまいち不幸事を呪いと思えないカグムは、釈然としない顔をしていたが、彼の意見を聞き入れ、ユンジェに懐剣を返した。

 これで一安心。かと思いきや、カグムは必要以上にユンジェを警戒した。ただの小僧である自分に何かしら、懸念するものがあるのだろう。

 勝手にユンジェの頭陀袋から布紐を取り出すと、それで手首をまとめ、縛り上げてしまった。
 これの丈夫さは、誰より作り主のユンジェが知っている。歯で裂こうとしたって、簡単にはいかない。

 しかも余った紐部分はカグムが握り、手綱のようにユンジェを引いてくる。少しで懐剣や頭陀袋に手を伸ばそうとすれば、笑顔で引っ張られた。

 これではまるで。

(家畜だよなぁ。そんなに警戒されても困るんだけど)

 ユンジェは己の弱さを知っている。
 真っ向からカグムやハオに挑んで、まず勝てるわけがない。卑怯な不意打ちや策で乗り切っていることが大半だ。二人だって、それは分かっているだろうに。

「自分の作った紐で縛られる日がくるなんて思わなかったよ。しかも、こんな格好で町を歩かせるとか、ちょっと酷くないか?」

 前を歩くカグムに文句をぶつけると、彼はくつりと一つ笑いを零す。

「外衣の下に隠しておけば、違和感なんてないさ。酷いことをしている自覚はある。すまんな。だが、お前に自由を与えれば、痛い目を見ると分かっている」

 では、ティエンに自由を与えるのは良いと?
 周りに目を配る二人の、警戒心の薄さにユンジェは鼻で笑いたくなる。

(カグム。あいつはもう、お前が知る囚われの王子なんかじゃないんだぜ?)

 ユンジェはこの町のどこかにいる、彼に想いを寄せる。大丈夫、ティエンなら上手く逃げている。そして、きっと。

 彼らは路地裏を選び、ひと気の少ない道を進む。大通りで騒がれては面倒だと考えているようだ。

 会話から察するに、今から馬宿へ向かうらしい。そこでユンジェを軟禁しようって魂胆なのだろう。

「カグム。ピンインさまは、まだ見つからないのか?」

「いま、ライソウとシュントウが町中を探し回っている。あの容姿だ。聞き込みをすれば、すぐに見つかるさ。仮に顔を隠しても、その姿は目立つだろう」

「はあっ。そんなこと言ってもよ。小さな町とはいえ、二人だけじゃ時間が掛かるぜ」

「最悪、また金を払って傭兵に手伝ってもらうさ」

「ったく。こいつが変な策を打たなきゃ、もっと多く連れて来ることができたのによ」

 ハオに加減なく耳を引っ張られ、ユンジェは悲鳴を上げそうになる。

 口を一の字に結んで彼を睨むと、鼻先を指先で弾かれた。この男、人が自由を奪われていることをいいことに好き勝手にしてくれる。

 腹立たしい気持ちを抱く一方、ユンジェは忍び笑いを浮かべた。

(追っ手は四人だな。よし、数は把握できた。町人にまぎれた間諜もいない)