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ユンジェは軽快な足取りであぜ道を歩いていた。
見渡す限り、水田が広がるこの光景は、炎に包まれた故郷を思い出す。そのせいだろうか、心が落ち着いた。
小袋から乾燥豆を取り出すと、それを口に放って、豆の風味と歯ごたえを楽しむ。これは三日ほど納屋に泊めてくれた、農業を営む老夫婦がくれたものだ。
とても親切な老夫婦だった。
突然、訪問したにも関わらず、困っているユンジェから事情を聴くと、快く納屋を貸してくれた。
泊めてくれたお礼に三日間、彼らの仕事を手伝い、縄を編んで贈ると、彼らは嬉しそうに受け取り、貴重な保存食の乾燥豆をくれた。
栄養満点だから、病み上がりの『お姉さん』と一緒に食べなさいと、言葉を添えて。
(その前に泊めてくれた、農家のおっちゃんも優しかったな。筵を編んだら、火打ち石を袋一杯にくれたっけ)
ユンジェは町の商人より、畑に携わる農民の方が好きだと思った。
物々交換の時は対等に接してくれるし、困っていると話を聞いてくれる。温かみがあると思えた。それはきっと自分が農民の子だからだろう。
「ティエン。具合はどうだ?」
此度、納屋に泊めてもらったのは、ティエンが熱を出してしまったからだ。
慣れない旅、追われる身分、兵達から隠れる生活。
それらのせいで、心身疲弊してしまったのだろう。旅は農民の暮らしより、体力や気力を多く必要とするので、軟な彼は倒れてしまった。
そのため、ユンジェは農家を訪ね、老夫婦に納屋を借りたのである。
もう大丈夫だと返事する彼は申し訳なさ半分、不満半分、といった顔で歩いている。柳眉が寄っていた。
「どうしたんだよ。腹でも痛いのか?」
わざとらしく顔を覗き込むと、ティエンがじろりと睨んだ。
「ユンジェ。世話を焼いてもらっておいてなんだが、ひとつ文句がある。なぜ、私はあの老夫婦に姉と間違われていたんだ」
予想していた文句に、ユンジェは小さく噴き出してしまう。ティエンの手の平に五粒、乾燥豆を落すと、その顔がいけないのだと返事した。
「ひと目じゃ、男か女か分からないって。俺も最初、ティエンを見た時、天女だと思ったしさ」
乾燥豆を頭陀袋に仕舞い、水を飲むために皮袋を取り出した。
「それで? わざと正さなかった理由は?」
皮袋を差し出す。彼は気だるく受け取り、それで喉を潤していた。
「だって、あそこの老夫婦、当たり前のようにティエンをお姉さんって言うもんだから。ティエンを綺麗だって褒めていたし、まあ、いいかなって」
「つまり。面白がっていた、と?」
大当たりだ。ユンジェが指を鳴らすと、重たい皮袋で軽く頭を叩かれた。
「おかげで私はこの三日間、口を利けない振りをしなければならなかったんだぞ」
ティエンは声変わりを終えている。
さすがに声を聞けば、男だと分かるだろう。喉仏を見られなくて良かったな、と茶化すと、ふたたび皮袋で頭を叩かれた。
実はかなり、腹を立てていたようだ。どうもティエンは女に見られることを、良く思っていないらしい。それだけ美しいということなのに。
「いってーな。大体、口が利くも何もお前、熱でしゃべる元気もなかったじゃん。もう一日、老夫婦は泊めてくれるって言っていたのに……本当に甘えなくて良かったのか?」
その分、老夫婦の仕事を手伝えば良いと、ユンジェは考えていた。
彼らは子どもに恵まれなかったようで、ずいぶんと若手の力を欲していた。話を聞けば、老いのせいで農業を重労働に感じていると言う。
そのため、ユンジェが重たい肥料や、大量の藁の束を運ぶと、老夫婦はとても嬉しそうにしていたものだ。
ティエンが遠慮を見せなければ、もう一日、納屋を借りようと思っていたのだが。