麟ノ国十瑞将軍グンヘイの屋敷にて。
麟ノ国第二王子セイウの近衛兵を務めるチャオヤンは、主君に対して深いため息をついていた。腰掛に座り、真剣に絹衣や簪、宝石の品定めをしているセイウを一瞥しては、口からため息が零れそうになる。
なるべく主君に聞こえないよう、思いのこもった息を呑んでいると、「リーミンはまだですか」と、能天気な疑問が飛んできた。
曰く、早いところ、これらを使って着飾ってやりたい。少しばかり、客間の窓辺に飾って眺めておきたい、とのこと。
連れて来たいのは山々だが、少しばかり難しい命令だ。チャオヤンはつい唸ってしまう。
「セイウさま。いまのリーミンは傷を縫い、身体を休めている最中です。傷が深かったことを、もうお忘れですか?」
すっかり忘れていたようで、「そういえばそうでしたね」と、上機嫌に返事する。
意思にそぐわない進言をしても、ご機嫌のセイウは右から左に流すばかり。その顔は底知れぬ欲が満たされ、ご満悦、といったところ。誰のせいで傷を縫っているのか、もう忘れている。
「僭越ながらセイウさま。なぜ、リーミンに無茶をさせたのです。あれは貴殿を守る剣であって、敵を滅する剣ではございませんよ。傷を負わせれば、それだけセイウさまを守る力が損なわれてしまいます」
「リーミンの力を、どうしても見たかったのですよ。ふふっ、うつくしかった。やはり、麒麟の使命を賜った懐剣は、どの剣よりもうつくしい。それが私の手元にあると思うだけで心が踊りますね」
セイウは新調したばかりの絹衣を手に取る。それは白を基調とした、絹衣であった。
「あのうつくしさを引き立たせるには、もう少し、衣を鮮やかな色にするべきでしょうか。いや、動きやすいものでなければ、剣を振るう姿も鈍ってしまうでしょうし」
チャオヤンは苦い顔をする。
こうなったら最後、セイウに何を言っても聞き流されるだけだろう。昔からそうだ。喉から手が出るほど欲しい物を手に入れた後は、己が満足するまで、それを磨き、輝かせ、うつくしくする。
今のセイウは、懐剣の子どもをどう着飾ってやろうか、それで頭がいっぱいなのだろう。とはいえ、浮足立っているセイウに釘を刺しておかなければならない。それも近衛兵の役目だ。
「セイウさま。リーミンを、しかと手放さぬようにして下さいませ。里には第一王子リャンテさまと、第三王子ピンインさまが確認されております。とくに後者は、リーミンと剣を交えております」
傷を負わせても、取り戻す覚悟だったに違いない。
チャオヤンは当時の兵士の話を思い返し、険しい顔で腕を組んだ。あの子どもがセイウの乗る馬から飛び下り、走り出したのは突然のことだった。誰もが逃げ出したと思い、急いで後を追った。
そしたらどうだ。子どもは第三王子らと剣を交えているではないか。
話を聞いた最初こそ、第三王子が仕組んだ猿芝居かと思っていたが、よくよく聞いてみると、懐剣の子どもが一方的に斬りかかったとのこと。
(つまり、それはセイウさまの災いとなる対象だったのだろう)
しかし。子どもは賜ったお役により、決して王族を討つことができない。それゆえ、第三王子の取り巻きに懐剣を向け、少しでも災いを滅そうと体を張った。使命を果たそうとした。
こちら側にとって好都合な展開だが、一方で恐ろしくも思う。
あれは既に深い傷を負っていた。なのに、災いを滅するまで戦をやめなかった。兵士が止めなければ、今も懐剣を振っていたに違いない。
(少なからず、リーミンは自分の意思とは関係なしに、懐剣を振るっている)
あの子どもは第三王子とたいへん親しい関係だと耳にしている。
子どもは第三王子を兄のように慕い、第三王子もまた本当の弟のように接している。そんな第三王子に見向きもせず、セイウを守り抜こうとする姿勢は、決して自分の意思だとは言い難い。
(守りたい相手を選べず、己の意思すら持てない。少々哀れだな)
物思いに耽っていると、今度はセイウの方から話を投げた。それまで上機嫌だった顔が崩れ、やや含みある眼を向けてくる。
「私とリーミンが離れている間、屋敷で動きはありましたか?」
チャオヤンは目を細め「いいえ」と、短く答えた。
その答えに一思案した後、セイウは扉を指さして、絹衣に目を戻した。チャオヤンは深く主君に一礼すると、早足で客間を出て行く。
回廊を進むと、従僕や侍女らが恭しく頭を下げてきた。それに目を向けることもなく、懐剣の子どもが身体を休めている部屋へ足を伸ばす。