麟ノ国第二王子セイウはその日、まこと不思議な胸騒ぎを覚えていた。
それは起床し、朝餉や湯殿を済ませても拭うことができず、昼餉の刻になると、胸騒ぎは強くなった。
何かの前兆であろうか。今宵は己を溺愛する母が宮殿に来るので、それの応接をしなければならないのだが。
あまりにも胸騒ぎが拭えないため、セイウは近衛兵のチャオヤンに使いを頼み、顔なじみの姥呪術師を呼びつける。
もしかすると、この胸騒ぎは己の体調による異変や、身の回りの不幸事の前触れやもしれない。
せっかく麒麟の使いを見つけ出し、これからという時に、病や不幸事に巻き込まれたくはなかった。セイウは一刻も早く懐剣を我が物にし、宮殿に飾りたいのである。
事情を聴いた呪術師は一室に御香を焚くと、敷布の上にセイウを座らせた。
そして、彼の前に獣の歯や爪、折れ曲がった鉄棒。石同士がくっ付き、時に反発し合う磁石などを置いて占術を始める。
鼻につく御香に顔を顰めながら呪術師の返答を待っていると、姥はひとつ頷き、このようなことを言ってくる。
「セイウさま。貴方様の胸騒ぎは、おおよそセイウさまと、麒麟の使いが関わっているものと思われます」
「使いが関わっている? リーミンが近くにいるのでしょうか?」
「いいえ。おそらくは使いが麒麟より神託を賜り、主君である貴方様に進言しているのか。もしくは導こうとしているのではないかと。麒麟の使いは、主君を守る者。そして次なる王座へ導く者。たとえ主君と離れていようとも、そのお役は果たすことでしょう」
それが胸騒ぎの正体だと姥は言う。
「セイウさま。磁石を右の手にお持ちくださいませ」
萎れた手が磁石を差し出す。言われるがまま、それを右手で握ると、目を閉じるよう指示された。良いと言うまで、目を開けてはならないとのこと。
「この老婆の声に、まっさらな御心で耳を傾けて下さいませ」
御香の匂いが強くなる。新たに焚かれたのだろうか。また、ジジッと顔の近くで火の音も聞こえた。それは燭台に刺さった蝋燭のものだと分かる。
「麒麟の使いはセイウさまの下僕。主君である貴方様を導くため、声なき声を届けておられまする。さあ、まっさらな御心でお聞きくださいませ。いま、貴方様の御心には映っておりますか?」
呪術師が鈴を鳴らし、目を開けて良いと告げる。
そろりと、瞼を持ち上げたセイウの頭に一つの情景が浮かんだ。前触れもなかった。しかしながら、それは強い思いとして心に反映する。
「天降ノ泉。リーミンは、そこに必ずや姿を現す」
腰を上げたセイウは興奮する。
これは出たらめではなく、確信であった。血眼になって探している懐剣の居所が、こうも簡単に割り出せるとは思いもしなかった。主従の関係だからこそできる芸当なのだろう。
「さすがですね。青州一の呪術師と謳われるだけあります」
恭しく頭を下げる呪術師は、セイウに物事が上手くいくよう、こんな助言をした。
「セイウさま。凶星が二つ、貴方様に迫っておりますのでお気を付けくださいませ。それは謂わずも、御兄弟でございましょう。とりわけ赤き凶星は、闇に見え隠れしております」
赤き凶星。おおよそリャンテのことだろう。
少しばかり冷静を取り戻したセイウは、腰を下ろすと、傍にいるチャオヤンに視線を投げた。
「あれは、青州で度々戦をしているようですね」
「はい。リャンテさまは、リーミンの捜索兵を尾行し、虎視眈々と強奪の機会を狙っているようです。とはいえ、そろそろ目立つ行動は控えることでしょう」
チャオヤンの言う通りだ。
戦はクンル王の耳に入るため、傍若無人に戦をすれば、その行動を怪しみ始めることだろう。父王はあれにセイウの監視を命じているのだから。
また、我が母にも戦の件は耳に入る。
あまり酷いようであれば、正妃に留意の竹簡を出すはずだ。正妃にも面子があるので、事を聞けば直ちに白州へ帰還するよう命じるはず。リャンテがそれを聞くかどうかは、別の話であるが。
「いま、リャンテは何処に?」
「一部の白州兵を青州に置き、自身は蓮ノ都で休まれているそうです。表向きは」
語尾を強調するチャオヤンに笑いそうになる。なるほど、裏では活発的に動いているのか。
「首を討てずに、申し訳なく思います。セイウさま」
「良いのですチャオヤン。あの蛮人を簡単に討てるのであれば、私も苦労はしていませんよ。さて、どうしましょうか」
天降ノ泉は将軍グンヘイに任せている地。
竹簡を出せば、すぐに兵を手配することだろう。否、愚者なグンヘイがそのような気遣いを見せるはずがない。どうせ、振りをして終わることだろう。
あれの悪評はよく耳にしている。
青州に至らん戦を起こして損害を出している男だということも、傍にいるチャオヤンを筆頭に、兵達から忌み嫌われている将軍であることも、十二分に把握している。
それでも、セイウは天降ノ泉をグンヘイに任せている。
無論、それは腕を認めているわけではない。父親が優れた将軍だったから、というわけでもない。
『愚か者』だから天降ノ泉にグンヘイを置いているのだ。あれが優れた者であれば、とっくに己の側に置いている。
(グンヘイがリーミンを捕らえたところで、私のところに連れて来るかどうか)
一思案したセイウは、きゅっと口角をつり上げると、チャオヤンに命じた。
「将軍グンヘイに竹簡を出します。早馬の準備を」