使いの出現は、新たな時代の兆し。それは時代を終わらせる者とも、流れを変えるための者とも、国を決壊させる者とも云われている。

 なぜか。麒麟の使いを持った王族こそ、国の命運を分ける者だからだ。
 国を亡ぼすのか、それとも国を変えるのか、はたまた国を創るのか。それは選ばれた王族次第。

 また麒麟の使いは王族の隷属。
 その王族に仕え、身を挺して守り抜く。それを新たな時代の王とするために。その者を王座に導くために。今の時代を壊すため。

「使いに導かれた王は、黎明期の王として君臨します。我々王族の間では、麒麟と使いの者に見定められた、王の中の王と敬意を表し『黎明皇』と呼んでいます」

 セイウは呆けるユンジェに、目を細めて笑う。

「リーミン。私が貴方に『黎明』と名づけたのは、そういう意味合いがあるからなんですよ。貴方の使命は、単に所有者を守るためではない。生かすためでもない。新たな時代の王を導くために、存在している」

 一般的には懐剣を抜いた者は、所有者に関わる使命を持つ、と云われているが、真の姿は黎明期の王を導く者だ。

 ちなみに、これは正当な王族のみが知っている伝承。
 離宮に幽閉されていた愚弟が知らないのも無理はない。黎明皇のことなど、あれが知ったところで、王になれるわけがない。教えたところで時間の無駄だ。


「まあ、実際は愚弟の懐剣に使いが宿ってしまった。こればかりは、私でも理解しかねます」


 そんな。ユンジェは途方に暮れてしまう。

 では、自分が今までティエンを生かそうと身を挺したのは、彼を王とするため? 使命に駆られて走っていたのは、彼を王座に導くため? ティエンが王座を拒んでいることは、誰よりユンジェが知っているのに。

「うそだ。俺は王族も何も知らない農民だよ。王座に導くなんて、そんなの……」

 敬語も使えないほど混乱するユンジェに、「本題です」と言って、セイウが垂直に持っていた懐剣の切っ先をこちらに向ける。

「貴方は愚弟の懐剣を抜いた者。その一方で、私の懐剣に導かれている。その答えはひとつ。私にも王の器があるからです。貴方は本能的に、迷っているのではないでしょうか? 守るべき所有者を」

 そんなわけがない。ユンジェはティエンを精一杯守りたい。少なくとも、性格の悪いセイウよりかはティエンの方がずっとずっと良い。

「貴方は新たな時代の王を導く者。その使命は生涯を懸けても、果たしたいはずです」

「わ、分からないよ。俺は今まで守ることで一杯いっぱいで」

「人間でいようとするから、分からないのです。リーミン、貴方は懐剣。心は捨てなさい。人間のリーミンはとても美しくない」

 セイウが欲に駆られたのは、懐剣として振る舞うユンジェである。

 恐れも痛みも人間も忘れ、目の前の兵を向かっていく姿は、とても美しく、気高く、興奮する。あれは何度も拝みたい。毎日見たって、きっと飽きることなどないだろう。

 セイウは繰り返す。目を白黒にするユンジェに向かって、人間の己は捨てろ、と。

「懐剣が心を持てば、主君を守れない。それは分かっているでしょう? 捨てなさい。人間の己を。さすれば、貴方の真の使命も見えてくるはずですよ」

「真の使命……」

「その様子だと、ピンインとの関係も成立させていないのでしょうね。いや、あれが成立させるやり方など知るはずもない、か」

 近衛兵のチャオヤンを呼び付けるセイウは、彼に耳打ちをして、何かを指示する。チャオヤンは早足で銀の盆を持ってきた。その上には、金の杯がのっている。

「まこと所有者と懐剣の関係を成立させるには、三つの主従の儀が必要です」

 そう言ってセイウは懐剣を鞘に収めると、ユンジェの前に置いた。

「さあ、リーミン。まずは懐剣を抜きなさい」

 主従の儀一つめは、選ばれた使いが所有者の懐剣を抜くこと。
 ユンジェは逆らえず、それから鞘をすべて抜いた。あっさりと抜けたので、思わず偽物ではないか、と疑ってしまう。

「次の儀は、すでに先ほど終えました」

 主従の儀二つめは使いが服従を示すこと。


「最後がこれ」


 セイウが懐剣をユンジェの手から取り上げると、右の人差し指に切っ先を当て、小さな傷を作る。
 ぷっくりとにじみ出てきた血を確認し、彼は金の杯に三滴、血を落とした。


「三つめは所有者が使いに血の杯を与えること。これにより、主従の関係が成立します」


 杯を手渡され、ユンジェは身を震わせた。これを飲んでしまえば、セイウとの関係が成り立ってしまう。飲んでしまえば、自分はどうなってしまうのだろう。

 ユンジェは逃げ出したくなった。本能が警鐘を鳴らしている。これはとても、とても、まずい。

 杯を手放そうとすると、背後に立っていたチャオヤンによって止められる。

 彼は有無言わさず、「逆らってはいけない」と、ユンジェを咎めた。服従を示したからには、それ相応の態度を見せろとのこと。反論したい。あんなもの建前に決まっているではないか。

 恐る恐る杯の中を覗き込む。透明な液体の中に、うっすらと赤い筋が浮かんでいた。
 こんなものを飲んだら腹を壊しそうだ。嫌悪感が全身をめぐる。いくら好き嫌いのないユンジェでも、こればかりは飲めそうにない。

 人の苦悩を楽しげに見守っているセイウが軽く指を鳴らす。悲鳴が聞こえた。前を向くと、ひとりの若い侍女が引き倒され、兵に柳葉刀を向けられていた。

「血の杯を飲むリーミンのために、華やかな芸を見せるのも一興でしょうか」

 ひえ。柳葉刀を見た侍女が青ざめた顔で、ユンジェに助けを求めてくる。何から何まで腹立たしい男だ。血の杯を飲ませながら、血を見せる芸など、悪趣味にも程がある。

 ユンジェは杯を握り締めると、セイウに芸を止めてくれるよう懇願した。彼は誠意を見せたら止めると言ったので、急いで杯に口をつける。

 初めて酒は、喉や食道を焼き、思わずむせ返りそうになった。
 それをぐっと堪え、一滴残らず飲み干すと、空であることを示すために杯を逆さにして置いた。それによって侍女に向けられていた柳葉刀が鞘に収められる。

「これで私とリーミンの関係が成立しました。あとは、リーミンから愚弟の懐剣を手放させるだけ」

 麒麟の使いはひとつの懐剣しか持つことができない。あれを討たねば、己の懐剣を持たせられない。セイウは兵達に一刻も早く、第三王子ピンインを探し出すよう命じた。

「ふふっ。気分はどうです? リーミン」

 最悪だと悪態をついてやりたいが、それすら答えることが難しい。
    
 ユンジェは激しくむせていた。己の中で何かが荒れ狂っている。がんがん、がんがん、と音を立てている。これは一体。


「音が聞こえる。がんがん、がんがんって。なに、これ。これはなに」


 何も分からず、ただただ頭を抱えて蹲ってしまった。