刃は衣を破り、腕の肉を切り裂く。あまりの激痛に悲鳴を上げそうになったが、必死にこらえ、深く突き刺していく。
「ばっ、馬鹿野郎が! 何してやがる!」
表情を変えたのはカグムだった。
まさか、己の腕を突き刺すと思わなかったのだろう。急いで短剣を突き刺す左の手を掴む。
その隙を突き、ティエンは彼の体を押して、駆け出した。
右腕は燃え上がるように痛いが、手を振り払うことに成功したので、とても嬉しく思う。ユンジェに言えば、大層呆れられそうだが、それでも意表は突けた。
さらに痛みのおかげで頭が冷えた。
カグムと戯れている場合ではない。カヅミ草を探さなければ。ユンジェの熱を下げなければ。急がなければ。
(まずは広い場所に出て星の方角を確認しよう。落ちたことで、私が今、山のどこにいるか分からなくなってしまった。これではカヅミ草を見つけても、小屋に戻れないのでは意味がない)
ああしまった。松明を作ってから逃げ出せば良かった。前がよく見えない。
藪を掻き分けていく。そこを抜けたところで、追って来たカグムに捕まった。己の足の遅さに舌打ちをしたくなる。
「ピンインっ、腕をみせろ。今すぐに!」
「私は急いでいるんだ。邪魔をしてくれるな、カグム」
すると、足を払われ、尻餅をつかされた。何が何でも腕の傷をみるつもりらしい。
もう短剣の手は使えない。他に手を振り払う方法は無いか。目で周りを確認していると、「俺の負けでいい」と、カグムが声音を張って片膝をつく。
「今の駆け引きは、お前の勝ちだ。だから、腕の傷をみせろ。お前まで傷が炎症して、熱で倒れられたら敵わねーよ」
本当によく分からない男だ。
先ほどまで煽ってきたくせに、今度は心配を寄せる。それが不気味であったり、戸惑いを抱いたり……訳が分からないのひと言に尽きる。
彼は半ば強制的に、ティエンの衣を破ると、月明かりを頼りに右腕の傷の具合を確かめた。
簡単になら応急手当ができるようで、己の飲み水で傷口を洗うと、外衣を裂いて細くした。
「これをハオが見たら、どやされそうだな。馬鹿なことをしやがって」
正気の沙汰ではない。止血する彼が苦言した。それがとても愉快だったので、ティエンは鼻で笑い、口角をつり上げる。
「貴様が言ったんだろう。抵抗するなら腕を捻ると。だったら使えないようにしようと思ってな」
それが使えなくなれば、捻られてもなんの問題もないだろう? ティエンが疑問を投げると、カグムの眉間に皺が寄った。
「お前はっ、何をどうしたら、そんな考えに至るんだ。馬鹿にも程があるだろ!」
「その馬鹿に意表を突かれた、貴様にだけは馬鹿と言われたくない。大体、なんで私と共に落ちたんだ。気色の悪い。さっさと突き落として、見捨てれば良かっただろう」
「おいおい。俺がいつ突き落とした。あれはお前が襲ってきたからだろうが。俺はあの時、暴れるなっつったよな?」
「私の邪魔をしたのは、貴様ではないか。せっかく見つけたカヅミ草も見失ってしまった。しかも遭難だ。どう責任を取ってくれるんだ」
「俺の忠告を先に無視したのは、お前だろうが。ピンイン」
怒りを見せるティエンに、カグムも苛立ちを見せた。
あまりにも言うことを聞いてくれないので、敬語で話すことすら忘れている。昔からそうだ。この男は敬語での会話を苦手としていた。堅苦しい会話や空気を嫌っていた。
いつから、カグムはそれを好むようになったのだろう。
裏切られたあの夜も、再会した今も、彼は努めて敬語で話す。言葉を重ねるごとに、崩れることも多くなったが基本的に敬語だ。余所余所しい態度は表裏を感じる。
と、彼が深いため息をついた。
「ったく……ピンイン。お前がおとなしくしていれば、こんな事態にはならなかったんだよ。箱庭で育った王族のお前は弱いし、足手まといなんだ」
下々に任せろと言った言葉には、そういう意味も込められていたのだとカグム。