ユンジェはあまり、町が好きではない。
そこは人が集い、様々な物が売られ、賑わいと活気があるので、見ている分には楽しい。
特に祭りの時期は、朝な夕な人々が集まって、美味しい食い物や小物、曲芸なんかが見られて面白い。
しかし。ユンジェはどうしても、町を好きになれない。農民であれば、誰もがそう思う。
ユンジェは塩屋を訪ねた。
農民達の間で、『カエルの塩屋』と言われ、忌み嫌われる店だ。店主がカエルのような顔をしているため、皮肉を込めて、『カエルの塩屋』と呼ばれている。
「こんにちは。塩を交換して下さい」
奥の席で台帳に筆を走らせていた店主が、ゆるりと顔を上げる。
のっぺりとした四面顔と、鼻にきびはいつ見ても、鳥肌が立ってしまう。口角をつり上げ、下劣な笑いを浮かべる姿は、本当に気味が悪い。
背後にいるティエンも、何かを感じたのだろう。男の顔に、足を一歩下げていた。
「塩の交換か。なら、笊五杯分の芋と豆だ。それでいつも通り、一袋分の塩をやろう。ありがたく思えよ。これでも、安くしているんだから」
途端にティエンが驚いた顔を作り、ユンジェに身ぶり手ぶりで何かを訴える。
分かっている、あれは見え見えの嘘だ。
塩一袋分が、笊五杯分の芋や豆と見合うはずがない。もっと、安く手に入ることをユンジェは知っている。
塩の入った麻袋を一瞥する。
値札がつけられているが、それがいくらなのか、読み取る力はない。
なんとなく数字は読めるものの、それがどれほどの価値で、どれほどの芋や豆の量に相当するのか、ユンジェには理解できない。
大半の農民達は文盲であるため、物々交換になると、町の商人から足元を見られることが多いのだ。
それでも、塩は必需品である。
金が用意できない時は、向こうに有利な交渉であっても、それを呑むしかない。
(相手が子どもだから、値段をつり上げてきているな。前は笊四杯だったくせに。気分で変えやがって)
だから塩屋の店主は、農民達から嫌われているのだ。
(この後、油を買わなきゃいけない。芋と豆は、もう少し残しておきたいな)
ユンジェは砂糖の入った袋を差し出し、店主に交渉を持ち掛ける。
「砂糖をつけるから、芋と豆、笊二杯分で勘弁してくれませんか?」
店主の目の色が変わる。砂糖は贅沢品だ。商人といえど、簡単にお目に掛かれる品ではない。
「農民のくせに、良い物を持っているじゃないか。いいだろう。笊三杯分にしてやる。どうせ、砂糖の食べ方なんて、小僧には分からないだろうからな。有り難く頂戴してやるよ」
ティエンの奥歯を噛み締める音が聞こえる。
笊二杯分にまけないどころか、ユンジェの身分を蔑んできたのだ。腹立たしい物の言い草に、腸が煮えくり返りそうなのだろう。
「ああ、でも。この砂糖、本物かどうか分からないな。農民が砂糖なんて買えるはずもない。偽物だったことを考えると……塩は笊四杯分で譲ろう」
とんでもない言い掛かりだ。
さすがに偽物呼ばわりされ、砂糖を巻き上げられては困る。
あれはトーリャがユンジェの気持ちに感謝を示した砂糖だ。
それを苦肉の策として出したのに、まったく安くならないなら意味がない。
「だったら砂糖は返してもらいます。笊五杯分、いま用意するので」
「だめだ。砂糖と笊四杯分でなければ、塩は譲らない」
偽物呼ばわりしたくせに、しっかりと、贅沢品の砂糖は巻き上げる。なんて意地汚い人間なのだろう。
ユンジェは下唇を噛みしめ、砂糖を出したことを後悔した。もっとよく考えて出すべきであった。
「分かりました。それでお願いします」
結局、ユンジェは店主に丁寧に礼を告げて、物々交換を行った。
顔色を窺いながらの物々交換は、いつ取引を行っても味が悪い。それでも、これに慣れていかなければ、生活していけない。もう塩を売らないと言われる方が困る。
同じ要領で油屋から油を買うと、持参した収穫物が無くなってしまった。
残っているのは藁の束ばかり。
本当は収穫物を少しだけ残し、町で物売りをするつもりだったのだが、予定が狂ってしまった。
「ごめん、ティエン。嫌な思いをさせちゃったな」
塩屋を出てからずっと、美しい顔が怒りにまみれている。
やり切れない気持ちはユンジェも同じだ。
もっと上手く交渉ができれば、笊二杯分で塩が手に入ったかもしれないのに。爺が生きていた頃であれば、この交渉は上手くいっていただろうに。
「俺が子どもだから、舐められたんだな。あのカエル店主、本当に嫌な奴だよ」
気丈に振る舞う声が震える。目の奥が熱くなった。必死に顔を振って熱を冷ます。
こんなことで挫けては、この先やっていけない。
ユンジェは自分に言い聞かせる。大丈夫、いつものことだ。次は上手くやればいい。それを呪文のように繰り返す。
「ティエン、帰ろう。今日はお前の好きな米にするよ。それでも食べて、さっきのことは忘れ……ティエン?」
町を出たところでティエンが立ち止まる。
そして、おもむろに背負い籠を下ろすと、何度もそれを指さし、ユンジェに待ってくれるよう頼んだ。
「お、おいティエン!」
ティエンが走って町へ戻っていく。
残されたユンジェは、彼の背負い籠と留守番をする羽目になった。一体どうしたというのだ。町の用事はもう済んだというのに。便所だろうか。