「もしかして怪(け)我(が)した?」
「……別に」

自己紹介以来の、三日月紫苑の声だった。非常に愛想のない声だったが、この状況ならそうもなるだろう。

「悪かった。その、病院とか行くなら治療費……」
「別にいいと言っている」

自分も被害者とは思うものの、三日月紫苑を巻き込んでしまった手前、と口にしたのはあっさりと断られた。しゃべっている途中に。

「えっと、じゃあ、もしなにかあった場合は言ってくれれば」
「いいから関わらないでくれ」

ふう、と息を吐いた三日月紫苑が、そう言って立ち上がった。黒い服が所々白くなっている。

背は自分より低いだろう。けれど、こっちがまだしゃがんでいたせいで、とてつもない威圧感があった。
関わらないでくれ、なんてはっきり言われたせいもあるのかもしれない。

「お、おう、わかった」
間抜けに返事をした自分に視線を落とすこともなく、三日月紫苑は階段を下りていく。
その背中を見送りながら、やっぱり、孤高の生き物っぽいなと再確認する。
そういう強さがあるのは、ある意味うらやましい。他に左右されない確固たる信念や自分が確立されているからなのだろう。

比べて自分の曖昧さといったら。親に反発してまでなんとか芸大への道は得たものの、自分で私立大学の学費が払えるわけもなく、実家暮らしで生活費すら甘えている状態である。確固たる信念なんて未だ持てず、卒業後の道もまだ考えられない。

などと考えていたら途端に不甲斐なくなってきてしまう。この大階段でひとり落ち込んでいてもしかたがない、と立ち上がる。

ちょっと見晴らしの良い景色が眼下に広がる。高い建物がない京都の景観は昔から好きだ。

しかしいったい誰が俺の背中を、と考えたところでもうわからないだろう。不運だったと諦めるしかない。

伸びをひとつして、階段を下り始める。そろそろアルバイトぐらい始めないとなあ、と思いつつ欠伸を噛みしめた。