「ここにいたのですか、紫苑」
急に名を呼ばれてびっくりして振り返る。雲母がドアの前に立っていた。
「送り届けてきましたよ」
「あ、ああ。ありがとう」
「不思議な青年でした。すこし、朱門を思い出すような」
昨日からの言動で気づいていたけれど、雲母はあいつを気に入ったらしい。
「ジジィと似てるって?」
「まさか、似てはおりません。ですが、相手が誰であろうが、目の前にいる悩んでいる者を助けようとする姿勢は、朱門に通じるところがあるなと」
「僕にはその姿勢がないって?」
「そうではありませんよ。ただ、順序が逆なのです」
雲母は部屋に入ってきて、写真立ての前で立ち止まった。
「紫苑、あなたは絵を描くために仕事をする。椿は、仕事のために絵を描く。それだけのことです」
「ジジィは後者だと」
「いえ、朱門にとっては並列です。あのひとは、絵がなければ生きていけなかったでしょうし、妖を助けようという気持ちも同じぐらい強かった」
つまり僕はどうやっても祖父にはなれないということなのだろう。ため息をついて窓を閉じる。
「紫苑」
雲母の指が写真立ての埃を払っていた。
「ないものは、補えば良いのですよ」
薊と似たようなことを言っているのは理解できた。もう一度ため息をつく。
「どうやって」
「さて、それは教えるものでもないでしょう」
それだけ言って謎の微笑みを残して、雲母は部屋を出て行ってしまった。夕飯の支度があるとか言って。薊のことを伝え忘れたけれど、きっと彼のことだからわかっているだろう。
雲母も薊も、お節介だ。昔から。
もう一度部屋を見渡すと、普段しまっているはずの抽斗がすこし開いていた。古い家具だからゆるみでもしたのだろうかと近づくと、その中に懐中時計が収められているのが見えた。
何げなしに手に取る。随分古いものだ。もう動いてもいない。
ひっくり返すと『Mayumi.F』と刻印が入っていた。誰かからの贈り物だろうか。女性の名前に思える。
そういえば写真立てのひとつに、知らない女性の写真があったことを思い出す。祖父はずっと独身だったから、勝手に恋人かと思っていたけれど、その人からなのかもしれない。
戻しておこうとしたとき、指先に静電気のようなものが走った。驚いて落としてしまいそうになったものの、チェーンがうまく指に絡みついて落下は免れた。良かったともう一度、懐中時計を握る。
なぜか、僕の手にそれがとても馴染んだ気がした。というか触ると不思議と落ち着く。祖父のものだからだろうか。今まで積極的に祖父の物には触れないできたけれど、ほんとうはそういう気持ちがあったのだろうか。
しばし悩んで立ち尽くす。窓は閉めたはずなのにふわっとあたたかい風を頬に受けた。
祖父は、誰に対しても、やさしいひとだった。
抽斗をゆっくりとしまった。懐中時計は僕のポケットに、そっと、しまう。
急に名を呼ばれてびっくりして振り返る。雲母がドアの前に立っていた。
「送り届けてきましたよ」
「あ、ああ。ありがとう」
「不思議な青年でした。すこし、朱門を思い出すような」
昨日からの言動で気づいていたけれど、雲母はあいつを気に入ったらしい。
「ジジィと似てるって?」
「まさか、似てはおりません。ですが、相手が誰であろうが、目の前にいる悩んでいる者を助けようとする姿勢は、朱門に通じるところがあるなと」
「僕にはその姿勢がないって?」
「そうではありませんよ。ただ、順序が逆なのです」
雲母は部屋に入ってきて、写真立ての前で立ち止まった。
「紫苑、あなたは絵を描くために仕事をする。椿は、仕事のために絵を描く。それだけのことです」
「ジジィは後者だと」
「いえ、朱門にとっては並列です。あのひとは、絵がなければ生きていけなかったでしょうし、妖を助けようという気持ちも同じぐらい強かった」
つまり僕はどうやっても祖父にはなれないということなのだろう。ため息をついて窓を閉じる。
「紫苑」
雲母の指が写真立ての埃を払っていた。
「ないものは、補えば良いのですよ」
薊と似たようなことを言っているのは理解できた。もう一度ため息をつく。
「どうやって」
「さて、それは教えるものでもないでしょう」
それだけ言って謎の微笑みを残して、雲母は部屋を出て行ってしまった。夕飯の支度があるとか言って。薊のことを伝え忘れたけれど、きっと彼のことだからわかっているだろう。
雲母も薊も、お節介だ。昔から。
もう一度部屋を見渡すと、普段しまっているはずの抽斗がすこし開いていた。古い家具だからゆるみでもしたのだろうかと近づくと、その中に懐中時計が収められているのが見えた。
何げなしに手に取る。随分古いものだ。もう動いてもいない。
ひっくり返すと『Mayumi.F』と刻印が入っていた。誰かからの贈り物だろうか。女性の名前に思える。
そういえば写真立てのひとつに、知らない女性の写真があったことを思い出す。祖父はずっと独身だったから、勝手に恋人かと思っていたけれど、その人からなのかもしれない。
戻しておこうとしたとき、指先に静電気のようなものが走った。驚いて落としてしまいそうになったものの、チェーンがうまく指に絡みついて落下は免れた。良かったともう一度、懐中時計を握る。
なぜか、僕の手にそれがとても馴染んだ気がした。というか触ると不思議と落ち着く。祖父のものだからだろうか。今まで積極的に祖父の物には触れないできたけれど、ほんとうはそういう気持ちがあったのだろうか。
しばし悩んで立ち尽くす。窓は閉めたはずなのにふわっとあたたかい風を頬に受けた。
祖父は、誰に対しても、やさしいひとだった。
抽斗をゆっくりとしまった。懐中時計は僕のポケットに、そっと、しまう。