「ねえ、中、入ってもいいかな」
「ああ、そうね。やだあんたまだ靴も脱いでないじゃない。
早く手を洗ってきなさい。
風邪でも引かれたら大変なのはお母さんなんだから。
うがいも忘れないでね。そのままご飯食べちゃうでしょ?
私もまだ飲み足りないし何かおつまみでも作ろうかしら」
汚い。
人間なんてみんな自分勝手で自己中で、ものすごく汚い。
いますぐこの場所から離れたい。
一人になりたい。
それでも私にはこれから母親の愚痴を聞く役目が待っている。
そんな義理なんてないし私には関係もないけど、それでもあの人たちの間に生まれてきてしまったから。
望んで二人の間に生を受けた訳じゃない。
だけどあの人たちの家族になってしまった以上受け入れるしかない。
「はあー」
ついたため息は白く濁ることもなく、吐き出されたのかもわからないまま何処かへと消えていった。
手を洗ってブレザーをハンガーにかけてからリビングへと降りていくと母親は用意された食事の向かい側にすでに陣取っていた。
聞きたくない。
さっさと食事をすませて部屋に戻りたい。
だけど目の前に座っている母親は逃がさないとでも言うかのように私のことを見つめている。
「華はあの人のこと好き?」
あの人。
昔は違った。
私が中学に上がるまでは母親は父親をお父さんと呼んでいた。
それがいつの間にかあの人に変わった。
それからすぐに私も父親のことも母親のことも『お父さん』とは『お母さん』とは呼ばなくなった。
多分この人たちはそんなこと気にも留めてない。
お父さん、お母さんと呼ばなくなったのと同時に私からこの人たちに話しかけることもなくなったからきっと気づいてもいないんだ。
「何、急に」
母親はだらしなく頬杖をつきながら首だけを上へと向けて器用に焼酎をあおぐ。
私も用意された食事を食べ始めることにした。
「いいから答えてよ。お母さんは嫌いよ。
私のことを見てくれなくなったあの人なんて。
勝手にすればいいのよ。
女のところに転がり込むなりなんなり好きにすればいい。
もう嫌なの。
惨めな思いであの人のこと待つのにホトホト疲れちゃった」
「だったら何をそんなに怒ってるの」
聞きたくない。
興味もない。
だけど溜めたものを吐き出し切らないと解放してくれないことを私は知ってる。
ただ解放されたいが為に話題を振る。
「あんた、友達少ないでしょ」
そんなことあんたに関係ないでしょ?
さっさと吐き出して私を解放してくれ。
「ごめんごめん。悪気はないのよ。
だからそんなふうに睨まないでちょうだい。
華にまでそんな目を向けられたらお母さん一人ぼっちになっちゃうじゃない」
母親はうんざりそうに顔を振ってからまた焼酎をあおぐ。
なんであんたがそんな顔をする?
うんざりなのは私だ。
聞きたくもない愚痴を聞かされて挙げ句の果てに友達が少ないなんて。
どうしてそんなことを言われなきゃならないんだ。
「何話してたっけ?あ、そうそう。
何をそんなに怒ってるかよね。そりゃ怒るわよ。
俺がおまえを幸せにするとか言っといて自分から裏切るなんて詐欺よ、詐欺。
私の何が気に入らないのよ。
毎日きちんとご飯の用意して家のことも一人でやって。
自分のことなんて後回しにして尽くしてきたのになんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないの?
許せない。
私の人生を滅茶苦茶にしたあの人が憎くて仕方ない」
そんなの自分の責任じゃないか。
そもそも誰かに幸せにしてもらおうってのが間違ってる。
誰だってみんな自分が一番大切なんだからそんな言葉を信じたあんたにも責任はある。
「それで?華はどうなのよ。
あの人のこと好き?嫌いよね?
私たちを裏切って他の女のところに行ったあの人のことなんて嫌いでしょ?」
「どっちでもない」
だらしなく座っていた母親の顔が興奮でみるみる赤く染まっていった。
「どっちでもないって何よ!
まさかあの人の味方をするんじゃないでしょうね?
あなたを育てたのは誰?
オムツを替えてご飯を作って、世話してきたのは私!
他でもない私よ!!」
「落ち着いて。別にあの人の味方をする訳じゃないよ。
ただなんとも思わないってだけ。
お金さえ家に入れてくれればそれでいい。
他に何も期待してないから」
「冷めた子ね」
そう言いながら残りの焼酎を一気に飲み下す。
「まあいいわ。あの人の味方じゃないならそれで。
華も気をつけなさいよ。男なんてみんな一緒。
最初は優しくてもどうせ裏切るのよ。
結婚して誓いをたてたってなんの意味もないの。
どんなに尽くしても飽きれば他のところへ行っちゃうんだから」