「あの……それ、やろうか?」

唐突に、控えめな声が左から聞こえ、僕は驚いた。

それは新学期が始まってから二週間ほどたったある日、彼女が僕に向けて初めて発した言葉だった。

「え……!あ、いや、大丈夫!……です」

恐る恐る声をかけてきた様子から、勇気を出して言ってくれたことがわかる。にもかかわらず、そんな彼女の親切な申し出を、僕は驚きのあまり断ってしまった。

なにが大丈夫だ。右手にギプスをはめている状態で、模試の申込み用紙を切り離そうと苦心している様子は、さぞ滑稽こっけいに見えるだろう。

けれど、普段の僕にとって、周りからどう見られるかというのは大した問題ではない。それなのになぜか、断ってしまったあとの彼女の反応が気になってしまった。

隣の席で二週間を過ごす中で、彼女は自分から前に出ていくタイプではないということはわかっていた。彼女は、授業中は必死にノートを取っているし、教室に落ちているゴミをさりげなく拾う姿も何度も目にしていた。

だからこそ思う。彼女は今、本当に困っている僕を見て勇気を出して声をかけたの

だ。彼女の遠慮がちにうかがうような声色からそのことは容よう易いに察することができる。

そんな申し出を断ってしまったことを、僕は申し訳なく思った。素直に甘えるべきだったと後悔しても、もう取り返しはつかない。

僕は、彼女に顔を向けられずに、できるだけ手早く、少しだけ痛みを我慢しながら右手で紙を押さえ、左手で切り取った。

――親切に声をかけてくれてありがとう。

頭の中で、そう言えと強い口調で命令する自分がいる。

しかし、また別の自分によってその命令は退しりぞけられることになった。

――会話もしたことないのに、いきなりそんな言葉を口にするのは恥ずかしいな。

そんなことを考えて僕は、やっぱり彼女の顔を見ることができないままだった。