そのときふと、僕の頭にあるひとつの考えが浮かんだ。  


│森下さんになら、記憶喪失のことや、両親のことを話せる。

むしろ、話したい。
彼女がこの話を聞いてどう思うのか、知りたい。



「……日比野くんの、家族のお話も聞きたいな」
 
そんなことを考えていたら、森下さんのほうから聞いてくれた。

彼女は上目遣いで、遠慮がちに僕を見ている。

どう切り出そうか考えていた僕は、心の中で彼女にお礼を言った。
 
僕は、森下さんに自分の境遇を話した。

両親を事故で亡くし、今はじいちゃんとふ たりで暮らしていること。
事故で頭を強く打ち、小学生の頃の記憶がすっぽりとなくなっていること。
 

彼女は、僕のたどたどしい説明を、うんうんと頷きながら、さえぎることなく聞いてくれた。


その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
 
記憶がないせいで、僕は両親のことで悲しみ、涙することはない。

だから、その涙は森下さんが僕の代わりに流してくれているように思えた。

そう思うと、僕も少し泣きそうになった。
 


森下さんが泣かなくてもいいのに、という気持ちと、僕に気持ちを寄せてくれているように思えて嬉しい気持ちが入り混じる。



「……記憶、戻るといいね」
 


今までその言葉を僕に言った人はたくさんいたが、心から言ってくれていると感じたのは、じいちゃんと相良以外では彼女が初めてだった。



「ありがとう。


……実は、自分の記憶なんじゃないかって思う夢を、最近見ていてね」



「えっ、それってどんな夢?」
 
彼女は興味深そうに僕の座っている方に身を乗り出した。
 
僕は、唯一の手がかりだと思っていたあのリアルな夢が、いつも同じことに辟易していた。毎回図書室で絵を描いているだけだったのだ。


そして、自分の記憶が戻ることをほとんど諦めていた。

その感情を伝えると、彼女は大きく首を横に振った。


「だめだよ、諦めちゃ。

忘れていても、確かに日比野くんが過ごしてきた大切な時間だから。

その中でしかなかった誰かとの出会いや、思い出があるはずだから」
 
そして、確信を持つ表情でこう付け加えた。





大丈夫。諦めずにいる限り、記憶が戻る日が必ず来るよ、と。