静かな目覚めだった。窓からは温かみのある日の光が差し込んでいる。

僕は天井を見つめたまま、夢で見ていた光景を思い返していた。教室の様子や、転校生の女の子の姿。これほどはっきりと思い出せることはめずらしい。

僕には、小学生の頃の記憶がまったくない。両親と旅行に出かけたときに事故に遭い、両親と、一部の記憶を失った。それから僕は、祖父とふたりで暮らしている。

だから、夢の中の出来事は本当にあったことなのかは確かめようがない。しかし、転校生に声をかけられず絵を描いているのは僕そのものだったし、一度体験した出来事なのだという感覚はあった。だから僕は、この夢が本当にあった出来事を再生したものなのだと信じていた。

別に、一部の記憶がないからといって不便なことはなにもない。

ただ、ぽっかりと記憶が抜け落ちている感覚は、気持ちが悪い。例えば最近、自分の部屋の中から難なん解かいそうな分厚い医学書が出てきたときには、とても驚いた。なんで

こんなもの持ってるのだろうと思った。

そして、時々どうしようもなく不安になることがある。

自分の失った記憶の中にしかない、大切なことを忘れてしまっているんじゃないかと。例えばそれが僕にとってとても大切な人だったら……とか、誰かと交わした約束があったらどうしよう……とか。

考えすぎだと言われそうだけど、その可能性がゼロではない限り、僕はその不安を消せずにいる。

そんなときに記憶のない頃の自分が夢に出てきたきたら、実際にあったことだと思うし、自分のことを思い出せたような気になってしまう。

一通り考えを巡らせた僕は、起き上がって窓を開けた。見上げると、吸い込まれそうになるほど澄んだ青空が広がっていた。

――あの転校生と僕は、なにか関わりがあったのだろうか。

あの夢が本当に僕が体験した出来事なら、彼女は今、どこでなにをしているのだろうか。同じように青空を見上げていたりするのだろうか。また、夢の続きが見られるといい。

春の空気を胸いっぱいに吸い込み、ふう、と吐き出した。時計を見ると、まだ目覚ましが鳴る三十分も前だった。

普段は寝起きが悪いくせに、昔から特別な日には自然と目が覚める。今日は、一学期の始業式だ。高校生活最後の一年が、始まろうとしていた。