その頃見る夢の中で、私は公園で女の子に物語が書かれたノートを渡していた。

部活の夏合宿が始まる二日前のことだ。


私は、彼女の物語のおかげで、誰かのためにがんばりたい気持ちが芽生えたこと、

自分の可能性を見つけられたことに対して感謝の言葉を伝えた。



 すると彼女は喜び、合宿に役立ててほしいと、物語の続きを少しだけ教えてくれた。



 そしてふたりはゆびきりをして、合宿後にまた会う約束をして別れた。




夢でも現実でも、私はふたりで絵本を作るということをしていたけれど、現実の夢とは大きく違うところがある。


それは、物語を描く人と絵を描く人が公認の間柄ではないということ。


私も、夢の中のように、この物語の話を一緒にしたい。気持ちを共有したい。


その思いを止められず、私は勇気を出して彼にもう一度話しかけた。


公園でゆびきりをした夢を見た、翌日のことだ。



「日比野くんの絵、すごく素敵だね」


言っていることは前と大して変わってないけれど、状況が違う。


昼休みの図書室。

私は、彼が絵を描いているそのときを狙って、彼に話しかけたのだ。

彼は、私が書いた物語の隣のページに、前のめりになって描いていた。

よほど集中していたのだろう。

声をかけるまで気が付かなかった彼は、前傾姿勢のまま首だけ上げ、ポカンと口を開いていた。


「あ、ありがとう……」

そして、数秒硬直したのち、小さな声でそう言った。その反応も、前と変わらない。


でも、今日は逃げたりはしなかった。


「これは、絵本?」
 私は、彼の隣に座り、知らないふりをして尋ねる。


「うん。でも、僕が描いてるのは絵だけなんだ。
物語は、誰かが書いてる」


 ふーん、と私は答えた。


「誰が書いてるかわからないの?」


「そうなんだ。でも、この物語はすごく好きだよ。


書いてる人はきっと自然や動物、それに物語そのものが大好きな人なんだと思う。


あと、すごく優しい人だ。

争いを好まず、人から攻撃されたとしても決して反撃したりしない。

相手のことを思いやれる人だと思うんだ」



彼は、物語を書いているのが私だと気付いているはずだけど、あくまでも気付いてないふりをするようだ。


やっぱり彼は、人を騙したり嫌がらせに便乗する才能がないのだと思う。


これには私も照れてしまった。そんな風に思ってもらえていたなんて。恥ずかしくて、でもとても嬉しい。

「それにこの物語は、僕にとっては他人事には思えないんだ。

だから僕は、この物語に絵を描きたいと思った」


この言葉を聞いて、私はずっと聞いてみたいと思っていたことを尋ねてみた。


「じゃあ……その人が、誰か知りたい?」


「え? ……う、うん。

そりゃ知りたいけど、どうやって知るの? 

名前も書いていないんだし、その人も知られたくないのかも……」


彼は、少なからず動揺している様子だった。

もしかしたら私がここで「それは私だよ」なんて言うと思ったのだろうか。


気付いていないふりをする日比野くんの前で、直接そうは言えなかったけど、私には考えがあった。

「簡単だよ。

ノートの持ち主に書いて聞けばいいんだよ。


表紙に【だれ】って書いてみて。


その人が教えてくれる気になったら、それに答えてくれるはずだよ」


「な、なるほど……」


彼は、表紙に小さく【だれ】と書いた。


私は彼の素直さに思わず「ふふっ」と笑うと、その【だれ】に続けて【かの】と書いた。

彼はその様子をぽかんと見ていて、そしてわざとらしく笑う。


そう。『誰かの』。


これは確かに誰かのものだ。


私たち以外にはそういうあいまいなニュアンスしか伝わらない。


でも、私たちにとっては特別な言葉だ。


彼と私が、勇気を出してお互いに一歩歩み寄った、

証だ。

それから私たちは、友達になった。


立樹くんは、私のペースに合わせてしゃべって
くれた。


そもそも、彼自身もあまりしゃべるのが早くはなかった。


ノートを交換する方法はあいかわらず図書室に隠すという方法だったけれど、お互いの物語と絵はしっかりと相手に届いている。


なんだか夢の中の自分に、近づけた気がした。


立場は、逆だけれど。


あるとき私は、

彼に『私がものを隠されたりすると次の日わかりやすいところに置いてあったりするんだけど、これは誰がしてくれてるんだろうって気になってるん
だ』


と「カマ」をかけてみたことがある。


彼は困った表情をしてから、ちょっと考えるそぶりをして、それから、

『持ち物に【だれ】って書いとけばその人も答えてくれるんじゃないかな』

と冗談ぽく言った。


そこまで言ってはぐらかそうとするのか。

そう思って私は少し呆れたけれど、それよりも彼が私に冗談を言ってくれたことが嬉しかった。


なんだか、心を開いてくれているみたいで。


私たちは、人目につかないときを選び、図書室でよく物語の話をした。

そしてあるとき私は、いつも書いている物語は今見ている不思議な夢がもとになっている、という話をした。


すると彼は興味を示したようで、『詳しく知りたい』と言ってきた。


でも、学校では十分に話せる時間はとれない。


そこで私たちは、〝だれかのノート〞を持って放課後に公園で待ち合わせることにした。


お互いの家が近所だということはもうわかっている。


私にとって友達と待ち合わせをするのは、初めての経験だった。


彼のほうが来るのが早かったようで、すでに公園にいた。


私はドキドキしながら手を振ってみた。



彼も、振り返してくれた。



……嬉しかった。

ノートは、立樹くんが図書室から持ってきてくれた。

ベンチにふたりで座ると、彼は新しく描いた絵を見せてくれた。

白鳥が、シベリアの上空を悠々と飛んでいる絵。


夕焼け空が本当に綺麗で、毎回感動している私がいる。


「ありがとう。

白鳥の表情がすっごくすてきだね」

私がそう言って足をパタパタさせると、彼も嬉しそうだった。


それから私は、彼にあの奇妙な夢のことをゆっくりと話した。

彼は私の遅い口調に苛立ったりせず、
興味深そうに何度も頷きながら話を聞いてくれた。


それが、なにより嬉しかった。


彼は、女の子の私が男子高校生になる夢を見たと言っても全然驚いていなかった。




もしかして彼も、夢の中で性別の違う自分になったことがあるのかもしれない。