母が亡くなったのは、兄が高校1年のときだ。

その時点で彼は、もう自分が受験をすることはないとわかっていたに違いない。

まだ中学にも上がらない私を抱えて、家のこともお金のことも妹のことも考えなきゃならなくて、自分を後回しにすると決めた兄。


大学に行きたかったと思う。

私たちの父は銀行マンだった。

画用紙で作った鞄とネクタイで、その父の真似をして並んでいる小さな兄の写真が残っている。


卒業して4年もたつのに、こうやって高3の勉強を見ることができるなんて、当時どれだけ真面目にやっていたかの証拠だ。

受験という目的もなかったのに。

いったいどんな気持ちで、毎日高校に通っていたんだろう。



「でもこれは、目的語が名詞の場合のときだけで…っておい、聞いてるのか」

「聞き惚れてるよ」

「落ちるぞ」

「それだけは言わないでえ!」

「泣くくらいなら勉強!」

「してるって、ばっちりなんだって英語を除けば」

「それはばっちりとは言わない」

「鬼!」



半分くらい本気で罵る私を、兄は笑ってからかった。





「1年のときのサイドリーダーって持ってる?」

「いやー、捨てたなあ、なんで?」



昼休みにみんなとバスケに行こうとする靖人を引き止めて訊いた。



「そこからやり直せってお兄ちゃんに言われてさ、教科書とノートはあったんだけど、サイドリーダーがなくて」

「誰か持ってんじゃね? おーい」



ボールをぶつけ合いながら出て行こうとしていた男の子たちに、靖人が声をかけた。



「俺持ってるから、あげるよ」

「いやでもお前、英語できるじゃん? もっとバカな奴のほうが保存状態いいと思うんだよね、お前とかどう」

「お察しの通り、新品同様だったから売ったわ」

「売れんの、あれ?」