まだ誰もいない美術室に入った瞬間、緊張がとけたせいか全身の力が抜けて、へなへなと床に座り込んでしまう。

持っていた荷物を胸に抱き締めるようにして、ついさっきのやりとりを思い出した。


彼方くんが私を呼んでくれた。

私のことを知ってくれていた。

部活をがんばってと応援してくれた。


ふ、と唇から息が洩れる。

嬉しいのに、苦しくて切なくて、呼吸がうまくできなかった。


座り込んだまま、窓の外に目を向ける。


陸上部の練習が始まっていた。

彼方くんはウォーミングアップのためにグラウンドを軽く走っている。

風をまとったように軽やかに。


隣に他の部員が並ぶと、にこやかに笑って、風を楽しむように微笑みながら走る。


心から走ることが好きなんだろうな、とその表情を見るだけで伝わってきた。


あのひとが、ついさっき、私の名前を呼んで話しかけてくれた。

そして笑いかけて、手を振ってくれた。


彼方くんが近くなった、と思った。

でも、遠かった。


遠く、遠く、近づいてはいけないところに、彼はいるのだ。

遠くなくてはいけないのだ。


私は必死に、何度も何度も自分に言い聞かせた。