「彼方ー!」


騒がしい教室の中に、ひときわ明るくて大きな声が響いた。

よく通るきれいな女の子の声だ。


見ると、大きな目の可愛い女の子が、ほんのり茶色い髪を巻いたふわふわの髪を揺らしながら、ぱたぱたと彼方くんに駆け寄るところだった。

彼女は弾けそうな明るい笑顔で彼の腕をつかむ。


「ねえねえ彼方、次の予習してきた? ちょっとノート見せて!」

「いいよ。俺、字汚いけど、それでもいいなら」

「ええー、全然汚くないよー」


彼女は嬉しそうに微笑みながら彼のノートを受け取り、大切そうに胸に抱えた。


きっと彼方くんのことが好きなんだろうな。

そういうことは、不思議と分かってしまう。

知りたくもないのに、彼に想いを寄せている女子のことは、見た瞬間に分かってしまう。


「ありがとね、彼方」


彼女は彼の名を呼んで、くすぐったそうに笑った。


彼方くん、と私も心の中で呼んでみる。

もう、何度そう呼んだか分からない。


でも、私はその名前を口に出したことは一度もない。

そもそも、彼と直接口をきいたことすらない。


私は彼の名前を、心の中でひっそりと呼ぶだけ。


誰にも聞かれたくないから。


でも、こうやって心の中で呼ぶくらいは、許してほしい。