◇ ◇ ◇
暦の上で秋がはじまったのは一ヶ月ほど前のこと。とはいえ、九月はまだまだ真夏のように暑い。一ヶ月半ぶりの制服は思った以上に暑苦しく、まだ家の中にいるのにカッターシャツがベタベタと体に張り付いてくる。
今日から高校二年の二学期が始まる。つまり、あと一年半で卒業を迎えるということ。そう、あと一年半で自由になれるんだ。
部屋の鏡で身だしなみを整えながら、自分の顔を見つめた。
頬に痛みは残っているけれど、見た目ではあまりわからない。少し口端が切れていて、瞼が腫れている程度だ。一目で分かるような痣がないことにほっとした。
支度を終えて、本棚からハードカバーの本を取り出す。
小学生の時に母から与えられた、キラキラと煌くような夢の詰まった翻訳小説。家族を愛するだとか夢を大事にしろだとか、綺麗ごとしか綴られていない、大嫌いな物語。その一番最後のページに挟んでいる白い封筒を手に取った。
それは、一年半前“社会勉強と好きなゲームや漫画を自由に買うため”にバイトを始めたときに作った通帳とキャッシュカードだ。残高は五十七万円。
昨日と変わらない数字を確認して、次は違う棚にある父から誕生日に贈られた参考書を手にした。その中に挟んでいる封筒の中は現金だ。こちらも昨日と変わらず三十六万円。
今の自分にとって一番の宝物であり心の拠り所でもあるそれを、大嫌いな本の中に挟んでいるのは、ただ隠すのに便利なだけ。
母は子供の全てを把握しなければ気が済まない性格だ。
見るからに大事そうな箱の中なんかに入れておくと、勝手に部屋に入ってきて物色する母に見つかってしまう。
こんなものが見つかれば『なんのためにこんなにお金を貯めているの』と母に問いつめられるだろう。『子供にこんな大金は必要ない』とお金もバイトも失うかもしれない。
それだけは避けなければならない。父にバイトを認めてもらうまで、何回も殴られ何度も土下座して頼んだのだ。あの苦痛と努力が無駄になってしまう。
両親からもらった本なら飾っていても問題がないし、堂々と置いてある本をひっくり返してまで探らないだろうと思って選んだ。
今のところその考えは正しかったようだ。見つかった様子はない。
大丈夫だ、順調だ。もう少しだ。
すうっと息を吸い込んでから、吐き出す。目を瞑って、ゆっくりと開く。そして全てを元通りに直してから部屋を出た。