いやいいよ、ありがとうと小さく手を振って、もとクラスメイトと別れた。しばらく歩いてから首を後ろに回すと、今現在の友だちと笑いながら話しているあの子の横顔が見える。つい一年前まであんなにあたしを慕ってきたのに、彼女は今話したばっかりのあたしの存在をもう忘れている。

 それにしてもこんな時に限って栄嗣に会えないなんて。

 他に行き場もなくて仕方なく自分の教室に足を向ける。昼休みの廊下はあちこちで能天気な笑い声がしゅわしゅわと炭酸水みたいにはじけてて、スポーツドリンク並みに爽やかな笑顔たちがお腹の底をチクチク刺した。ここにいる誰も、いくら説明したってあたしが抱えているモヤモヤぐちゃぐちゃをわかってくれるわけない。でも栄嗣ならわかってくれる、栄嗣だけは、きっと。だからどうしても今、栄嗣に会いたいのに。

 下を向いて歩く視界の端に見覚えのある文字が映る。ピンクのマッキーで描いたあたしたちのアイアイガサ。付き合いたての頃に栄嗣の上ばきに落書きして、何やってんだよって笑いながら怒られたっけ。

ピンクのマッキーで彼氏の上ばきに自分とのアイアイガサを描けば二人はずっと両思いだって、今冷静に考えればそんなことで栄嗣の心が繋ぎ止められるわけもなかったのに、その時のあたしは和紗から聞いたそのおまじないをなんの疑いもなく信じてた。

「栄嗣」

 名前を呼ぶ。振り返る。

 栄嗣の隣を歩く高岡とかいう男子がこっちを見て、足を止めた栄嗣のブレザーの袖を引く。中学生にしてはしっかりしている栄嗣の肩がぴく、とかすかに動いた。

 栄嗣は振り向かなかった。

 袖を引く高岡の手を乱暴な動きで振り払い、早足で歩きだす。

「栄嗣」

 もう一度呼ぶと栄嗣の足はもっと速くなった。あっという間に遠ざかる大好きな背中。

 何が起こったのかわからなくて茫然とその場に立ち尽くす。

 なんでこっちを見てくれないのなんであたしに向かって笑ってくれないのなんでおぉっエリサじゃんって言ってくれないのなんであたし彼女でしょなんでなんでなんで???

 動けないあたしの右斜め後ろに誰かの肩がぶつかる。

「おい! 邪魔なんだよ!」

 鋭い声に我に返ってすごすごと壁際に退散し、ひんやり冷たい廊下の壁に背中を預けた。誰もが笑顔で通り過ぎていく昼休みの廊下。悲しいことや苦しいことなんてこの世にあるわけないって思い込んでるようにはしゃぐ同級生たち。

 あたしだけが顔色を失って、指先まで冷たくして、立ちすくんている。