「どうする?」

 和紗がおずおずと目を上げて言う。桃子が苦い顔でつっけんどんに答える。

「どうするも何も行くでしょ。こんな手の込んだことされて無視するわけにいかないし」
「もしそこに文乃がいたら?」

 和紗が聞いた。明菜が俯いて低い声を出した。

「言わなきゃ、ちゃんと。うちらはもういじめには加わらないって」

 いじめっ子を卒業すること、それは即ち友だち一人を裏切ることだった。多勢に無勢、一人ぼっちになったエリサにいじめを続ける力はない。トロくて暗くて大っ嫌いな文乃と、ウザいけどたしかに友だちだったエリサ。どちらを大切にすべきかはわかっている、でも今自分たちがしなきゃいけないこともわかってる。

 引き返すなら今しかない、これ以上エリサに流されてたら大変なことになる。みんなとっくに目が覚めていた、もうあたしたちにとってのエリサは女王様でもお姫様でもないし、自分たちのやってたことがヤバイってちゃんと知ってる。トイレに向かう間、誰も何もしゃべらなかった。鉄アレイを飲み込んだような重苦しい沈黙が四人を支配していた。

 第二校舎の一階は理科室とか被服室とかの特別教室ばっかりで、授業中も放課後もほとんど人通りがない。隅っこにぽつんとあるトイレは内緒の話をするには絶好のロケーションで、ちょっとした告白スポットとして知られていた。運命に後押しされたように、教室からここに来るまでの間、誰にも会わなかった。

 女子トイレのドアは閉まっていた。目の高さについた十五センチ四方の窓はすりガラスで、中の様子はわからない。一番前にいた明菜が取っ手に手をかける。唾を飲むような一瞬の間の後、一気に開けた。和紗が反射的に後ずさった。

「何やってたの。遅かったじゃん」

 振り向いたエリサは今日もばっちり化粧も巻き髪も決まってて、バラ色の唇で本当に楽しそうに笑ってた。そのすぐ後ろ、トイレの壁に背中を預けて、文乃が座っていた。というより立ち上がる力がなく、倒れそうなのをかろうじて半身起こしてるだけに見えた。

 膝下丈のスカートがめくれて擦り傷を作った足が現れた。頬にもべっとり赤黒いものがくっついてる。前髪に半分隠れた目は相変わらず暗くていろいろ諦めていて、そして屈辱にぎらぎらしていた。

「エリサ、何してんの」

 和紗の声が上ずってた。誰も女子トイレの入り口で固まったまま、動けない。明菜はドアを開けたままの姿勢で硬直し、腕を小刻みに震わせてる。和紗は首まで真っ青にしている。桃子は汚いものを見せられた時のような顔で俯いていた。

 眩暈がした。エリサがわがままなのも自己中なのも残酷なのも、人の痛みなんかわからない人間だってのもちゃんと知ってる。だけど、まさかここまでだなんて。文乃を殴ったり蹴ったりするエリサを想像して、吐きそうになった。どうやらあたしの意識の底にはまだ、小学校の始業式で無邪気に話しかけてきたエリサのイメージがしつこく焼き付いていたらしい。エリサがこんなことする子だって、深層心理で受け入れられずにいる。