増岡に急かされるように文乃が自分の席に歩み寄る。慎重な動きでスクバを机に置き、おそるおそるって動作で右手を中に入れる。文乃、だめっ。熱くなった喉の奥で叫んでた。視界の端でエリサが笑ってた。とても楽しそうに、ひどく残酷そうに。
べちゃっと音がしてリノリウムの床の上に黒い塊が現れる。明菜と和紗がきゃっと悲鳴を上げ後ずさり、教室のあちこちで息をのむ音がした。あたしが予想していたものが、案の定、文乃の足元に転がっていた。文乃は何が起こったのかまだ頭が事態に追いついていないらしく、それを掴んでしまった自分の手と床の上の黒い塊を交互に見ていた。
エリサが立ち上がる。上手にカールさせた茶髪が文乃に近づいていく。だめ、エリサ、それはだめ。やめて。エリサの制服の袖を引っ張って制止しようとしたけれど、動けない。言葉が出てこない。
止めなければと焦る気持ちの裏側で、エリサが堕ちていく様を見ていたい残酷なあたしがいた。
みんなの注目を集める文乃を前に、エリサはいつものごとく嫌味を言う。
「うっわぁー、何? 高橋さん、机にこんなもの入れてるの? やっだぁー」
瞬間、教室内の空気の質が変わる。正体不明の臭い、文乃の机に仕舞われていたウンコ。あんまりのことに文乃と同じく戸惑ってたみんなが、一斉に事の真相に気付いた。
ひんやりした視線がエリサを囲む。終わった。これでエリサはもうダメだ。思わず目を閉じていた。すぐそこにある現実から逃げた。
罪悪感をまったく覚えずにいじめを繰り返すエリサだけど、いじめ方はちゃんと心得ていたはずだった。どこまでがセーフでどこからかやり過ぎか、いつも冷静に見極めていて、ここを踏み込えたらアウトってラインを守っていた。
それがどうしたわけか、いつのまにかエリサは正常な判断力を失っている。これ以上はやり過ぎだ、っていうのがわからなくなっている。そして度を超えたいじめをするエリサは、みんなの代役として嫌われ者の文乃を処刑する美しき女王様じゃなくて、ただのイカれた女として認識されるだろう。
誰もがエリサに引いていた。心からいじめを楽しんで、マンガの中でしか許されないこと、普通はしないことを、あっさりやってのけてしまうエリサに。いつもなら誰かが立てるクスクス笑いや面白がって文乃をからかう声は、一向に起こらない。肌に馴染まない空気が自分を取り巻いているのをようやく察したのかエリサのきれいな顔が歪む。そして焦りを隠すように言葉を連ねる。
「高橋さん、これ何? もしかして自分の? やだぁ、高橋さん、中学二年生にもなってお漏らしでもしたのー?」
「……ああわかった違う、お漏らしじゃないよねー。高橋さん、こういう趣味があるんでしょ?知らなかったぁー」
「……ねぇねぇ、こんなことして楽しいの? あたしわかんないから、教えてよ。ウンコ収集の楽しさ。あはっ、ウケるー。ウンコ収集だって。昆虫採集じゃないんだから」
エリサが何を言ったって、もう誰も面白がって一緒に文乃を攻撃しない。だってエリサは女王様じゃなくなったから。いじめに狂い、普通のラインを踏み越えてしまった、頭のイカれた女だから。集団からはじかれるべきなのは文乃じゃなくて、エリサだから。
この一瞬を境にして、スイッチを押したように文乃とエリサの立場は変わってしまった。エリサは人気者の美少女の座からあっさり転落し、文乃は嫌われ者からむしろ同情される立場になった。
「とにかく片付けようぜ」
増岡がトイレットペーパーを持ってきてウンコを拾い、窓から捨てた。それでも臭いはしつこく教室じゅうに染みついていて、悪臭がむかむかと胃を圧迫し、今朝食べたものがせり上がってきそうになる。
ようやく自分が失敗したことを悟ったのか、エリサが凍りついた顔をこっちに向けた。助けて、と訴えるような視線。強がりで見えっぱりのエリサのそんな目を見たのはこの時が初めてで、エリサらしくない眼差しをあたしは顔を俯けて静かに無視した。ごく自然に、何も考えずに、そうしていた。
べちゃっと音がしてリノリウムの床の上に黒い塊が現れる。明菜と和紗がきゃっと悲鳴を上げ後ずさり、教室のあちこちで息をのむ音がした。あたしが予想していたものが、案の定、文乃の足元に転がっていた。文乃は何が起こったのかまだ頭が事態に追いついていないらしく、それを掴んでしまった自分の手と床の上の黒い塊を交互に見ていた。
エリサが立ち上がる。上手にカールさせた茶髪が文乃に近づいていく。だめ、エリサ、それはだめ。やめて。エリサの制服の袖を引っ張って制止しようとしたけれど、動けない。言葉が出てこない。
止めなければと焦る気持ちの裏側で、エリサが堕ちていく様を見ていたい残酷なあたしがいた。
みんなの注目を集める文乃を前に、エリサはいつものごとく嫌味を言う。
「うっわぁー、何? 高橋さん、机にこんなもの入れてるの? やっだぁー」
瞬間、教室内の空気の質が変わる。正体不明の臭い、文乃の机に仕舞われていたウンコ。あんまりのことに文乃と同じく戸惑ってたみんなが、一斉に事の真相に気付いた。
ひんやりした視線がエリサを囲む。終わった。これでエリサはもうダメだ。思わず目を閉じていた。すぐそこにある現実から逃げた。
罪悪感をまったく覚えずにいじめを繰り返すエリサだけど、いじめ方はちゃんと心得ていたはずだった。どこまでがセーフでどこからかやり過ぎか、いつも冷静に見極めていて、ここを踏み込えたらアウトってラインを守っていた。
それがどうしたわけか、いつのまにかエリサは正常な判断力を失っている。これ以上はやり過ぎだ、っていうのがわからなくなっている。そして度を超えたいじめをするエリサは、みんなの代役として嫌われ者の文乃を処刑する美しき女王様じゃなくて、ただのイカれた女として認識されるだろう。
誰もがエリサに引いていた。心からいじめを楽しんで、マンガの中でしか許されないこと、普通はしないことを、あっさりやってのけてしまうエリサに。いつもなら誰かが立てるクスクス笑いや面白がって文乃をからかう声は、一向に起こらない。肌に馴染まない空気が自分を取り巻いているのをようやく察したのかエリサのきれいな顔が歪む。そして焦りを隠すように言葉を連ねる。
「高橋さん、これ何? もしかして自分の? やだぁ、高橋さん、中学二年生にもなってお漏らしでもしたのー?」
「……ああわかった違う、お漏らしじゃないよねー。高橋さん、こういう趣味があるんでしょ?知らなかったぁー」
「……ねぇねぇ、こんなことして楽しいの? あたしわかんないから、教えてよ。ウンコ収集の楽しさ。あはっ、ウケるー。ウンコ収集だって。昆虫採集じゃないんだから」
エリサが何を言ったって、もう誰も面白がって一緒に文乃を攻撃しない。だってエリサは女王様じゃなくなったから。いじめに狂い、普通のラインを踏み越えてしまった、頭のイカれた女だから。集団からはじかれるべきなのは文乃じゃなくて、エリサだから。
この一瞬を境にして、スイッチを押したように文乃とエリサの立場は変わってしまった。エリサは人気者の美少女の座からあっさり転落し、文乃は嫌われ者からむしろ同情される立場になった。
「とにかく片付けようぜ」
増岡がトイレットペーパーを持ってきてウンコを拾い、窓から捨てた。それでも臭いはしつこく教室じゅうに染みついていて、悪臭がむかむかと胃を圧迫し、今朝食べたものがせり上がってきそうになる。
ようやく自分が失敗したことを悟ったのか、エリサが凍りついた顔をこっちに向けた。助けて、と訴えるような視線。強がりで見えっぱりのエリサのそんな目を見たのはこの時が初めてで、エリサらしくない眼差しをあたしは顔を俯けて静かに無視した。ごく自然に、何も考えずに、そうしていた。