「うわーひっどい。猫って車が来てても平気で道路に飛び出すからすぐああなっちゃうんだよねぇ。脳みそちっちゃいから知能も低いんじゃない」

 その時はみんな、可哀想でグロテスクな猫のことに気を取られてエリサを冷たいとか非情とか思うことも忘れてたけど、今思えばあんな光景を目の前にして普通に笑えるエリサはちょっとおかしいのかもしれない。

 たとえばホラー映画とかの拷問シーンに出会った時つい自分の両肩を抱きしめたくなったり、社会の調べ学習の時図書室に置いてある遠い昔に起こった戦争の記録写真集を開いて大量の死を直視できず思わずパタリと本を閉じたり。そういう心の動きがエリサには著しく不足しているんじゃないのか。

 そんなことを考えていると、増岡の不機嫌そうな声が耳に飛び込んできた。

「なぁ、なんか臭くね?」

 その言葉がやたらくっきり聞こえたのは、声と同時に異様な臭いを確かに感じたから。何かが腐っているような何かが燃えているような、いやきっとどちらも違う、教室では普通絶対しないはずの嫌な臭い。言い出した増岡たちを中心に怪訝な顔やこそこそ話は教室中に伝染していき、みんな少し不安そうに顔をしかめている。

「やだー何なのこの臭い」

 桃子がうぅと鼻をつまんだ。和紗も顔の前で手を振っている。気にすれば気にするほど臭いはひどくなっていって、みんなの鼻を不快感でいっぱいにする。

「すごい臭いだよ。うえー吐きそう」
「どこからしてんの一体」
「あっちじゃない? ほら、高橋文乃の机らへん……」

 不快な臭いに歪められた空気の中、教室のあちこちでそんな会話が交わされる。臭いのもとを突き止めた増岡たちが文乃の机を囲み、何か言い合っていた。

 頭の裏で閃光が瞬くようにぱっとひらめきがあって、瞬間的に真相がわかってしまった。思わずエリサの顔を見ると、エリサはえへっ、バレちゃった? とか言いそうな笑顔で片目を瞑る。あたしは心臓がバクバクしだしてきっと青ざめてたと思う。

 昔、うちには犬がいた。お姉ちゃんが拾ってきて反対する両親を泣いて騒いでようやく説得して飼うことになった犬で、あたしが物心ついた頃には既におじいちゃんに相当する年齢で、みずぼらしい雑種犬で全然可愛くなくて大して愛情もなかった。小六の時、毛が抜けてやせ細って死んじゃったんだけど。

そのみずぼらしい、全然可愛くない犬の小屋からしていたのと同じ臭い。それが今文乃の机から漂っていて、教室じゅうを侵食している。

 あの臭いの元が文乃の机に入ってて、そして今エリサが目の前で勝ち誇ったように笑ってる。馬鹿なあたしにだって何が起こってるのかすぐわかる。あまりにも簡単に繋がる点と点、導きだされる真相。

 エリサ、まずい。それはちょっと、うぅんものすごく、まずい。言おうとしたけれど唇が震えて心臓がドックドクうるさくて、言葉が出てこなかった。そんな中文乃が登校してくる。いつもグズでぼうっとしていて自分の周りで何が起ころうと気付かなさそうな文乃でも、さすがにこの臭いにはすぐ鼻を刺激されたらしく、前髪に半分隠れた目を見開いてしかめっ面をする。増岡が怒ったような動きでずしずしと文乃に近づいていく。

「高橋さ、お前、机に何入れたの? お前の机、くっせーんだけど」