狭い机に四人分のノートがひしめき合い、三本のシャープペンが紙をこする音が重なる。郁子も潮美も美織も真剣そのものな顔で手を動かしてるけど、誰も勉強していない。ただ宿題の答えを写してるだけ。写されてるのは、わたしのノート。英語がちょっと得意なわたしは、宿題が出る度にみんなにノートを見せてあげている。その代わり苦手な数学の宿題は、得意な郁子や潮美から写させてもらう。潮美が作業の手を止めないまま言う。
「ねー、郁子ってなんで勉強得意なのに、いつもうちらと一緒に希重の宿題写してんの?郁子なら自分でやったほうが早くない?」
「それでもいいんだけどね。やっぱ希重のノート見てると、落ち着くわけよ。この希重っぽい丸っこい字がさ、なごむんだよねぇ」
何それーと潮美に突っ込まれ、郁子がにやっとする。わたしと美織がくすくす笑う。郁子たちに囲まれたいつも通りの休み時間、こういう時は同じ教室に文乃がいること、文乃がいじめられてること、日に日に膨れ上がる罪悪感も、忘れていられる。
「シュウウゥート!!」
クラスで一番元気のいい増岡くんの声がして、みんな顔を上げて一斉に声のほうを見ていた。男子の中で一番目立つ増岡くんや小松崎くんのグループがサッカーの真似事をしている。玉になっているのはクリーム色の袋に入った体操着。増岡くんたちの近くには周防さんたちがいて、急ごしらえのボールが跳ねるたび、黄色い歓声が空気を震わす。
「うるさいな」
郁子が顔をしかめて言って、すぐに宿題を写す作業に戻る。郁子はクラスの中心グループをあまりよく思っていないらしい。郁子の一言が合図になったみたいに、潮美と美織も作業に戻った。でもわたしはぽんぽん蹴られる体操着から、目が離せない。
あれは、文乃のだ。
きっとまた、周防さんたちが文乃のロッカーから勝手に持ち出してきたんだろう。文乃の姿を探すけれど見当たらない。学校に一人も友だちがいない文乃、昼休みは教室にいないことが多いけれど、いつもどこにいるんだろう。きっと行き場なんてない、それでもここにいたくない気持ちはわかる気がする。自分の体操着があんなことになっているのを目の前で見ていたくない、当たり前だ。文乃はいじめられてる時は無表情で、泣きも怒りもしない。だからって、文乃が何も感じてないわけじゃない。ないに決まってる。
体操着はぽんぽん教室の天井近くを飛び交って、はしゃぎ声が耳につきまとう。うるささに耐えかねるように振り向いた美織が、はっと目を見開く。
「ねぇ。あれ、高橋さんのじゃない?」
え、と郁子と潮美がハモり、二人ともシャープペンを握る手を休め顔を上げる。わたしは何も言わず、さっきから所在なくえんぴつ回しをしていた手を動かし続けた。
「あ、ほんとだ。今見えたし、高橋って」
視力2・0の潮美が言う。高橋ってポピュラーな苗字は、このクラスには一人だけ。
「どうする? 先生に言ったほうがいいのかな」
美織の声は周防さんたちに聞こえないようにひそめられていたけれど、はっきりしていた。郁子と潮美がうーんと唸り、わたしは下を向く。いじめはよくないし、文乃を本当は助けたいって思ってる。思ってるはず。なのに、いざこんな状況になると、ちっとも言葉が出てこない。何も周防さんたちから直接文乃を庇おうとしてるわけじゃない、そうだよ言おうよ、みんなで先生に言いに行こうよって、ただそう提案すればいいだけなのに。
「いいんじゃない、もっとひどくなってからで」
郁子の声は冷ややかだった。その冷たさが、文乃へのいじめをあくまで事務的に、生ゴミを処理するように扱っていることを示していた。
「ねー、郁子ってなんで勉強得意なのに、いつもうちらと一緒に希重の宿題写してんの?郁子なら自分でやったほうが早くない?」
「それでもいいんだけどね。やっぱ希重のノート見てると、落ち着くわけよ。この希重っぽい丸っこい字がさ、なごむんだよねぇ」
何それーと潮美に突っ込まれ、郁子がにやっとする。わたしと美織がくすくす笑う。郁子たちに囲まれたいつも通りの休み時間、こういう時は同じ教室に文乃がいること、文乃がいじめられてること、日に日に膨れ上がる罪悪感も、忘れていられる。
「シュウウゥート!!」
クラスで一番元気のいい増岡くんの声がして、みんな顔を上げて一斉に声のほうを見ていた。男子の中で一番目立つ増岡くんや小松崎くんのグループがサッカーの真似事をしている。玉になっているのはクリーム色の袋に入った体操着。増岡くんたちの近くには周防さんたちがいて、急ごしらえのボールが跳ねるたび、黄色い歓声が空気を震わす。
「うるさいな」
郁子が顔をしかめて言って、すぐに宿題を写す作業に戻る。郁子はクラスの中心グループをあまりよく思っていないらしい。郁子の一言が合図になったみたいに、潮美と美織も作業に戻った。でもわたしはぽんぽん蹴られる体操着から、目が離せない。
あれは、文乃のだ。
きっとまた、周防さんたちが文乃のロッカーから勝手に持ち出してきたんだろう。文乃の姿を探すけれど見当たらない。学校に一人も友だちがいない文乃、昼休みは教室にいないことが多いけれど、いつもどこにいるんだろう。きっと行き場なんてない、それでもここにいたくない気持ちはわかる気がする。自分の体操着があんなことになっているのを目の前で見ていたくない、当たり前だ。文乃はいじめられてる時は無表情で、泣きも怒りもしない。だからって、文乃が何も感じてないわけじゃない。ないに決まってる。
体操着はぽんぽん教室の天井近くを飛び交って、はしゃぎ声が耳につきまとう。うるささに耐えかねるように振り向いた美織が、はっと目を見開く。
「ねぇ。あれ、高橋さんのじゃない?」
え、と郁子と潮美がハモり、二人ともシャープペンを握る手を休め顔を上げる。わたしは何も言わず、さっきから所在なくえんぴつ回しをしていた手を動かし続けた。
「あ、ほんとだ。今見えたし、高橋って」
視力2・0の潮美が言う。高橋ってポピュラーな苗字は、このクラスには一人だけ。
「どうする? 先生に言ったほうがいいのかな」
美織の声は周防さんたちに聞こえないようにひそめられていたけれど、はっきりしていた。郁子と潮美がうーんと唸り、わたしは下を向く。いじめはよくないし、文乃を本当は助けたいって思ってる。思ってるはず。なのに、いざこんな状況になると、ちっとも言葉が出てこない。何も周防さんたちから直接文乃を庇おうとしてるわけじゃない、そうだよ言おうよ、みんなで先生に言いに行こうよって、ただそう提案すればいいだけなのに。
「いいんじゃない、もっとひどくなってからで」
郁子の声は冷ややかだった。その冷たさが、文乃へのいじめをあくまで事務的に、生ゴミを処理するように扱っていることを示していた。