最初に感じたのは消毒液のつんとしたにおい。そして右手と右足の違和感。痛くはないけれど何かが貼り付いている。たぶん包帯とかガーゼとか、そういうものだ。

 ぼんやり歪んだ視界が、だんだんはっきり像を結ぶ。お母さん、希重。見慣れた二人の顔を脳が認識すると、聴覚がその機能を取り戻し興奮して上ずった声が聞こえた。

「よかった、やっと気が付いたのね文乃」

「文乃ぉ」

 お母さんが声をつまらせて両手を口に当て、泣き腫らしたのか目が真っ赤で南天の実みたくなっている希重が涙を溢れさせ飛びついてこようとする。直前ではっと動きを止め、わたしの右手を握った。赤い目が車に轢かれた猫を見つけたように包帯が巻かれた腕を見つめている。痛み止めを打ってもらってるのか痛くはないけれど、骨折してるな、たぶん。

 先生やみんなが騒いでたような、救急車に乗ったような、病院で何か手当を受けているような。細切れのフィルムみたいな映像が目の底に残っていた。どこまで覚えているんだろう。きっと強く頭を打ったからだ。後頭部にも包帯やガーゼの感触がある。曖昧な記憶がやがて繋がり、あぁそういえばわたし階段から落ちたんだエリサに突き落とされたんだ、じゃあここはたぶん病院なんだなと、いつもよりゆったりと動く脳が思考する。

「ごめんね、文乃……本当に知らなかったのよ、お母さん……知ってたら、絶対に全力で止めたはずなのに……」

 口を押えているお母さんの両手が涙に濡れる。希重もひっくひっく、咽んでいた。

 目の前の光景が信じられない。お母さんが泣いている?

 わたしが知っているお母さんは仕事バリバリのキャリアウーマンで強くて強すぎて『鉄の女』って感じで、でも強いから弱い人の辛さがわからないような人で、怒ったり怒鳴ったりヒステリーを起こすことはあっても泣いたりはしなかった。離婚して母娘二人きりになったあの日ですら。

 お母さんは絶対泣かないものだと思ってたのに。