小学校の低学年まではいろんな習い事をやらされていた。ピアノ、習字、スイミング、バレエ、塾……etc。だけどピアノはいつまでたってもバイエルを卒業できずスイミングはいくら通っても泳げるようにならないし、バレエはみんなが当たり前に出来ることが出来なくてレッスンの度に他の子に笑われてた。

学校に行くようになると成績もさんざんで「うちの経済力じゃ小学校から私立は無理だけど中学受験は絶対するんだからね」と意気込んでいたお母さんを真っ青にさせた。

 ついにお母さんがキレたのは小三の春。ピアノのレッスンをサボったのをバレたことがきっかけだった。どうしたら嫌いなピアノをサボれるかと子どもなりに考えを巡らせ、ピアノの先生の家の郵便ポストに「おなかがいたいのでやすみます」と書いたメモ用紙を入れてこれで安心と思ったのが大間違い。ピアノの先生はそんな子どもっぽい嘘を信じてくれるわけもなく、レッスンをサボったわたしを心配してお母さんに電話してきた。

 その日帰宅したお母さんはわたしを叩いた。それもめちゃくちゃに、虐待って言われても仕方のないほど。斜め上から、右から左から、次々降ってくるビンタを避ける術もなく、嵐の中舞う紙切れみたいにされるがまま。痛すぎて泣き叫ぶこともできなくてただひたすら嵐が過ぎ去るのを待った。お母さんは昔からよく怒鳴る人だったけど、殴られたのは後にも先にもこの時だけだったんじゃないかと思う。

わたしは泣かなかったけど、お母さんは泣いていた。両手を振り回しながら、怒り狂いながら、泣いた。

「なんであんたはこうなの、なんで、なんでなのよ、あたしの子どもなのに、どうして、このあたしの子どもなのに……!!」

 それを機にわたしはピアノを辞めた。他の習い事も、塾も、全部辞めた。中学受験の話は自然消滅した。

山ほどの習い事から解放されて本来なら喜ぶところが、「あんたにお金かけても仕方ない」ってビンタの嵐の後捨て台詞のように言われた一言が深くわたしを傷つけた。希重が離れていったのもこの頃で、学校で一人になったわたしはたちまち「キモイ」だの「ブス」だのといじめのターゲットになった。習い事がなくなった暇な放課後は、虫をいじくる楽しみを覚えた。

 殴られたあの日からずっと、わたしはお母さんから、世界中から、見離されている。