電気もつけずに部屋に入ってベッドに寝転がる。液晶が光る机の上の時計を見ると、十時をちょっと回ったところ。今日は割と早かったんだな、お母さん。ていうかわたし随分寝てたんだな。だるいしこのまま朝まで寝ちゃおうか。お風呂に入らず制服のまんまでパジャマに着替えることすらしないで、でもそんなこともうどうでもいい。とはいえやっぱ制服姿じゃごわごわして寝づらいので、着替えぐらいはするかと再び体を起こす。
のろのろ服を脱ぎながらお母さんがわたしに似ていると言った「あの人」のことを考える。「あの人」とはわたしが二歳の頃に離婚したというお父さんのこと。離婚してから一切会ってないので「あの人」のことはまったく記憶にない。普通は離れた親子は子どもが成長してからも時々会うものみたいだけれど、浮気が原因じゃあ仕方ないのかもしれない。
離婚についてはお母さんから直接聞いたわけじゃないものの、年に数回お母さんの実家の長野に帰った時、おばあちゃんや叔母さんたちの話を聞くともなしに聞いてしまうから、大体の事情は知っている。「あの人」はわたしがまだ赤ちゃんの頃、浮気した。お母さんはそれに腹を立て、慰謝料をもらわずに今後一切自分たちに接触しないという条件で離婚した。どうもそういうことらしいのだけど、実は浮気なんて後付けの理由じゃないのか。
お母さんはキャリアウーマンで上昇志向旺盛でそんじょそこらの男の人以上に男前で、そんな女の人だから特にこれといった取り柄のない地味で平凡な「あの人」が物足りなかったんだろう。
最初はその地味で平凡な部分に癒されたのかもしれない、でも一緒にいればいるほど、二人で長くいる時間が増えるほど、頑張って頑張って表舞台でスポットライトを浴びて懸命に輝く自分の裏に影のようにくっついている「あの人」が、自分の汚点のように見えてしまったんじゃないか。
そもそも浮気だって、お母さんのあの性格に原因があるとわたしは思っている。お母さんは常に上を目指していて女性は社会で成功することが唯一の幸せだと信じていて、たちが悪いことにその価値観を自分のものだけじゃなく周りにも押し付ける。
ごく普通に穏やかに生きていきたいと思っている人間はお母さんの傍にいたら彼女が持つあまりに強い熱に火傷し、うんざりして遠ざかっていく。一緒に住んでいるわたしには家の外に安住の地を見つけるしかなかった「あの人」の気持ちがよくわかる。つまりわたしはこの件に関しては、何かにつけてお母さんに悪く言われてしまう「あの人」に、わたしとよく似ているらしい「あの人」のほうに同情しているのだ。
だいぶ長いことかかってパジャマに着替え、ベッドでごろごろと芋虫みたいに寝返りを打ちながらケータイをいじる。ネット検索のボックスに「お父さん」と打ち込んで消す。何やってんだろ。
別に会いたいとは思わない。おそらく二度とわたしの人生に関わらない人のことなんて、どうでもいい。わたしにとって大事なのは、わたしにとって唯一親なのは、結局お母さんだけなんだ。ただ、もしも家の中にお父さんと呼べる人がいれば、わたしを取り巻く状況も今とはだいぶ違ったものになってるんじゃないかって、それはすごく思う。
もしも、なんて存在しない世界のことを考えたって仕方ないのに。現実の世界ではお母さんはわたしに何ひとつ期待せず、離婚して目の前から消した「あの人」と同様、出来の悪い娘を自分の汚点のように思っているんだけど。
のろのろ服を脱ぎながらお母さんがわたしに似ていると言った「あの人」のことを考える。「あの人」とはわたしが二歳の頃に離婚したというお父さんのこと。離婚してから一切会ってないので「あの人」のことはまったく記憶にない。普通は離れた親子は子どもが成長してからも時々会うものみたいだけれど、浮気が原因じゃあ仕方ないのかもしれない。
離婚についてはお母さんから直接聞いたわけじゃないものの、年に数回お母さんの実家の長野に帰った時、おばあちゃんや叔母さんたちの話を聞くともなしに聞いてしまうから、大体の事情は知っている。「あの人」はわたしがまだ赤ちゃんの頃、浮気した。お母さんはそれに腹を立て、慰謝料をもらわずに今後一切自分たちに接触しないという条件で離婚した。どうもそういうことらしいのだけど、実は浮気なんて後付けの理由じゃないのか。
お母さんはキャリアウーマンで上昇志向旺盛でそんじょそこらの男の人以上に男前で、そんな女の人だから特にこれといった取り柄のない地味で平凡な「あの人」が物足りなかったんだろう。
最初はその地味で平凡な部分に癒されたのかもしれない、でも一緒にいればいるほど、二人で長くいる時間が増えるほど、頑張って頑張って表舞台でスポットライトを浴びて懸命に輝く自分の裏に影のようにくっついている「あの人」が、自分の汚点のように見えてしまったんじゃないか。
そもそも浮気だって、お母さんのあの性格に原因があるとわたしは思っている。お母さんは常に上を目指していて女性は社会で成功することが唯一の幸せだと信じていて、たちが悪いことにその価値観を自分のものだけじゃなく周りにも押し付ける。
ごく普通に穏やかに生きていきたいと思っている人間はお母さんの傍にいたら彼女が持つあまりに強い熱に火傷し、うんざりして遠ざかっていく。一緒に住んでいるわたしには家の外に安住の地を見つけるしかなかった「あの人」の気持ちがよくわかる。つまりわたしはこの件に関しては、何かにつけてお母さんに悪く言われてしまう「あの人」に、わたしとよく似ているらしい「あの人」のほうに同情しているのだ。
だいぶ長いことかかってパジャマに着替え、ベッドでごろごろと芋虫みたいに寝返りを打ちながらケータイをいじる。ネット検索のボックスに「お父さん」と打ち込んで消す。何やってんだろ。
別に会いたいとは思わない。おそらく二度とわたしの人生に関わらない人のことなんて、どうでもいい。わたしにとって大事なのは、わたしにとって唯一親なのは、結局お母さんだけなんだ。ただ、もしも家の中にお父さんと呼べる人がいれば、わたしを取り巻く状況も今とはだいぶ違ったものになってるんじゃないかって、それはすごく思う。
もしも、なんて存在しない世界のことを考えたって仕方ないのに。現実の世界ではお母さんはわたしに何ひとつ期待せず、離婚して目の前から消した「あの人」と同様、出来の悪い娘を自分の汚点のように思っているんだけど。