いじめられている人間にとって休み時間は拷問だ。絶対に加わることは許されない同級生遊びの輪の中、無邪気に笑うクラスメイトたちを遠くから見ているだけ。しかも休み時間は案外多い。始業前の朝休みと昼休みに加え、小学校では二時間目と三時間目の間に外に出て遊べる二十分間の休憩時間まであった。

日に三度もひたすらじっと机に座ってやり過ごした小学校時代、唯一の友だちは虫だった。当時住んでたマンション近くの雑木林とか学校の花壇の隅っことかから虫を見つけてきて、ブチブチ殺す。バッタの足をもいだりチョウの羽根をちぎったり芋虫の体中に爪楊枝を刺しまくったり。

学校でやってるのを見られてからは「虫女、キモい、頭イッてる」ってますますいじめがひどくなったので、その後は学校にいる間は我慢して、放課後うちに帰ってからお母さんが帰宅するまでを虫を殺す時間にした。助けて、痛い、生きたい生きたいまだ生きたい……

そんな意思を発しているかのように懸命にもがくけれどわたしの手の中でなすすべもなく、羽根や足を奪われて逃げることも叶わず、爪楊枝に刺されたりライターの火で炙られているうちにおとなしくなって、最後はぴくぴくと体を震わせながら死んでいく。心がすごく落ち着く光景だった。

 中学に上がって河野のことを知ってからは、目の前のバッタやチョウを河野だと思っていじくるようになった。わたしの手で処刑される虫たちが、瞳の裏で河野のイメージに変換される。手足を抜き取られて悲鳴を上げる河野、体中から血をだらだら流してだんだん弱っていく河野、頭を引っこ抜かれてそれでもしばらく痙攣している河野の体……。虫を殺せば殺すほど惨殺される河野のイメージはリアリティを増していく。

 それは夏休みが終わったばかりのある日のこと。放課後、家に帰ってからお弁当箱をロッカーに忘れてきたことに気付いて学校に取りに戻った。お母さんが帰った後なじられるのが嫌だったから。またお弁当箱忘れたのあんたって子は何度同じこと言わせるのよこの時期に食べ物の残りカスがついたものを放っとくとどうなるか中学生になってもわからないのまったくだらしないんだからほんとあんたって子は顔も中身も父親にそっくり。

 完全下校時刻三十分前。まだ校内の至るところで部活をやっているけれど校舎の中でも一般の教室が立ち並ぶエリアは閑散としている。太陽がもうだいぶ低いところまでずり落ちていて廊下の窓から射し込む西日が眩しく、わたしの影を長く伸ばす。校庭のほうからジョギングの掛け声が聞こえていた。何部なのかわからない。

 教室の入り口で誰かとぶつかった。中に人がいるなんて思わなかったからまったく受け身がとれず、それは相手も同じだったようでまともに正面衝突する。ひゃ、と普段あまり声帯を使わない喉から大きな声が飛び出して、相手はわああっ、ともっと大きく叫んだ。男の子の声だった。でかい体に突き飛ばされ、固い廊下に思いきりお尻をぶつける。

 しばらく目の中で火花が散った。マンガでよくあるけど、ほんとに頭の周りを星が回っているような感じ。激しい痛みのピークを越えてなんとか体を起こすと、ほとんど同時に相手も体を起こして、えっ、と思った。いつもさんざん脳内でいたぶってる河野が目の前にいる。ってちょっと待って、なんで河野がうちの教室から出てくる?

 「ひまわり組」っていって障がいのある子を集めた特別教室で授業を受けてて、普通の生徒とは関わりがなく当然うちのクラスでもない河野が。

 河野の目がわたしに焦点を合わせるなり、かっと見開かれる。白い顔が一気に青ざめてびくびく震えだし、大きな体がひっくり返るように土下座の姿勢を取った。