嬉しい、と笑う紫苑先輩の唇は今日も赤いグロスで彩られている。その様子から、放課後の予定というのはデートなのかな、と勝手に私は解釈していた。
ぐわんぐわん、と低く響く洗濯機の音を聞きながら、こんなふうに話をして、お茶をして。誰も核心に触れずに進む時間が心地好いと思う。それは変わらない。
でも一方で、何も知らないままでいいのかと思う自分もいる。
あの日もそうだった。
何かを言いかけていた今井さん。私を遠ざけようとしていた真央くん。まるで聞かれたくないことがあるかのようだった。
私にはきっと、思い出さなければいけないことがある。それに薄々気付いていながら、――むしろ思い出しかけているのに、見ない振りをしている自分がいた。
オレンジジュースをちびちびと飲みながら、部室の隅に置いた黒いケースに目をやった。
中学生のときに買ってもらったトランペット。お母さんと一緒に楽器屋で選んだシルバーのそれは、あとから値段を調べたら二十万もしていた。それくらいの値段はしてもおかしくないのだけれど、当時の私からしてみればとてつもなく膨大な金額だった。
こんなに高い楽器、壊すことができない。やめたらもったいない。絶対に続けよう。そう決めたはずのトランペット。
吹奏楽部をやめたとまだ言えていない臆病な私は、毎日黒いケースに入った“かつての相棒”と登校している。
怪しまれないように手入れだけは念入りにしてあるけれど、もう半年以上、私はそれを吹いていなかった。
ぼんやりとそんな思考を巡らせていたとき、不意にガラッと音がした。