このとき、彼は初めて声が出ないことを不便だと感じた。

これまでは別に、何かを伝えたいと強く思ったことがなかったのだ。


(ありがとう)


この五文字だけでも音にならないものかと試行錯誤してみたものの、結局それは叶わなかった。


無事に職員室を見つけて書類を提出し、そのまま帰ろうと靴を履き替えた。

そんな彼の鼓膜を、楽器の音が揺らした。


綺麗な響きだと思った。

ちょっとした好奇心で、その音のするほうへと足を進めた。

導かれるようにして辿り着いたのは、校舎裏の一角。

どんな音がどんな楽器から作られるものなのか、いまいち分かっていなかった真央は、そこで初めてこの音がトランペットから作られているものなのだと知った。


そして、それを吹いているのがさっき自分を助けてくれた女子生徒だと気づいたとき、とても不思議な気持ちになったのだ。


さっきは笑顔で明るく話していた彼女が、今は真剣な顔をして一人でトランペットの練習をしている。

そのギャップが彼には興味深く、すごく綺麗で繊細なものに思えたのだった。