――戸田葵は躊躇っていた。
放課後の五号館二階奥の空き教室。
二人しかいなくなったそこで、机の上に置いた黒いケースと対峙していた。
クラスの一匹狼と保健室で話をすることができた葵は、保健室を出るときにかけられた一言が心に残っていた。
『演奏する気はないの? ジャズ楽しいよ』
そのときは曖昧に頷いたけれど、本当はすごく興味があった。
ただ、今の自分にトランペットを吹くことができるかどうかは、彼女自身も把握できていなかった。
そんな葵の肩を、真央が叩いた。
振り向けば差し出されるオレンジジュースの入ったグラス。
「わ、淹れてくれたの? ありがとう」
お礼を言いながら受け取れば、真央は小さく頷いて葵の隣に腰を下ろした。
まるですべてを知っているかのような美青年は、葵が“かつての相棒”と対峙していることについて何も言わず――というより、ただそっと見守るような視線を送った。