「ねえ、紫苑」


ふわふわと優しい声だ。人を落ち着かせる穏やかな声だ。この世で一番好きな声だ。

真正面に桜が立った。狭い廊下だ。視線を合わせようとしゃがんだ桜と、ぐっと距離が近付く。

拒絶されることが怖くて、思わず身を竦める。そんな紫苑の頭に、ぽん、と柔らかい手が乗った。

驚いて顔を上げると、すぐ近くに桜の顔があった。


「私ね」


ぽってりとした唇が動く。


「あなたの手が私より大きいことも、ごつごつと骨張っていることも、喉仏が出ていることだって知ってたよ」


するりと、頭の上に乗っていた手が髪を滑っていく。

輪郭を伝って喉仏に触れたその柔らかい手は、さらに下へと滑り、紫苑の手をとった。

白くて、ふっくらしていて、綺麗に爪が切りそろえられている手が、きゅっと力を込めてくる。


「確かに事件のあった直後は混乱してて、記憶がごっちゃごちゃになってた。大好きな幼なじみのことを忘れてしまうくらいに、ボロボロだったと思う」