勝手にチャンネル替えんなよ。


「あのさ。……いままでありがとな、晶。なんだかんだでおまえには世話になりっぱなしだったと思う」


笑い飛ばされるか、気持ち悪がられると思った。むしろ言ったあとで鳥肌が立ったのは俺のほうだ。なに言ってんだろう、俺。

でも、晶はぽすんと俺の頭を撫でて、笑った。


「やっぱり燿はあたしの天使だね」


ああもう。泣きそうだよ、こんちくしょう。


「あたしも燿には世話になりっぱなしだった。ありがとね」

「いやマジでな。それな」

「おい殴るぞ」


俺たちはたしかに仲の良い姉弟だった。でもそれはきっと、いまでも変わってなんかいないんだ。


「……東京行ってもがんばれよ、姉ちゃん」

「おうよ。あんたもな。参考書は全部置いてってやるからな」

「は? いらねーよそんなもん。頭いてえわ」


来週、姉が、家を出る。

・・・

晶と日和さんの引っ越しも無事に終わり、すぐに新学期が始まった。俺も無事に3年生に進級できた。やっぱりなんだか少し物足りない気もするが、最近は晶がいない毎日にも慣れてきたように思う。

それにしても、新学期から受験の話ばかりで気がおかしくなりそうだ。まだまだ部活は終わってないってのに。


「あーあ。やんなるぜ、ほんと」


わざとらしくため息をついた俺の隣で、大河が盛大に笑う。彼の向こう側に、校庭の桜が満開になっているのが見えた。


「たしかに、引退するまではおちおち勉強なんかやってらんねーよな」

「ほんとだよ。今年だけ晶と脳ミソ交換してーわ」

「あはは! 晶さんは元気にやってんの?」

「おー、ぼちぼちやってるっぽい。幼なじみがあいつとマメに連絡取ってるらしくてさ、いちいち報告してくんだけど、すげーだりい」


倫は結局、西高でなく北高を受験して、合格を決めた。いまだに悔しがってはいるけれど、倫にはセーラー服がよく似合うので、よかったんじゃねーかと思う。

相変わらず、時たまうちにやって来ては、好きだのなんだのってうるせーけど。好きでいたいんだとさ。それだけでいい、迷惑はかけないからと言われたら、それ以上はなんも言えねーよ。

倫だって高校生になったんだ。きっとすぐにいい男を見つけて、そのうち俺のことなんかどうでもよくなるだろう。まあ、それはそれで淋しかったりもするんだけどな。兄として。

「じゃあ俺、こっちだから」

「おー。お疲れ。またあしたな」

「お疲れー」


いつもの場所で大河と別れ、足早に駅に向かった。こんな生活も残り1年かと思うと、ちょっと淋しかった。

やがて駅に到着し、改札をくぐろうとした、そのとき。


「――あのっ」


聴いたことのない声に呼び止められたので、足がもつれて転びそうになった。女子の声だった。


「東出燿くん……ですよねっ。西高バスケ部のっ!」

「はい……そうっすけど」

「あの、わたし! 柊遥香(ひいらぎ・はるか)っていいます! 今年からナンジョの3年生です!」


たしかに南女子高等学校の制服だ。ナンジョは金持ちのお嬢さんが通うところ。美少女ぞろいとは聞いていたけれど、その制服に身を包んでいる彼女も、まさしくその通りだった。

こんな金持ちの美少女が俺になんの用だろう、とか。なんかやらかしたっけか、とか。ちょっと身構えたりもしていると、彼女が突然がばっと頭を下げたので、もとびびった。


「秋の大会のときからずっと見てました。す、す……好きです! よかったら付き合ってください!」

「……は?」

「試合見て一目惚れしました。それからときどき、この駅で見かけると嬉しくって……。でももう見てるだけじゃ苦しくって……気付いたら声かけてて、その、えっと」


いやいや。ちょっとなに言ってんのか全然分かんねんだけど。

それでも彼女は話し続けた。自分でもいまなにをしているのか分かっていないみたいで、ちょっと笑った。恥ずかしいのか、緊張なのか、ネジがぶっ飛んでんのか。とにかくひたすら話している。


「よし分かった。ちょっと待て、とりあえず落ち着こう」

「す、すみませ……」


なんだか変な子だな。こんなふうに告白されたのははじめてで、びびったけど、こんなのも面白くてなかなか嫌いじゃない。


「えーっと……じゃあ、まずはお友達からってことでいいっすか?」

「え……!? いいんですか!?」

「試合見てくれたのすげー嬉しい。また来てほしいっす」

「行きます! もう絶対行きます! いちばん前で応援します!!」


興奮しているのか、前のめりになっている彼女と連絡先を交換して、そのまま一緒に電車に乗った。どうやら住んでいる街が同じらしい。

電車に揺られている20分間、いかに俺のプレーに感動したか、いかに俺がかっこいいのかを、彼女はとても熱く語ってくれた。ぶっちゃけ死ぬほど恥ずかしかった。

それでもやっぱり、好きでやっているバスケを褒められるってのは、なによりも嬉しいことで。


「あのっ。また連絡してもいいですか?」


その申し出を断る理由なんか、ひとつも見つからなかったんだ。


「うん、ぜひ。すげー勢いで待ってます」

「わ、わ、すごい勢いで連絡しますっ」


照れ笑いがかわいい彼女との恋を予感させながら、晶のいない最初の春が始まった。





これからも

喧嘩するほど

仲が良い


 7.勝手にチャンネル替えんなよ。




東京に来て早数か月。都会独特の空気にももうすっかり慣れて、大学生活もそれなりに楽しめるようになった。日和とのふたり暮らしは思ったよりもずっと楽しい。

東京で迎えるはじめての夏、弟がついにインターハイを決めたとの朗報を受けたので、お祝いのために帰ることになった。

ちなみに日和はお留守番。どうしてもバイトを休めないらしい。とっても残念そうにしていた。



「――健悟さん!」


数時間新幹線に運ばれ、久々に上陸した地元の駅。なにも変わってないことにほっと安心する。

改札まで迎えに来てくれた恋人に声をかけると、相変わらず眩しいほどの笑顔をくれた。会うのは綾さんの結婚式以来だから、たぶん2か月ぶりだ。


「おー。おかえり、晶」

「ただいまっ」

「わはは、荷物ありすぎ。1泊2日だけの帰省だろ?」


そう言いながら自然に荷物を持ってくれる先輩は、世界でいちばんかっこいいと思う。彼女のひいき目なのはちゃんと分かっているので、そこはどうか許してほしい。

空いているその左手をぎゅっと握ると、大きな手のひらが優しく握り返してくれた。


「あー腹減った」

「あたしもー」

「なに食いたい?」

「肉! 美味しいの!」

「あはは、了解」


敬語が消えたのはいつだっただろう。気が付けばその堅苦しさはなくなっていて、もっと先輩を近くに感じられるようになった。

先輩はそういうひとだ。不安も、憤りも、悲しみも。その笑顔ひとつで全部溶かしてしまうから、あたしはこのひとを好きになったんだ。

遠距離恋愛というものに付きまとう不安は、離れたあとよりも、離れる前のほうがあったように思う。実際に離れてみて、もちろん淋しくは思うのだけど、不安ってものはほとんど消えてしまった。

先輩はいったい何者なんだろう。毎日連絡をとっているわけでも、顔を見ているわけでも、声を聴いているわけでもないのにな。なんでだろうな。

こんなにも絶対的な安心をくれるひとは、きっとほかにいない。


「わー焼肉ー!!」

「ミノとセンマイと肝っておまえ。絶対強いだろ、酒」

「えーお酒はまだ飲んだことないよ」

「お、マジで。えらいじゃん」


トングでレバーをひっくり返しながら先輩が笑う。そんな彼はがっつり生ビールを飲んでいるんだからずるい。

晶も飲めばいいと言ってくれたけれど、もし失敗して醜態を晒してしまったら死にたいので、きょうは我慢した。それにまだ成人は迎えていないし。


「あ、そうだ。健悟さん、浮気してない?」

「うわ、でた。してねえよ。ほんっと信用されてねーなー」

「そうですよ、されてませんよ」

「わはは、ひっでえな」


だってこんなにかっこよくて優しいひと、普通の女の子なら放っておくわけがない。先輩にその気がなくても、お酒が入ったらなにがあるか分からないし、迫られたら男は弱いに決まっている。

……なんて。そんなこと本気で思っているわけじゃないけれど。

「浮気した?」「してねえよ」の会話は、ふたりのあいだではもう、お決まりのじゃれ合いみたいになっている。

満腹になるまでお肉を食べて、シメにはクッパを食べた。

いかなるお会計でも先輩は絶対にお財布を出させてくれない。お互い学生だし、たまには出したいと思うのだけど。黙って奢られていてほしいと言われるから、それはもう黙るしかない。


「ほんとは帰したくねえけど、そんなことしようもんなら燿にぶっ飛ばされるから、きょうは我慢する」

「あ、酔っ払いがいる」

「酔ってねえよ」


先輩は酔うととてもかわいい。綾さんの披露宴の二次会でも相当飲んで、姉ちゃんが嫁に行くのは淋しいと本音をこぼしたこのひとは、本当にかわいかった。


「でもほんとさ、夏休み、ふたりでどっか行こうか」

「えっ! 行きたい!」

「ゆっくりしてえなー。温泉とか行きたいよ、俺」

「いやいや、おじいちゃんかよ」

「おじいちゃんだよ」


本当は学生らしくネズミの国にでも行きたいところなんだけど、それはそれで目まぐるしいスケジュールになる気がするし、温泉もなかなかいいかもしれない。きっと先輩とならどこに行ったって楽しいし、幸せなんだろう。

どこに行こうかと会議をしている途中で、うちに到着してしまった。数か月ぶりの実家だ。旅行のことはまた話し合いましょうということになった。


「送ってくれてありがとうございました。気を付けて帰ってね、酔っ払いなんだから」

「だからそんなに酔ってねえって」


笑ってそう言いながら、優しくくちびるが重なった。数秒のそれのあと、アルコールの匂いが鼻のなかに広がった。


「……やっぱりお酒くさいっすよ、先輩」

「んー、気のせい」


やっぱり酔っている。でも、いつも完璧にかっこいいだけよりも、こんなふうにかわいい一面を見せてくれるたびに、もっと好きになる。


「じゃ、おやすみ。燿によろしく」

「はーい。おやすみなさい」


楽しみだな、温泉旅行。東京では見ることのできない星空を見上げて、今年の夏に期待を膨らませた。



ただいまあ、と。結構大きな声でドアを開けたのに、そこには知らない女の子が立っていて、びっくりした。そして思わずドアを閉めていた。


「いやあの、すみません、間違えました」


あれ、ここってうちじゃなかったっけ。もうひとつ隣でしたっけ。それともあたしに内緒で家族みんな引っ越したのか。


「間違えてねーぞー」

「え?」


閉めたはずのドアがもう一度開く。ひょこっと顔を出したのは見慣れた間抜けヅラの弟で、いろいろと混乱した。いや、いま知らない女の子が見えた気がするんだけど、気のせいですか。


「こ、こんばんはっ。すみません、いまから帰るところだったんですけど……」

「えっ?」


ほら、やっぱり! この子だよ!

よくよく見てみると美少女なその女の子がぺこりと頭を下げたので、あたしもつられて頭を下げた。


「お姉さんですよね! 燿くんからお話聞いてますっ」

「いや、え、まさか」

「あ……えっと、その……燿くんとお付き合いさせていただいてます、柊遥香といいます。よろしくお願いしますっ」

「あ! そうですか! 姉の晶です、焼肉くさくてすみません、弟がお世話になってます」


なんだって。こんな美少女がうちの燿なんかと。冗談でしょ!

しかも礼儀正しいし、服装もきれいな感じだし、話し方もなんだかお上品だし。いいところのお嬢さんなんじゃないの。どこで引っ掛けた。