ああ、だめだ。
ずっと同じことばかり考えて悩んでしまう。
このわけのわからない状況を水樹先輩に相談したい気もするけど、そんな馬鹿な話はできないので話せない。
頷けなかった私は、誤魔化すように笑いながら水樹先輩に頭を振ってみせた。
「い、いえ。ちょっと先輩に挨拶がしたくなって。早くからごめんなさい」
謝ると、水樹先輩は目を細めて。
「いいよ。嬉しかったし」
優しく甘い言葉を音にする。
この人は、また。
こうやって私の喜ぶような言葉をさらりと言うんだから。
会長が「そろそろ始めよう」とプリントを手にしたのを見て、私はドキドキする鼓動を感じながら背筋を伸ばしミーティングに挑む体勢になる。
三重野先輩が立ち上がって、ホワイトボードに文字を綴るのを見ていたら……
「初めて、か……」
水樹先輩の零した声に、私が彼へと視線を向けると。
先輩の瞳はぼんやりと
窓の向こうに広がるソーダ色の空を眺めていた。
夏休み初日の今日は曇りで比較的涼しい。
その為、生徒会室は冷房を入れずに窓を開け、そこからの風で涼んでいた。
風が吹いて、緑の葉が揺れる。
サワサワとこすれ合う葉の音に混ざるのは、油蝉の声だ。
そして、時々聞こえる蝉の声に負けない程の元気な声を発してるのは野球部。
窓際に背を向けて座る私は、それらのBGMを聞きながら、目安箱の意見をまとめている最中だ。
水樹先輩は私の右隣で同じ作業をしているけど少し眠そう。
ふと視線を上げ周りを見れば、部屋の中心に向かい合わせに設置された長机に座るメンバーは
皆、それぞれの仕事に集中していた。
やがて、会長が顔を上げる。
彼の手にはプリントが1枚。
「副会長、これよろしく」
そう言って会長が三重野先輩にプリントを差し出す。
「はい」
三重野先輩は受け取るとすぐにプリントに視線を走らせた。
会長はそのまま赤名君にも声をかける。
「赤名、募金の集計は終わった?」
「終わってます!」
「じゃあ、これまとめとおいて」
「はーいっ」
赤名君が返事をすれば、続いて会長の視線は私を捉えた。
「真奈ちゃん、議案書を頼める?」
議案書という言葉で、私は思い出す。
この光景に見覚えがあった。
依頼された議案書とは、生徒総会議案書のこと。
この議案書の作成が結構大変なんだけど……
夢か現実か。
私が知ってる"今日"は、この議案書作成の途中でうっかりジュース零してしまい、書き直すハメになってしまったのだ。
水樹先輩にも迷惑をかけてしまって、呆れられたんじゃないかと落ち込んだんだよね。
ちなみに、書記の仕事は必ず私に指示がくるシステムだ。
理由は会長曰く『水樹は返事はしても半分寝てる時がある』からだそう。
つまり、私がしっかり聞いて水樹先輩に仕事を振り、効率よくやりましょうということらしい。
「はい、わかりました」
返事をすると、私は机の上に置いてある、今朝購入したジュースをチラリと見た。
ペットボトルに入ったビタミンたっぷりのジュースはまだ少ししか減っていない。
そうだ。このジュースだ。
あの時私は、このジュースの蓋を閉め忘れていて……
夢でもデジャヴでもいい。
またあの悲劇を繰り返すものかと心の中で誓い、私は机の上に置いてあったジュースを鞄の中にしまった。
飲みたい時だけ取り出して、あとは鞄の中に入れておこう。
そうすれば大丈夫。
小さく頷いた時、水樹先輩がジッと私を見ている事に気がついた。
「どうしたんですか?」
「ジュース、どうして仕舞ったの?」
「あ……いえ、議案書に零したりしたら困るかなぁって」
「……零しそうな気がするの?」
「な、なんとなく?」
実はそんな未来になるかもしれないんです、とは言えず。
私が曖昧な笑みで伝えると、水樹先輩は「そっか」と小さく笑んで、再び目安箱のまとめに取り掛かった。
まあ、そうだよね。
今の今まで飲んでいたジュースを鞄に仕舞ったら不思議に思うよね。
よしっ。私もさっさとこれをまとめて議案書に取り掛かろう。
確か今日はこれが終わればあとは議案書のみで──
「あ、真奈ちゃん」
「はい」
会長は再び私を呼ぶと、真面目な表情で告げる。
「それが終わったらポスターもよろしく」
……あれ?
私が知ってる"今日"と、ちょっと違う。
違うけど、やるべきことはやらないとならないわけで。
「は、はい」
頷けば、更に会長が私に指示を出す。
「あと、明日の俺とのデートはどこに行きたいか考えといて」
「はい、わかりまし──えぇっ?」
生徒会の仕事のうちかと思って、うっかりイエスで返しそうになっちゃった私。
明日の俺とのとか言ってましたけど、そんな約束した覚えは微塵もないんですがっ!
驚きの目で会長を見ると、会長はキラッキラの笑顔を私に向けていた。
「今"はい"って言った。ありがとう! 俺のオススメコースは駅前通りで最近噂になってるケーキを」
「食べる暇はないのよ会長!」
会長のプランをバッサリと切ったのは三重野先輩だ。
三重野先輩は眉間にしわを寄せて会長を睨んでいて、睨まれている会長は情けなく眉をハの字にすると唇を尖らせた。
「なんでだよ副会長!」
いじけて抗議する会長に、三重野先輩が呆れたように深い溜め息を吐く。
「明日は生徒会全員でプール清掃をすることになったでしょう?」
会長と三重野先輩以外の私たちには初耳で、何の話かと顔を見合わせた。
ただ、水樹先輩だけは、驚くも不思議そうとも違う、どちらかといえば成り行きを見守るような穏やかな瞳で会長と三重野先輩を見ている。
三重野先輩の指摘に会長が首を傾げた。
「え、そうだっけ?」
腕を組んでキョトンとした会長。
三重野先輩はイラつきを露にしながら、再び深く息を吐き出した。
「今朝、あなたが勝手に先生と約束してきたのだけど」
あ……なるほど。
朝、三重野先輩が『みんなの仕事がひと段落したら頼みたいことがあるから少しミーティングします』と言ってたけど、プール清掃のことだったんだ。
納得していると、私の向かい側に座る藍君がめんどくさそうに声にする。
「掃除とか最悪」
そんな藍君の隣に座る赤名君は、瞳を輝かせて。
「さすがです会長! 自ら引き受けるなんて生徒の鏡ですね!」
今日も通常運転で会長を絶賛リスペクト。
すっかり忘れていたらしき会長は、赤名君にヨイショされて忘れてたとは言えないようで。
「そ、そうだろうそうだろう。どう? 真奈ちゃん。惚れ直した?」
得意げにしながら私に聞いてくる。
けれど、その問いかけに答えたのは私ではなく……