「でも……このままじゃ……」
震える声で訴えようとすると、水樹先輩は苦悶の表情を浮かべながらも悲しそうに眉を八の字にして。
「そうやって、俺は目の前で何度も君を失った。何度も、何度も!」
叫ぶような声を発する水樹先輩の姿に、私の脳裏にいつか見た映像が走る。
水樹先輩の悲痛な表情と、彼の後ろに見える橙色に染まり行く夏の空。
先輩と2人、川に浸かってしまった時にも浮かんだ映像。
経験したことなんてないはずなのに、私はそれを知っていた。
どうしてかはわからない。
けれどきっと、時間を遡った影響か何かで、いつかの私の記憶が入り込んだのかもしれない。
水樹先輩が何度も繰り返した夏にいた、私の最後の記憶が。
先輩の手が限界を物語るように震える。
それでも必死に繋ぎとめようとするせいで、先輩の体がこちらにズルズルと移動はじめてしまった。
このままじゃ本当に、水樹先輩まで巻き込んでしまう!
「は、離してくださいっ。先輩まで落ちちゃう!」
「落ちたことなんて何度もある。助けたくて、君と一緒に落ちたことも。諦めて、君と一緒に落ちたことも」
水樹先輩が吐露したのは、絶望の果ての選択。
悲しい告白に、私の胸が締め付けられた。
「そして、俺だけがまた夏を繰り返すんだ」
「で、でもっ、また繰り返したら先輩は!」
隠されてしまうかもしれない。
「決めたんだ。これで最後になるなら、精一杯あがいてみせるって。だから、諦めない」
強い意志を持って、先輩は宣言した。
水樹先輩が前を向いてくれたことが、再び未来を見ようとしてくれていることが嬉しい。
だけど──
限界は、すぐに訪れて。
水樹先輩の手から、ずるり、と。
私の腕が
滑った。
全ての光景がスローモーションのように見えた。
水樹先輩が驚愕する様も、彼の手から自分の手が離れようとしているのも。
私はまた、水樹先輩を悲しませてしまう。
彼に信じてと言ったのに。
それを違えて、私は裏切ろうとしている。
先輩の苦しみを。
今日までの日々を。
無駄にしたくないよ。
心から強く願った刹那──
離れようとしていた腕が、ガシリ、と。
「……ぁ……」
再び、強い力で繋ぎとめられた。
水樹先輩の手は、私のてのひらを掴んでいる。
感じる強さはそこではなくて。
私の手首をしっかりと掴む温かいものは。
「玉ちゃん! 真奈ちゃんの反対の手を引け!」
声を振り絞る会長の手。
「わかってますって! 望月っ、こっちに手ぇ伸ばせ!」
真剣な顔で私に手を伸ばすのは、藍君で。
「かいちょおおおお! 早く助けてあげてくださいいいっ!」
水樹先輩を落ちないように支えてくれてるのは、赤名君で。
「望月さんっ! 頑張って!」
力を貸すように藍君の腕を引くのは、三重野先輩。
私は、目の前に起こった奇跡にボロボロと大粒の涙を零した。
なんで、一瞬でも諦めてしまったんだろう。
水樹先輩も、みんなも。
こんなに必死に手を差し伸べてくれているのに。
「……っ!」
負けたくない。
諦めない。
運命なんて言葉に、振り回されない!
私は、水樹先輩のてのひらを強く握り返す。
すると、水樹先輩もしっかりと握り締めてくれて。
みんなの力強さと、私たちの間にある絆の強さ。
その両方を体と心で感じながら、私は──
"2人がいる夏"を
手に入れた。
生徒会全員、屋上にへたり込む。
水樹先輩は疲労感がひどいのか、寝転がって僅かに呼吸を乱していた。
そんな状態の水樹先輩のすぐ傍に座り込んでいた私は、みんなに「助けてくれて本当にありがとう」と告げる。
今ここにこうしていられるのは、みんなの力があったから。
そして、水樹先輩が諦めずにいてくれて、奇跡を繋いでくれたからに他ならない。
それにしても……
「どうしてここがわかったの?」
みんなとの別れ際、私は学園に向かうとは言ってなかった。
そもそも、水樹先輩の姿を追おうとした時、私も行き先は予想していなかったし。
私の質問に、緩くあぐらをかき、後ろ手で体を支えた会長が「あー、それはね」と声を発した。
「真奈ちゃんが見えなくなってすぐに水樹に電話したんだよ。で、真奈ちゃんのこと話したら"屋上だ"って呟いてたから」
「そしたらー、玉森が学校だって言ってー」
会長の話を引き継ぐように赤名君が話すと、肩膝を立てて座っている藍君が少し面倒そうに唇を動かす。
「まあ……俺があの人を見た場所もここだったし、アンタ、影沢先輩が神隠しに遭うとか言ってたし。もしかしたらと思って」
「みんな……」
神隠しについて調査していたとはいえ、それが突然、自分たちのまわりで本当に起こるなんて言われたら、普通は信じられなくてもおかしくないのに。
「信じてくれてありがとう……」
お礼を告げた私に、赤名君がニコッと笑って。
「モッチーだって、みんなだって僕を信じてくれたし」
当たり前だよと続けると、赤名君は隣にいる三重野先輩に「ですよねー」と話を振る。
女性らしく、正座を少し崩し座っていた三重野先輩は自分に振られるとは思ってなかったのか、ちょっと驚いた様子だ。
その三重野先輩の姿に、私は自然と頬を緩めた。
「三重野先輩も、ありがとうございます」
藍君もだけど、三重野先輩は少しクールな印象があるから、こうして駆けつけてくれたのが素直に嬉しくて改めて感謝を伝える。
すると、三重野先輩は綺麗な顔に優しい笑みを乗せた。
「あなたたちが前に言ってたじゃない。1人より2人。2人よりも3人。なら、3人より私たち生徒会みんなよ」
それは以前、三重野先輩が川でアヒルのストラップをなくした時に交わした言葉。
三重野先輩……あんな些細な言葉を覚えてくれていたんだ……
私が胸に小さな感動を感じていると、会長が声を発する。
「にしても、着いたらとんでもない状況で寿命が縮むかと思った。ていうか縮んだかも」
「会長しぶとそうなんで、縮むくらいで丁度いいっスよ」
「玉ちゃんドイヒー。つか、水樹お前なんなの」
藍君に軽く文句を言ってから、突然水樹先輩をジトッと睨む会長。
「んー? 何が?」
水樹先輩が相変わらず仰向けに寝転んだままで言葉を返すと、会長は顎をくいっと動かして。
「その手」
と、視線をよこす。
その視線の先にあるのは──
「あっ」
多分、ずっとそうだったのだろう。
安堵しすぎて気にも留めていなかったから、今の今まで気付かなかった。
私の手と、水樹先輩の手が繋がれたままなのを。
「ごご、ごめんなさいっ」
恥ずかしさで急激に顔が火照り、急いで手を離そうとしたら。
「ダメ」
水樹先輩に強く握られ離せなくなる。
「や、でも……」
みんな見てるんですけどと抗議したかったけど、それは憚られた。
だって、水樹先輩が甘えるように「もう少しだけ、このままでいて」なんて言うから。
「す……少しだけですよ?」
答えると、水樹先輩は目を細めて喜んでくれる。
会長が「終わったー。俺の初恋がー」とかなんとか言って、むせび泣き始める中……
「ね、真奈ちゃん」
私を呼ぶ、水樹先輩の穏やかな声。
何ですかと返事をすると──
「やっと、君のいる夏になった」
君がいた夏をようやく越えられた。
柔らかな夕日の光に照らされて。
水樹先輩は私を愛おしむように見つめながら微笑んだ。