きみと繰り返す、あの夏の世界



屋上は、先輩のお気に入りの場所だ。

この時期は太陽からの容赦ない熱で溶けるからとあまり足を運んではいないようだったけど……


ふと、風が私の体を撫でるように通り過ぎて、いつもはしっかりと閉まっている扉が僅かに開いている事に気が付く。

私はドアノブに手をかけて、屋上に出てみる。


「……水樹先輩?」


声をかけてみるけれど、先輩からの返事はない。

それどころか、屋上には先輩の姿はなかった。

私以外は誰もいない。


でも、そんなのはありえない。

階段を上がっていく水樹先輩を確かに見たんだ。

そして、その先はこの屋上しかない。

だけど先輩の姿はないなんて……


と、そこまで考えて、嫌な可能性を脳内に浮かべてしまう。


まさか、落ちてしまった……とか?




そんなまさかとは思う。

けれど、否定しきれない私は、先輩の姿を探しているにも関わらず、最悪な形で見つかりませんようにと願いながらフェンスに手をかけた、瞬間。


──ガタン。


「……え?」


金属の音が聞こえて。

グニャリと、私の視界が方向を変えた。

ギギギと軋む音がフェンスのものだと理解した直後──


私の体は


フェンスに寄り添うように


屋上から落下した。



















──風が、彼の髪を揺らす。

屋上は夕焼け色に染められて、彼……水樹先輩も、ほんのりとオレンジ色を纏っていた。


錆び付いた緑のフェンスを背にした私と、私を見つめる水樹先輩。

いつもより真剣味を帯びた彼の瞳に、私の胸は高鳴っていて。


『真奈ちゃん』


彼の唇が私の名を紡ぐと、私の心臓が大きく跳ねた。


水樹先輩を好きだと想う気持ちが溢れて止まらない。

目の前にいる彼の存在が愛しくてたまらない。




水樹先輩が微笑む。


その唇が再び動けば、私の中に広がる幸福感。


そして続いたのは……


浮遊感。


さっきまで見えていた景色は、橙色の広い空に変わって。


そのまま意識を手放す瞬間、かすかに見えたのは……


私に向かって手を伸ばす……



…………


……





──ジリリリリ。


耳慣れたベル音が遠くから聞こえてくる。

それが私の愛用している目覚まし時計のものだと気づくまで、どれほど時間がかかっただろうか。

10秒か。

20秒か。

もしかしたらもっと長かったかもしれない。

とにかく私は、時間の感覚も忘れるくらい、今の状況に混乱していた。


さっきまで学校の屋上にいたはずなのに。

どうして今、私は自分のベッドの上にいるのだろう。


もしかして……全部、夢だったとか?

それならかなり納得がいく。

だって、水樹先輩の存在が消えたなんて信じられない。

普通に考えてありえないことだ。

そうだよ。

きっと夢を見ていたんだ。




段々と冴えてきた頭で、そうであれと強く思う。

そして、確かめるようにベッドサイドテーブルの上に置かれたスマホを手に取ると、連絡帳を開いて水樹先輩の名前を探す。

夢の中では、彼の連絡先が消えていたはずだ。


緊張で、ドクンドクンと心臓が強く打つ。


確認するのが怖い。

その恐怖心を振り払うようにして指をスライドさせ、先輩の名前がある場所までスライドさせると……


「……あった!」


嬉しさに、私は飛び起きてスマホを胸へと寄せた。


「何よもうっ。やっぱり夢だったんだ」


良かった!

夢で本当に良かった!

そうだよね。

先輩がいなくなるなんて、そんな馬鹿なことあるわけがない。




ひどい夢見ちゃった。

あれかなー。

楽しみにしていたとはいえ、デートで変な失敗したらどうしようとか考えて寝たせいで、こんな夢見ちゃった感じ?

とにもかくにも私は安堵しながら時計を確認した。

現在の時刻は7時5分。

先輩との約束は午後からだけど、変な夢のせいで先輩と連絡を取りたくなった私はLINEを開いた。

そして先輩へ『おはようございます』とメッセージを送る。

すると、メッセージは少しの間の後に既読となり……


『おはよ、真奈ちゃん』


水樹先輩からの返信がきた。

続けて『そしておやすみ』という、寝るのが好きな先輩らしいメッセージがきて。

私は、先輩がいるという当たり前の幸せに感謝し、口元に笑みを浮かべた。




「……よし、顔洗ってこよう」


今日、8月31日は日曜日。

平日と土曜は畑仕事をしているおじいちゃんも今日は休みだ。

といっても、いつでも早寝早起きなおじいちゃんは、休みといえども早くから朝食を準備してくれていて、私が起きるころにはテーブルの上にラップに包まれた和食が置かれているのだ。

で、おじいちゃんは自分の部屋で趣味の囲碁にふけっている。

今日もそんな光景があると思っていた……のだけど。


「……あれれ?」


私の部屋と居間を結ぶ襖を開け、私は首を傾げた。

日曜の朝恒例の景色が、そこにはなかったからだ。

テーブルの上に、朝食はある。

でも、それはラップを被されたものではなく。


「なーにを呆けてるんだ。はよう顔を洗ってきなさい」

「え? あ……は、い」


促されるままに私は居間を抜けて洗面所へと入った。

そして、パジャマ姿で寝癖のついた自分を鏡越しに見る。




おかしいな。

おじいちゃん、しゃもじ持ってたけど。

テーブルの上のご飯もまだそろってなくて、たくあんとほうれん草のお浸しのみだった。

ほのかに香ってくるのは焼き鮭の匂い。

もしかして、寝坊したんだろうか?

おじいちゃんにしては珍しいけど、たまにはそんな日もあるだろうし。

考えながら顔を洗い、タオルを手にしたところでハッとなった。


「お、おじいちゃん! 具合悪いなら寝てていいよっ」


寝坊するくらいだ。

風邪でもひいて調子が悪いんだろうという結論に至り、私は慌てて網の上の鮭をひっくり返すおじいちゃんに駆け寄った。


伴侶であるおばあちゃんを早くに亡くし、男手ひとつで私のお父さんを育ててきたおじいちゃん。

私が3才の時に私のお母さんが病死してから、ロマンを求め世界を放浪しているお父さんの変わりに、私を厳しくも可愛がり育ててくれている。

怒ると怖いけど、不器用ながらも優しいおじいちゃんが私は大好きだ。

ということで、おじいちゃんに無理はさせられない!