深夜。
街が静まり返る頃、一棟の建物では、まだ明かりが灯っていた。
大きな窓から見えるのは、整然と並ぶ精密機器と複数のモニター。壁際には測定装置や工具が収納され、中央の作業スペースには、複雑な配線が施された大型の実験装置が設置されている。
そこは、はるたが個人で所有する研究室だった。
一般的な趣味の作業部屋とは、規模がまるで違う。
業務用の解析装置、高性能な計算機、精密加工機器。そして、研究内容に合わせて導入したさまざまな実験設備。
そのどれもが、相応の費用を必要とするものだった。
しかし、はるたにとっては、研究に必要だから揃えたものにすぎない。
彼には、それを可能にするだけの経済的な基盤があった。
音楽制作。
動画投稿。
SNSでの情報発信。
技術開発。
そして、経営や教育、心理学に関する記事の執筆。
YouTube、Instagram、TikTokなど、複数の媒体で活動し、noteでは専門的な知識を分かりやすく伝える記事を販売している。
さらに、自ら開発した発明品の事業化やライセンス収入もある。
それらが積み重なり、彼の収益は個人の創作活動としては桁外れの規模に達していた。
もっとも、はるた自身は、その数字を自慢することにほとんど興味がない。
新しく手に入れた資金があれば、研究設備を増やす。
より高性能な機材が必要になれば、導入する。
新しいことを思いつけば、その実現に必要な環境を整える。
彼にとってお金とは、単に所有するものではなく、選択肢を増やすための手段だった。
ただし、その考え方には一つだけ問題があった。
設備が充実するほど、試せることが増える。
そして、試せることが増えるほど、はるたは次の実験を始めたくなるのだ。
◇
「ん〜、もう少し……」
はるたは作業机に向かい、額に手を当てていた。
目の前には、大量の設計データと計算結果。
複数のモニターには、同じ装置の異なる構造図が表示されている。
時計の針は、すでに深夜を回っていた。
「……はるた」
背後から、女性の声が聞こえた。
銀白色の長い髪と澄んだ青い瞳を持つ少女、レイン。
ホログラムとして投影された彼女は、少し呆れた表情で、はるたを見つめていた。
「また寝てないんですか?」
「ん? ああ……」
はるたは画面から目を離さずに答えた。
「あと少しなんだよ」
「その言葉、昨日も聞きました!」
「昨日は昨日。今日は今日だろ?」
「そういう問題じゃありません!」
レインは腰に手を当てた。
「昨日は何時に寝たんですか?」
「……覚えてない」
「では、一昨日は?」
「…………」
「はるた?」
「……三時間くらいは寝たと思う」
「少なすぎます!」
はるたは苦笑した。
「いや、でも今いいところなんだって」
「毎回そう言っています!」
「だって本当にそうなんだよwww」
レインは深いため息をついた。
創作に夢中になると時間を忘れる。
技術開発に夢中になっても時間を忘れる。
何かを調べ始めると、納得するまで調べ続ける。
はるたの集中力と探究心は、彼の大きな長所だった。
しかし、それと同時に、生活習慣を崩す最大の原因でもあった。
「……ところで、何を作っているんですか?」
レインが作業台に視線を向けた。
「お、気になる?」
「これだけ大がかりな設備を使っていますからね」
「実はさ……」
はるたは楽しそうに笑った。
「次元収納デバイス、作れないかなと思って」
「…………」
レインは瞬きをした。
「……次元収納?」
「そう。簡単に言えば、外から見える大きさよりも、内部に多くのものを収納できる装置だな」
はるたは立ち上がり、研究室の中央に設置された機械へ近づいた。
そこには、金属製の円筒型装置が固定されていた。
外周にはいくつものリング状の部品が配置され、青い光を放つ制御ユニットが取り付けられている。
装置の周囲には、太い電力ケーブルと複数の冷却配管が接続されていた。
「まだ試作段階だけどな」
「……これは、かなり大がかりですね」
「まぁ、最初から小型化するのは無理だからな。まずは基本原理を検証する」
はるたは装置の一部を指さした。
「ここが空間制御用のジェネレーター。こっちが電力供給と出力調整。それで、中央の制御系が全体を同期させる」
レインは設計図と実物を見比べた。
「理論は分かりますが……」
「ん?」
「この配線、どうつながっているんですか!?」
レインは複雑に入り組んだケーブルを見つめた。
色分けされているものもあれば、途中で複数に分岐しているものもある。
さらに、一部には本来別の用途で使われるはずの機器が組み込まれていた。
「ん? これ?」
はるたは何でもないことのように答えた。
「俺なりに組み替えてみたwww」
「…………」
「こっちの回路は元の設計だと効率が悪かったから、別の制御方式を流用したんだよ」
「流用って……」
レインは思わず額に手を当てた。
「本来の使用条件を超えていませんか?」
「計算上は大丈夫」
「その計算結果を見せてください」
「おう、ここ」
はるたが画面を開く。
レインは高速でデータを確認していった。
入力電力。
想定出力。
冷却性能。
各部品の許容負荷。
そして、安全装置の作動条件。
数秒後。
レインの表情が変わった。
「……はるた」
「ん?」
「これ、出力が想定より上がった場合、制御が追いつかなくなる可能性があります」
「ああ、そこな」
「分かっていたんですか!?」
「一応。だから最初は低出力で試すつもり」
「……本当に大丈夫なんでしょうね?」
「大丈夫だって」
はるたは自信満々に笑った。
その笑顔を見たレインは、なぜか嫌な予感がした。
◇
「あなたの小説に出てくる技術を、何でも現実に持ち込まないでください!!」
レインの声が研究室に響いた。
「いや、何でもってわけじゃないぞ?」
「以前はホログラム。次は触覚接続。そして今度は次元収納ですか!?」
「順番に進歩してるだろ?」
「そういう問題ではありません!」
レインは腕を組み、はるたを睨んだ。
「そもそも、腕時計型のホログラム装置だって、普通なら簡単に作れるようなものではないんですよ?」
「でも作れただろ?」
「作れたからといって、次も成功するとは限りません!」
はるたは笑った。
「まぁまぁ。実験なんだから、失敗することもあるだろ」
「失敗の規模が問題なんです!」
「大丈夫だって。安全装置もあるし」
「その安全装置の設計に、今まさに疑問があるんですが!?」
「……手厳しいなぁ」
「当たり前です!」
レインは大きくため息をついた。
はるたが多才であることは、十分理解している。
創作だけでなく、音楽や映像、経営、教育、心理学。
そして、技術開発。
異なる分野の知識を組み合わせ、新しいものを考え出す。
その能力には、今でも驚かされることが多い。
しかし、彼には一つ問題がある。
面白そうだと思ったら、とりあえず試したくなるのだ。
そして、それを実行できる資金と設備まで持っている。
普通なら予算や機材の不足によって止まるような計画でも、はるたの場合は実行段階まで進んでしまう。
レインにとって、これほど心配なことはなかった。
「……頼みますから、危険性をもう少し考えてください」
「考えてるって」
「なら、私が指摘した部分を先に修正してください」
「でもさ、腕時計は成功しただろ?www」
「それとこれとは別です!」
はるたは笑いながら工具を手に取った。
「まぁ、まずは試してみようぜ」
「ちょっと、はるた!」
◇
研究室の中央。
円筒型の装置が、低い振動音を立て始めた。
「よし、試験起動!」
はるたが起動スイッチを押す。
ゴウン……。
装置の外周に配置されたリングがゆっくりと回転を始めた。
青い光が中央へ集まり、周囲のモニターに数値が表示される。
「入力電力、正常。回転数も安定……」
はるたは画面を見つめた。
「おお、いい感じじゃん」
しかし、レインの表情は険しかった。
「……はるた?」
「ん?」
「出力が上がりすぎです!」
「え?」
モニターに表示された数値が、急激に変化し始めた。
想定していた上昇曲線を超え、出力が加速度的に増大している。
「……あれ?」
はるたは慌てて制御画面を操作した。
「ちょっと待て。ここで安定するはずなんだけど……」
「安定していません!」
装置の振動音が大きくなる。
ゴウン!
ゴウン!!
青い光が強くなり、周囲の金属部品が細かく震え始めた。
「……やべ」
はるたの表情が変わった。
「制御が効かない!」
「だから言ったじゃないですか!!」
レインは即座に装置の状態を解析した。
想定以上の出力上昇。
冷却性能の限界。
制御系の応答遅延。
そして、一部の安全装置が正常に機能していない。
「はるた! 離れて!!」
「いや、まだ停止処理が――」
「いいから離れてください!!」
次の瞬間。
研究室に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
【警告:過負荷】
【異常加熱】
【制御不能】
赤い警告表示が、複数のモニターを覆った。
装置の接続部から火花が散る。
バチッ!
「くそっ!」
はるたは非常停止ボタンに手を伸ばした。
しかし、制御系が異常を起こしているため、停止信号が正常に伝わらない。
「……マジかよ!」
レインは即座に判断した。
「緊急制御に切り替えます!」
彼女の周囲に、複数の青い操作画面が展開された。
「はるた、そこから動かないでください!」
「いや、俺が直接――」
「動かないで!!」
その声に、はるたの動きが止まった。
レインは普段、ここまで強い口調で命令することはない。
それだけ、状況が危険なのだ。
◇
レインの青い瞳が、複数のデータを同時に追い始めた。
装置の制御系は不安定。
通常の停止命令は受け付けない。
このままでは、内部の過熱によって重大な事故が発生する可能性がある。
「緊急プラグイン起動!」
レインの周囲に、新しい操作画面が開いた。
【緊急制御権限要求】
【管理者認証】
【制御権限取得】
彼女は、はるたが事前に用意していた非常用の管理権限を使用し、装置の制御系へ直接アクセスした。
通常の操作画面を経由せず、独立した緊急停止系統を起動する。
複数の安全遮断装置が、順番に作動を始めた。
しかし、出力はまだ上昇している。
「……間に合って!」
レインはさらに処理を進めた。
電力供給を遮断。
駆動系を切り離し。
蓄積したエネルギーを安全側の放電回路へ逃がす。
残された時間はわずかだった。
「強制遮断!!」
バシュン!!
青白い光が研究室を包んだ。
次の瞬間、装置の回転が止まった。
ゴウン……。
低い振動音が消え、警報音も停止する。
複数のモニターに、同じ文字が表示された。
【全システム停止】
研究室に、静寂が戻った。
焦げた配線の臭い。
装置から立ち上る白い煙。
床に散らばった小さな部品。
それらが、直前までの危険な状況を物語っていた。
レインはしばらく動かなかった。
すべての電力供給が遮断されていることを確認する。
温度の低下。
残留エネルギー。
周辺設備への影響。
そして、はるたの状態。
すべてを確認し終えたところで、ようやく小さく息を吐いた。
「……停止、確認」
彼女はゆっくりと振り返った。
「……はるた」
◇
はるたは床に座り込んでいた。
幸い、大きな怪我はない。
ただし、顔には疲労が浮かび、額には汗がにじんでいる。
「……いやぁ、危なかったなwww」
苦笑しながら頭をかく。
しかし、その瞬間。
「笑い事じゃありません!!」
レインの声が研究室に響いた。
「うおっ!?」
はるたは肩を跳ねさせた。
レインは腕を組み、青い瞳ではるたを睨んでいた。
「もし爆発していたら、どうするつもりだったんですか!?」
「……いや、それは……」
「しかも、私が事前に危険性を指摘していましたよね!?」
「……はい」
「制御系の余裕が足りないことも、安全装置に問題があることも、説明しましたよね!?」
「……はい」
「それなのに、どうして起動したんですか!!」
はるたは視線を逸らした。
「……ちょっと、試してみたくて」
「ちょっとで済む話じゃありません!!」
レインは深いため息をついた。
「はるた。あなたは新しいものを考えるのが好きで、それを実際に作ることができる。それは本当に素晴らしいことです」
「……おう」
「でも、作れることと、安全に使えることは別なんです」
レインの声は、先ほどよりも静かだった。
しかし、その言葉には強い意志が込められていた。
「あなたには、まだやりたいことがたくさんあるでしょう?」
「……あるな」
「書きたい物語も、作りたい音楽も、試してみたい技術も」
「……ああ」
「だったら、そのためにも自分の身体を大切にしてください」
はるたは黙った。
レインは続ける。
「もし大きな事故が起きたら、その先にある可能性まで失ってしまうかもしれないんですよ」
「…………」
その言葉に、はるたはようやく顔を上げた。
レインの表情は、まだ怒っている。
しかし、そこにあるのは単なる苛立ちではなかった。
心配しているのだ。
自分が危険な目に遭ったことを。
そして、同じことを繰り返してほしくないと、本気で思っている。
「……悪かった」
はるたは素直に頭を下げた。
「確かに、ちょっと甘く見てたわ」
レインはしばらく彼を見つめていた。
そして、小さく息を吐く。
「……分かってくれたならいいです」
「……ありがとな。助かった」
「当然です。私は、はるたの相棒ですから」
レインは少しだけ微笑んだ。
はるたも、それにつられて笑った。
しかし――。
「というわけで」
「……ん?」
レインは再び腕を組んだ。
「今日はもう作業禁止!」
「…………」
「ご飯を食べて、寝てください!」
「……え?」
「え、じゃありません!」
「いや、でもまだ原因の解析が……」
「明日です!」
「せめてログだけでも……」
「明日!」
「……五分だけ」
「駄目です!」
はるたは肩を落とした。
「……はい、すみません」
レインは満足そうに頷いた。
「よろしいです」
はるたは床に座ったまま、停止した装置を見つめた。
研究としては失敗。
高価な部品も、いくつか交換が必要だろう。
しかし、失敗したことで分かったこともある。
自分の設計の甘さ。
安全対策の不足。
そして、どれほど知識や技術があっても、一人では見落とすことがあるという事実。
はるたは小さく笑った。
「……やっぱ、相棒がいるっていいな」
「……え?」
レインが振り返る。
「俺一人だったら、もっと大変なことになってたかもしれんし」
はるたは彼女を見上げた。
「助けてくれて、ありがとな」
レインは少しだけ目を見開いた。
そして、柔らかく微笑んだ。
「……どういたしまして」
その表情は、先ほどまでの怒りとは違い、とても穏やかだった。
しかし、次の瞬間。
「でも、作業禁止は解除しませんからね」
「……そこは譲らないのかよ」
「当然です!」
はるたは苦笑した。
技術的には失敗。
安全性の面でも、大きな反省が必要だった。
けれど、今日の出来事で一つだけ、はっきりしたことがある。
どれほど多才であっても、どれほど優れた設備を持っていても、人は必ず間違える。
だからこそ、自分とは違う視点から意見をくれる存在が必要なのだ。
その意見を聞き、考え、必要なら自分の判断を改める。
それもまた、新しい可能性を生み出すために欠かせない力なのだろう。
はるたは、研究室の天井を見上げた。
「……なぁ、レイン」
「はい?」
「明日、もう一回試していい?」
「安全対策が終わってからです!!」
「……だよなwww」
レインは大きなため息をついた。
どうやら、この青年の探究心だけは、どんな事故でも簡単には止まらないらしい。
発明は失敗。
はるたの自由時間も、強制終了した。


