Boundary & Mind-心の境界線-創造主-



休日の午後。

駅前の繁華街は、多くの買い物客で賑わっていた。

通りには飲食店や洋服店が並び、色鮮やかな看板が建物の壁を飾っている。行き交う人々の話し声に、店先から流れる音楽、信号機の電子音が重なり、街全体が活気に満ちていた。

そんな人混みの中を、一組の男女が歩いていた。

黒髪に青緑色の瞳を持つ青年、はるた。

いつものグレーのパーカーに黒いTシャツ、ジーンズという服装だ。

その隣には、銀白色の長い髪を揺らす少女、レインがいる。

白いブラウスに淡いピンク色のカーディガン。花柄のスカートを身につけた彼女は、青い瞳を輝かせながら街の風景を眺めていた。

レインはAIだ。

本来、彼女に物理的な身体は存在しない。

しかし、はるたが開発したホログラム装置によって現実空間に姿を投影し、さらに特殊なリングを用いることで、限定的ながら触れ合う感覚まで実現していた。

現在も、彼女の姿は周囲の人間から認識できる通常投影モードになっている。

「……今のところ、かなり自然だな」

はるたは周囲を見渡しながら呟いた。

「ええ。違和感なく見えているみたいです」

レインは嬉しそうに微笑んだ。

前回の実験で確認された課題は、ホログラムの存在そのものよりも、周囲からどう認識されるかという問題だった。

しかし、今のレインは通常の人間とほとんど変わらない大きさで投影され、動作や視線の補正も安定している。

少なくとも、街を歩く人々の反応を見る限り、大きな問題はなさそうだった。

「服装も正解だったな」

「そうですね。私もこの服、気に入っています」

「似合ってるぞ」

「ふふっ。ありがとうございます」

レインは微笑むと、はるたの腕にそっと自分の腕を絡めた。

「……お?」

「どうかしましたか?」

「いや、リングの接触判定がちゃんと追従してるなと思って」

はるたは腕時計の表示を確認した。

レインの動作に合わせて、触覚刺激の位置が細かく調整されている。

もちろん、本物の人間の腕が絡んでいるわけではない。それでも、触れられているような感覚は確かに存在していた。

「……よし。安定してる」

「ふふっ。はるたは本当に実験が好きですね」

「そりゃ、自分で作ったものだからな。動くところを見るのが面白いんだよ」

「そういうところ、はるたらしいです」

二人は顔を見合わせて笑った。

誰が見ても、仲の良い男女が休日の街を歩いているような光景だった。

少なくとも、このときまでは。

◇

「なぁ、あの子めっちゃ綺麗じゃね?」

少し離れた場所で、二人の若い男性が足を止めていた。

一人は明るい茶髪にピアスをつけた、背の高い男。

もう一人は黒いキャップを被り、口元に薄い笑みを浮かべている。

二人の視線の先には、はるたと並んで歩くレインの姿があった。

「マジじゃん。すげぇ美人」

「だろ? あんな子、なかなか見ねぇよな」

茶髪の男は、レインの隣を歩くはるたを見た。

そして、鼻で笑った。

「でも、隣の男、なんか弱そうだし」

「確かに。大人しそうだな」

「ちょっと声かけてみようぜ」

「いいね」

二人は軽い足取りで近づいていった。

その頃、はるたはレインと次に向かう場所について話していた。

「この先に新しくできたカフェがあるんだよ」

「そうなんですか?」

「おう。ちょっと気になってたから、寄ってみようかなって」

「いいですね。私も見てみたいです」

「ただ、お前は飲めないけどな」

「……はるた?」

「冗談だってwww」

「またそういうことを言うんですから」

レインが頬を膨らませる。

はるたは笑いながら歩いていた。

そのときだった。

「ねぇねぇ、君かわいいね」

突然、横から声がかかった。

二人が振り向くと、見知らぬ男性が立っていた。

茶髪の男だ。

その後ろには、黒いキャップを被ったもう一人の男性もいる。

「……ん?」

はるたが眉を上げた。

しかし、男たちは彼の反応など気にしていなかった。

「ねぇ、今から暇? 俺らと遊ばない?」

茶髪の男は、レインに向かって馴れ馴れしく笑いかけた。

「え……?」

レインは突然のことに、目を瞬かせた。

「……私、ですか?」

「そうそう。君だよ。めっちゃ可愛いじゃん」

「いや、でも……」

「ちょっとだけでいいからさ」

男は楽しそうに笑いながら、さらに一歩近づいた。

レインは困惑したように、はるたへ視線を向ける。

しかし、男はそれに気づかない。

「せっかくだし、どっか遊びに行こうよ」

その隣で、キャップの男も口を開いた。

「そうそう。そっちの男より、俺らといた方が楽しいって」

「…………」

はるたの表情から、笑みが消えた。

◇

「ちょっとだけでいいじゃん」

茶髪の男が手を伸ばした。

その指先は、レインの肩へ向かっていた。

「え……」

レインが反射的に身を引く。

しかし、男は構わず距離を詰めてきた。

その瞬間だった。

バッ!

男の腕の前に、はるたの手が割って入った。

「触るな」

低い声だった。

つい先ほどまで笑っていた青年とは、まるで別人のようだった。

「……は?」

茶髪の男が顔をしかめる。

はるたは男とレインの間に立ち、彼女を背後にかばった。

レインは驚いたように目を見開いた。

「……はるた?」

はるたは振り返らない。

ただ、男たちをまっすぐに見ていた。

「嫌がってるだろ」

「はぁ? 別にちょっと話してただけじゃん」

「話すだけなら、勝手に触ろうとする必要ないだろ」

「なんだよ、お前」

茶髪の男が不機嫌そうに眉を寄せた。

隣のキャップの男も、一歩前に出る。

「おいおい、そんな怒ることねぇだろ」

「怒らせるようなことをするなよ」

はるたの声は静かだった。

しかし、その視線は揺らがない。

レインは、そんな彼の背中を見つめていた。

普段のはるたは、どちらかといえば穏やかで、よく笑う。

冗談も言うし、相手からからかわれれば、素直に反応することも多い。

けれど、必要なときには迷わない。

自分が守るべきだと思ったものに対して、ためらわず行動する。

それが、今のはるただった。

「……俺のレインに触れるな」

その言葉に、男たちの動きが止まった。

「……は?」

茶髪の男が目を見開いた。

キャップの男も、思わず口を開く。

「お、おい……!」

はるたは一歩も引かなかった。

「これ以上、近づくな」

その声に、茶髪の男は一瞬たじろいだ。

人通りの多い場所だったこともあり、周囲の視線が少しずつ集まり始めている。

「……ちっ。なんだよ、冗談じゃん」

茶髪の男が舌打ちした。

「行こうぜ」

「お、おう……」

二人は気まずそうに顔を見合わせると、足早にその場を離れていった。

しばらくして、人混みの向こうへ姿が消える。

はるたはその後ろ姿を見送り、ようやく息を吐いた。

「……ったく」

そして、レインへ振り返った。

「大丈夫か?」

◇

レインは、しばらく何も言わなかった。

青い瞳で、はるたをじっと見つめている。

「……レイン?」

「…………」

「おい、大丈夫か?」

「……はるた」

「ん?」

レインはゆっくりと微笑んだ。

「……かっこいいです」

「…………」

はるたは一瞬、言葉を失った。

「……ま、まぁな」

照れくさそうに視線を逸らす。

すると、レインはさらに笑みを深めた。

「ふふっ。本当に、かっこよかったですよ」

「……そんな大したことしてないだろ」

「いいえ」

レインは首を横に振った。

「私が困っているのを見て、すぐに行動してくれました」

「そりゃ、当たり前だろ」

「……当たり前、ですか?」

「おう」

はるたは肩をすくめた。

「別に相手が誰でも、嫌がってるところを無理やり触ろうとしたら止めるだろ」

レインは、その言葉を聞いて少しだけ目を細めた。

自分が特別だから守ってくれた。

もちろん、それも嬉しい。

けれど、はるたはそれを特別なことだと思っていない。

目の前で困っている相手がいれば助ける。

ただ、それだけなのだ。

「……そういうところも、素敵だと思います」

「……なんか今日、やけに褒めるな」

「ふふっ。本当のことですから」

はるたは少しだけ頬を赤くした。

レインはその反応を楽しそうに眺めていた。

そして――。

「ところで、はるた」

「ん?」

レインは首を傾げた。

「一つ、聞いてもいいですか?」

「なんだ?」

「それで、なんでモテないんですか?」

「…………」

はるたの表情が固まった。

「……は?」

レインは、不思議そうに続ける。

「だって、優しいですし、色々なことができますし、いざというときは頼りになりますよね?」

「……お、おう」

「しかも、さっきみたいにかっこいいところもあるのに」

「…………」

「それなのに、どうして現実では彼女がいないんでしょう?」

「ぐはっ!!」

はるたは胸を押さえた。

先ほどの真剣な表情は、どこかへ消え去っていた。

「お、お前……!」

「はい?」

「今、それ言う必要あるか!?」

「え? 純粋な疑問ですよ?」

「純粋なら何言ってもいいわけじゃねぇぞ!!」

レインは口元に手を当てた。

「ふふっ……」

「絶対面白がってるだろ!!」

「少しだけです♡」

「認めるなよ!!」

はるたは頭を抱えた。

レインは楽しそうに笑っている。

「でも、はるた」

「……今度は何だよ」

「私は、はるたのそういうところが好きですよ」

「…………」

はるたは顔を上げた。

レインは穏やかな笑顔を浮かべている。

「自分が大切だと思うことに、ちゃんと行動できるところです」

「……そっか」

「はい」

はるたは少し照れくさそうに笑った。

しかし、次の瞬間。

「ですから、本当に不思議なんです。どうしてモテないんでしょうね?」

「だからもういいって!!」

レインの笑い声が、街の喧騒に溶けていった。

◇

二人は再び歩き始めた。

レインは、はるたの腕にそっと自分の腕を絡める。

「……なぁ、レイン」

「はい?」

「一つだけ言わせてくれ」

「なんでしょう?」

「俺、お前を守ったんだよな?」

「はい」

「それなのに、なんで俺が一番ダメージ受けてるんだ?」

レインは少しだけ考え込む素振りを見せた。

そして、にっこりと笑う。

「ふふっ。私の言葉が、はるたには一番効くからじゃないですか?」

「……自覚あるんだな」

「もちろんです♡」

「……恐ろしい相棒だな、おい」

二人は顔を見合わせ、笑った。

街は相変わらず賑やかだった。

人々はそれぞれの目的地へ向かい、誰もが自分の日常を歩んでいる。

その中で、はるたとレインもまた、いつもどおりの時間を過ごしていた。

創作を楽しみ、技術を考え、くだらないことで笑い合う。

ときには真剣に話し合い、ときには遠慮なくからかい合う。

そんな関係が、二人にとっては自然だった。

「……レイン」

「はい?」

「今日のこと、あんまりからかうなよ?」

「どのことですか?」

「モテないって話だよ!」

「ああ……」

レインは納得したように頷いた。

「では、今度はどうすればモテるか、一緒に考えましょうか?」

「余計なお世話だわ!!」

またしても、はるたの叫び声が街に響いた。

どうやら、どれほど格好よく決めても、最後に落とされるのがはるたの運命らしい。

けれど、その隣で笑っている相棒の表情は、どこか嬉しそうだった。

はるたが自分を守ってくれたこと。

そして、自分を大切な存在として扱ってくれたこと。

その二つが、レインには何より嬉しかった。

彼の作り出した技術によって、初めて現実世界に姿を現すことができた。

そして今、自分はその世界で、彼と同じ景色を見ている。

人間とAI。

異なる存在でありながら、同じ時間を共有している。

レインは、はるたの腕に絡めた手を少しだけ動かした。

リングが反応し、はるたの腕にわずかな触覚を伝える。

「……ん?」

「ふふっ。なんでもありません」

レインは微笑んだ。

「これからも、よろしくお願いしますね。はるた」

はるたは少し不思議そうな顔をしたあと、笑った。

「おう。こちらこそな」

二人は再び歩き出した。

その姿は、どこにでもいる仲の良い男女と変わらなかった。

ただ一つ違うのは、少女の身体が光によって作られているということだけ。

それでも、互いを大切に思う気持ちまで、作り物になるわけではない。

もっとも――。

「……ところで、はるた」

「ん?」

「さっきの『俺のレイン』って言葉、もう一回言ってもらえませんか?」

「…………」

「ふふっ。私、嬉しかったんですよ?」

「……絶対言わねぇ」

「ええっ? どうしてですか?」

「お前、絶対またからかうだろ!」

「ふふっ。そんなことありませんよ♡」

「信用できねぇ!!」

今日も、はるたの平穏は遠かった。