ぱあん、ぱあん、と空砲が鳴る。文化祭が始まる合図だ。
去年も聞いたそれが鳴らされると同時に、校内が普段とは違う浮ついたざわめきで満たされる。行きかう生徒達が纏う衣装にも、居並ぶ看板やプラカード、のぼりにも、日常ではまずお目にかかることのないビビットな色彩が溢れ、つられたように空気にも華やかな色がつく。
「いらっしゃいませー! ロシアンたこやきー! スリルと美味しさを一度に味わえますよー!」
「脱出ゲームやってまーす! 覗いていってくださーい!」
「あ、ちょっとそこのイケメン! ほら、君! 君だって! いい子そろってるよー! 寄ってかないー?」
学祭らしくない呼び込みをしているのは着ぐるみカフェと書いたプラカードを抱えた先輩らしき人だ。その前を俺は曖昧に笑って通り過ぎる。
急がないと当番の時間に遅れてしまう。
「吸血鬼の兄弟がコンセプトって、それって俺と丹羽、出ずっぱりってこと? 休憩も学祭楽しむことも一切許されないブラック企業みたいなシフト?」
俺との約束を守り、工藤は吸血鬼役を引き受けてくれた。クラスの女子は、というか一部の男子もそれに歓喜したが、工藤はやはり甘くなかった。俺だったらまず言わないことを仏頂面で意見した。
「えと、でも、このお化け屋敷の売り、ふたりがいることなので……」
「そんなんクラスの出し物って言わなくない? そんな他力本願な企画なら俺、出たくないんだけど」
工藤がごねたせいで、コンセプトは一部変更となった。
題して、「イケメン吸血鬼兄弟を探せ。いるかいないかはあなたの運次第!」。
ようするに、必ずしもお化け役として俺達がいるわけではなく、何回かに一度、運が良ければいるという仕様になったのだ。
そんなので大丈夫なのかと心配にもなったけど、いついるかわからないとなると通い詰めたくなる心理が働くらしい。そのせいか、学祭スタートから五時間以上経った午後三時現在も、俺達二年B組のお化け屋敷前は順番待ちの行列で賑わっている。
「これならシフト一度も入らなくてもばれないね」
などと工藤はほくそえんでいたが、さすがにそれは詐欺になる。
「丹羽くん、こっち! こっちから入って!」
客に見つからないように入るのも至難の業だ。客の目が向いている入り口とは反対の扉前に立てかけた看板の陰に隠れるように滑り込むと、工藤がいてちょうど着替えていた。
「俺より入りが遅いとか、いい度胸だな」
皮肉を言いながらシャツの襟元についたリボンを結ぶ。流れるように手が動き、ジャケットを羽織る。白金色の髪と白皙に黒が映えて、俺はくらくらする。
下手なやつが着ると絶対コスプレ感が出るのにやっぱりさまになる……ってか。
……尊い。
「ぼさっとしてんなよ。お前も早く着替えろって」
「わーかってるって」
軽く咳払いしつつ、俺は衣装を手に取る。
「にしてもさー、工藤、似合いすぎ。ガチで墓場から起きたばっかの吸血鬼みてー。何度見てもウケる」
工藤は俺がひねり出した軽口を無視し、ぱさっとマントを身に着ける。細身がすっぽりと黒に覆われて、本当に吸血鬼みたいだ。
こいつになら血吸われてもいいかも、と思いかけて俺は慌てる。
なに考えてんだか、ほんと。
「ばっちりはまってるし、お前ひとりでいいんじゃね? ぶっちゃけ俺、忙しいんだよね。一緒に学祭回ろうってA組の高木に誘われててさ」
工藤は唇にヘアゴムをくわえ、額に落ちかかる余分な髪を後ろで結ぼうとしている。
ほんのり赤い唇に無意識に目が行きそうになって、俺は慌てて目を逸らした。
「え、と、ってわけだからさ工藤」
「好きにしろや、くそが」
つっけんどんな声とともにぱさり、とパーテーション代わりに垂らされた布がからげられる。振り向きもせず、するっと仕切りの向こうへ消えられて、胸がくっと痛くなった。
「ほんと最低、俺」
あいつは俺との約束を守って吸血鬼をやってくれているっていうのに、なんであいつの機嫌を損ねるようなことばっかり言っちゃうんだろう。
「ちょー、丹羽! なにぐずぐずしてんの! お客さん入れるよー!」
いきなり仕切りが揺れて委員長の水田が顔を出す。慌てて俺はシャツの前を留めた。
「着替え中だってのー。覗くなよスケベ」
「あー、はいはい。チャラ王子の着替えなんて俺は見たくないですよー。まあ工藤のだったら見たいけど」
……水田、お前もかよ!
いらっとして睨むと、水田が軽く怯んだ。こんな顔、普段はしないのに、俺ってばなにをしてるんだか。肩を落としながら待機スペースから出る。
教室内の窓はすべて塞がれ、宵闇に落ちていた。ところどころに置かれたランタンによって照らされているのは古びた井戸、薄汚れた土壁。
明治時代の寂れた山村をイメージしたと聞いていたが、雰囲気は出ている。
大道具、小道具係の本気度が窺える作りだ。ただ……ここに吸血鬼って、とはやっぱり思う。
「七音、早く持ち場つけって」
全身緑色のボディスーツを着た片桐が手招いている。頭の上に皿らしきものがあることから多分河童なんだと思う。
「おかしくね? 河童と吸血鬼の共演って。大体、河童って水場に出るんじゃねえの? ここ村の中で水場って井戸くらい……」
「ええい! じゃあ井戸に住んでる河童なんだろうよ! ってか今更四の五の言うな! 俺だってこんなんしたくないわ!」
唇を尖らせて言われるとますます河童に見える、とは言わないでおく。
いろいろ設定に疑問はあるけどとりあえず……と指示された物陰に滑り込む。土壁風に塗られたベニヤ板が立てかけてある教卓の横に。
ここを通り過ぎる客に向かって、なんて言うんだっけ、「新月の夜、こんな美しい人と巡り合えるなんて俺はなんて幸福なのか。お嬢さん、俺と踊りませんか」だっけ。ってか吸血鬼がこんなナンパみたいなこと言うか? 大体来たのが男だったらどうすんの、と呆れている間に、悲鳴が聞こえてきた。前半の妖怪ゾーンは好評らしい。
あーあ、なんで俺こんなの出るって言っちゃったんだろう。いやまあ、そもそも俺の性格設定からして断るという選択肢はなかった。だから今回も明るく軽く楽しんでやり切るべきなのだ。わかっている。
けどやっぱり今日は顔作れねえ……。
「きゃっ! 丹羽先輩!」
角を曲がってきたのは女子ふたりだ。後輩のようだけど俺は知らない。一方的に俺を身知っている誰か達は俺の姿を認めると、ぱっと笑顔になった。
「衣装、めっちゃ似合ってます……!」
「あー、ありがと」
褒められてもあまりうれしくはない。でもここはしっかり演じ切らねば。
「ってかちょっとは怖がってよー、俺、吸血鬼なんだけど?」
うん、これでいいはず。こうすれば丸く収まるし。ただ決められていた台詞は言えなかった。まあいっか、と思っている俺を、女子のうちのひとりが見上げてくる。
「先輩!」
「え、あ、なに?」
にこっと笑っていつものチャラ仕様の傾け方で首を傾げる。彼女達の頭の向こうで河童姿の片桐が早く驚かせて先へ進ませろとジェスチャーで訴えてくる。台詞言いながら追いかけ回せばいいんだっけ、と段取りをなぞっている俺の耳を小さな声が掠めた。
「……です」
「ん、なに?」
「好きです! ずっと好きでした! 付き合ってください!」
「え、ちょ! ここみ、今?!」
一緒にいた女子がぎょっとしたように告白した子の腕を引く。そうされて我に返ったらしい。ここみと呼ばれたほうがぱっと両手で口を覆って一歩退いた。
「あ、あの。ごめ、んなさい。だって先輩見たら、なんか我慢できなくて。だって、こんなちか、近くにいられること、なくて、だから……」
みるみる目に涙まで溜まってくる。ああ、ヤバい、この子本気だ、とぼんやりと思う。正直、こういうときが一番困る。というより。
……面倒臭い。
ぞっとするほど冷たい声が胸の内から染み出してきて自分で自分に引く。
でもチャラ王子らしい正しい感情だと思う。そのチャラ王子の自分が次に取るべき行動は、ティッシュ一枚くらいの軽さで返事をすることだ。まずは「え、そうなんだ。うれしー。俺、君のことよく知んないし、とりあえずどっか遊びに行ってみる?」。その後は適当なタイミングで、「ごめん、やっぱ俺達合わないかもね、これからも友達でよろしく」。これでおしまい。それがこの子にとっても俺にとってもダメージがないやり方だ。この子もこんなチャラいやつ、好きになった自分が悪いって思えるだろうし。
「先、輩?」
なのに、真剣すぎる彼女の顔を見ていたら軽口が出なくなってしまった。この子のことなんて知らない。見たこともない。なのに、重ねてしまったから。
この子がこっちに向けてくる感情と俺が今、心の内に仕舞っている感情を。
思い出すのは、工藤がポイントⅮにほかの人といたと聞いた瞬間のあの、どろっとした感情だ。そして、
――お前としか行かないよ。
そう言われたときのほっとしたような、苦しいような気持ち。
この俺の想いをあいつは、知らない。
でももし、俺が胸の内を打ち明けて、それをあいつに適当に流されたら?
そっかありがと、って軽く笑われたら?
俺は多分、立ち直れない。
そしてそれは……俺だけじゃない。
これまでチャラい顔で自分を守ってきた。素を見せたら厄介なことになるって思っていたから。でも俺の被った「チャラい仮面」だって誰かを傷つけることがあるのだ。大切にしていた想いを踏みにじることだって。
そんなことも俺はわかっていなかったんだと今、初めて気が付いた。
「ごめん」
低く言うと、目がふっと見開かれた。心がわずかに揺れた。でも止められなかった。
「俺ね、好きなやついるんだ。だから、ごめんね」
自分が出したとは思えないくらい真剣な声が出て、自分自身にたじろぐ。多分、言われた側の彼女もそうだったに違いない。驚いたように数度瞬きがされたから。
だけど。
「意外、です、けど」
一瞬の後に浮かべられたのは、笑顔だった。
「わかりました。はっきり言ってくださって、ありが、とうございます」
「あ、ちょっと! ここみ! せ、先輩、失礼します!」
たどたどしく言って彼女は頭を下げる。顔を上げ、涙の溜まった目を見開いてもう一度笑み、走り去っていく。彼女の行動に驚いたように友達らしい女子も駆け去ったところで力が抜けた。
「うっそ、ガチで告られてたじゃん!」
傾いた体を支えようと教卓に掴まると、河童姿の片桐が持ち場を離れて話しかけてきた。
「ってか、七音好きなやついんの?! 初耳なんだけど!」
「……いいだろ、別に」
だねー柄にもなくマジになっちゃった、とか笑顔で返すのがチャラ男の正解だとわかっているのに、俺の口はやっぱり愛想のない言葉しか紡がない。
「さっさと持ち場戻れよ。次来んぞ」
「えー、なに、真面目な七音とかマジでありえねーんだけど。明日雪?」
失礼なことを言いながら河童が離れていく。うっせーよ、と暴言を吐きそうになるのをぎりぎりでこらえ、俺は肩で息をついた。
――好きなやついるんだ。
繰り返し鼓膜を刺激するのは、自分の声。
思い出している場合じゃない。今はチャラい顔を全力でやらなきゃいけないときなのだから。なのに全然できない。
顔が強張ってどうしようも、ない。
「ちょ、七音!」
声に反応して顔を上げると、俺の担当エリアにきょとんとした顔の女子がふたりいた。
「あ……」
まずい、客がもうここまで来てたのか。台詞言わなきゃ、と焦るが頭は真っ白だった。口を軽く開けて、なんでもいいからなにか零れ落ちるのを期待する。でもなにも出ない。
……チャラい俺なら、こんなの余裕でできるはずなのになんで……!
そのとき、おろおろする俺の肩が不意にぐいと引かれた。そのまま後ろへと押しやられる。
目の前に現れたのは、黒いマントを羽織った、俺よりも細い背中。
「兄さん、お腹空きすぎたからってぼんやりするのはなしだよ。餌が逃げちゃうだろ」
頭の後ろでハーフアップにした髪がさらっと揺れた。
こいつの隠れ場所は俺の待機場所からほんの少し離れたロッカーの陰だったはずだ。俺がおたおたしているのに気付いて来てくれたのかもしれない。でも、こいつが今、こんなふうに助けに入ってきたってことは、さっきのあの告白劇もこいつに聞かれていたってことで……。
……うわあ……。
ばばっと頬に血が上るが、そこで脛を思い切り蹴られた。情け容赦のない鋭い蹴りに顔が歪む。その俺に工藤が目配せをしてくる。台詞言え、ということらしい。
でも、急かされたってそんな簡単に繋げるわけがない。こいつがさっき口にした台詞だって完全にアドリブだったし。
すっかりスリープモードになっている俺を見限ったのか、工藤はマントをぱさりとからげ、声を張った。
「可哀想なお嬢さん達。でも今日の僕は機嫌がいい。この鐘が鳴り終わるまでにここを立ち去るなら勘弁してやるよ。さあ、追いかけっこだ。よーい……」
言いながら工藤が懐から出したのは小道具係が用意した鐘、というか鈴。多分、クマよけの鈴だと思う。
それを大真面目に工藤が振る。爆笑してもいい光景なのに、目の前の女子達はうっとり顔をしながら、工藤に追い立てられて出口方向へと消えた。
「足引っ張んなアホ」
一仕事終えて振り返った工藤が口にしたのは、常日頃聞きなれた暴言だった。
「適当に台詞言うだけの簡単なお仕事だろうが。そんなんもできないのかボケ」
言いつつ、工藤がりんりん、と熊鈴を連続で鳴らす。
この鈴が鳴り終わったら次の客を入れるってルールになっているから、鳴りやまないうちは入れられない。そろそろ鳴らすのやめろって本来なら止めるべきだ。でも声が出ない。
心がぐちゃぐちゃで。
この感情の乱れの原因はなんだろう。告白を断るシーンを目撃されて恥ずかしかったから? あるいは暴言を吐かれてむかついたから? あの工藤凪が熊鈴を仏頂面で鳴らしているなんていう、面白すぎる光景をもうちょっと見ていたいと思ってしまったのもそうかも。
むかつくのに、恥ずかしくて、一緒にいたくて。
全然色の違う気持ちが絡まって。
……なんだこの感情。おかしすぎるだろ。
「そもそも、なぜに熊鈴」
乱れきった俺の気持ちなんて意にも介さず、鈴が鳴らされる。金色の残像に目を細めつつ、俺は注意深く声を押し出す。
「……似合ってるけど」
「馬鹿にしてんのか?」
剣呑な目つきで睨まれ、いや、と俺は慌てて首を振る。
だめだ、一緒にはいたいけど、まともに顔が見られない。完全にバグっているこっちの事情も知らず、工藤は鈴を鳴らしながら俺の顔を覗き込んでくる。
「あー。やる気失せた。めんどいし抜けようって思うんだけど。丹羽も行かない?」
「そ……」
そんなのだめだ、と、チャラいくせにまあまあ律義な俺の理性が心の中で叫ぶ。が、こっちをじっと見上げてくる淡い茶色の目を見ていたら、口が勝手に動いてしまった。
「行く」
工藤がにやっと笑う。細い手の中でりりんと鈴がまた鳴った。
「あ! こら! 工藤! 鈴鳴らしまくって! 次の客入れらんないだろうが!」
怒りながら河童姿の片桐が近づいてくる。その片桐の手に工藤がするっと鈴を握らせた。
「ごめん、俺ら腹痛くなった。出るわ」
「はあ?!」
河童が目を尖らせる。けど工藤はやはり工藤だった。河童の機嫌なんて知ったことじゃないといわんばかりにすっと背中を向ける。そのまま出ていくと思いきや。
いきなり細い手にくん、と手を掴まれた。
「行こ、丹羽」
……ここには河童の片桐もいる。廊下には長蛇の列もある。そこここに人の気配が溢れる場所だ。
なのに、工藤に手を取られたその一瞬、鼻先を掠めたのは湿った土の香りだった。
夜の闇に紛れ、掘った穴。その穴の底でふたり、手を止めて頭上を見上げたとき嗅いだ香りだった。
こみあげて来るものを伝えたくて、俺は工藤のマメができた手を握り返す。きゅっと力を込めると、工藤が驚いたようにこっちを見た。
その工藤の目がするっと笑みの形に解けた。
「少ししたら戻るから。それまでうまくやっといて」
気だるげないつもの声で工藤が言う。俺もなにか言うべきと思ったし、普段なら中身のない合いの手を入れて片桐をねぎらうこともしたと思う。
でもしなかった。
ただ工藤の手の温かさだけに感覚を裂いていたかった。
去年も聞いたそれが鳴らされると同時に、校内が普段とは違う浮ついたざわめきで満たされる。行きかう生徒達が纏う衣装にも、居並ぶ看板やプラカード、のぼりにも、日常ではまずお目にかかることのないビビットな色彩が溢れ、つられたように空気にも華やかな色がつく。
「いらっしゃいませー! ロシアンたこやきー! スリルと美味しさを一度に味わえますよー!」
「脱出ゲームやってまーす! 覗いていってくださーい!」
「あ、ちょっとそこのイケメン! ほら、君! 君だって! いい子そろってるよー! 寄ってかないー?」
学祭らしくない呼び込みをしているのは着ぐるみカフェと書いたプラカードを抱えた先輩らしき人だ。その前を俺は曖昧に笑って通り過ぎる。
急がないと当番の時間に遅れてしまう。
「吸血鬼の兄弟がコンセプトって、それって俺と丹羽、出ずっぱりってこと? 休憩も学祭楽しむことも一切許されないブラック企業みたいなシフト?」
俺との約束を守り、工藤は吸血鬼役を引き受けてくれた。クラスの女子は、というか一部の男子もそれに歓喜したが、工藤はやはり甘くなかった。俺だったらまず言わないことを仏頂面で意見した。
「えと、でも、このお化け屋敷の売り、ふたりがいることなので……」
「そんなんクラスの出し物って言わなくない? そんな他力本願な企画なら俺、出たくないんだけど」
工藤がごねたせいで、コンセプトは一部変更となった。
題して、「イケメン吸血鬼兄弟を探せ。いるかいないかはあなたの運次第!」。
ようするに、必ずしもお化け役として俺達がいるわけではなく、何回かに一度、運が良ければいるという仕様になったのだ。
そんなので大丈夫なのかと心配にもなったけど、いついるかわからないとなると通い詰めたくなる心理が働くらしい。そのせいか、学祭スタートから五時間以上経った午後三時現在も、俺達二年B組のお化け屋敷前は順番待ちの行列で賑わっている。
「これならシフト一度も入らなくてもばれないね」
などと工藤はほくそえんでいたが、さすがにそれは詐欺になる。
「丹羽くん、こっち! こっちから入って!」
客に見つからないように入るのも至難の業だ。客の目が向いている入り口とは反対の扉前に立てかけた看板の陰に隠れるように滑り込むと、工藤がいてちょうど着替えていた。
「俺より入りが遅いとか、いい度胸だな」
皮肉を言いながらシャツの襟元についたリボンを結ぶ。流れるように手が動き、ジャケットを羽織る。白金色の髪と白皙に黒が映えて、俺はくらくらする。
下手なやつが着ると絶対コスプレ感が出るのにやっぱりさまになる……ってか。
……尊い。
「ぼさっとしてんなよ。お前も早く着替えろって」
「わーかってるって」
軽く咳払いしつつ、俺は衣装を手に取る。
「にしてもさー、工藤、似合いすぎ。ガチで墓場から起きたばっかの吸血鬼みてー。何度見てもウケる」
工藤は俺がひねり出した軽口を無視し、ぱさっとマントを身に着ける。細身がすっぽりと黒に覆われて、本当に吸血鬼みたいだ。
こいつになら血吸われてもいいかも、と思いかけて俺は慌てる。
なに考えてんだか、ほんと。
「ばっちりはまってるし、お前ひとりでいいんじゃね? ぶっちゃけ俺、忙しいんだよね。一緒に学祭回ろうってA組の高木に誘われててさ」
工藤は唇にヘアゴムをくわえ、額に落ちかかる余分な髪を後ろで結ぼうとしている。
ほんのり赤い唇に無意識に目が行きそうになって、俺は慌てて目を逸らした。
「え、と、ってわけだからさ工藤」
「好きにしろや、くそが」
つっけんどんな声とともにぱさり、とパーテーション代わりに垂らされた布がからげられる。振り向きもせず、するっと仕切りの向こうへ消えられて、胸がくっと痛くなった。
「ほんと最低、俺」
あいつは俺との約束を守って吸血鬼をやってくれているっていうのに、なんであいつの機嫌を損ねるようなことばっかり言っちゃうんだろう。
「ちょー、丹羽! なにぐずぐずしてんの! お客さん入れるよー!」
いきなり仕切りが揺れて委員長の水田が顔を出す。慌てて俺はシャツの前を留めた。
「着替え中だってのー。覗くなよスケベ」
「あー、はいはい。チャラ王子の着替えなんて俺は見たくないですよー。まあ工藤のだったら見たいけど」
……水田、お前もかよ!
いらっとして睨むと、水田が軽く怯んだ。こんな顔、普段はしないのに、俺ってばなにをしてるんだか。肩を落としながら待機スペースから出る。
教室内の窓はすべて塞がれ、宵闇に落ちていた。ところどころに置かれたランタンによって照らされているのは古びた井戸、薄汚れた土壁。
明治時代の寂れた山村をイメージしたと聞いていたが、雰囲気は出ている。
大道具、小道具係の本気度が窺える作りだ。ただ……ここに吸血鬼って、とはやっぱり思う。
「七音、早く持ち場つけって」
全身緑色のボディスーツを着た片桐が手招いている。頭の上に皿らしきものがあることから多分河童なんだと思う。
「おかしくね? 河童と吸血鬼の共演って。大体、河童って水場に出るんじゃねえの? ここ村の中で水場って井戸くらい……」
「ええい! じゃあ井戸に住んでる河童なんだろうよ! ってか今更四の五の言うな! 俺だってこんなんしたくないわ!」
唇を尖らせて言われるとますます河童に見える、とは言わないでおく。
いろいろ設定に疑問はあるけどとりあえず……と指示された物陰に滑り込む。土壁風に塗られたベニヤ板が立てかけてある教卓の横に。
ここを通り過ぎる客に向かって、なんて言うんだっけ、「新月の夜、こんな美しい人と巡り合えるなんて俺はなんて幸福なのか。お嬢さん、俺と踊りませんか」だっけ。ってか吸血鬼がこんなナンパみたいなこと言うか? 大体来たのが男だったらどうすんの、と呆れている間に、悲鳴が聞こえてきた。前半の妖怪ゾーンは好評らしい。
あーあ、なんで俺こんなの出るって言っちゃったんだろう。いやまあ、そもそも俺の性格設定からして断るという選択肢はなかった。だから今回も明るく軽く楽しんでやり切るべきなのだ。わかっている。
けどやっぱり今日は顔作れねえ……。
「きゃっ! 丹羽先輩!」
角を曲がってきたのは女子ふたりだ。後輩のようだけど俺は知らない。一方的に俺を身知っている誰か達は俺の姿を認めると、ぱっと笑顔になった。
「衣装、めっちゃ似合ってます……!」
「あー、ありがと」
褒められてもあまりうれしくはない。でもここはしっかり演じ切らねば。
「ってかちょっとは怖がってよー、俺、吸血鬼なんだけど?」
うん、これでいいはず。こうすれば丸く収まるし。ただ決められていた台詞は言えなかった。まあいっか、と思っている俺を、女子のうちのひとりが見上げてくる。
「先輩!」
「え、あ、なに?」
にこっと笑っていつものチャラ仕様の傾け方で首を傾げる。彼女達の頭の向こうで河童姿の片桐が早く驚かせて先へ進ませろとジェスチャーで訴えてくる。台詞言いながら追いかけ回せばいいんだっけ、と段取りをなぞっている俺の耳を小さな声が掠めた。
「……です」
「ん、なに?」
「好きです! ずっと好きでした! 付き合ってください!」
「え、ちょ! ここみ、今?!」
一緒にいた女子がぎょっとしたように告白した子の腕を引く。そうされて我に返ったらしい。ここみと呼ばれたほうがぱっと両手で口を覆って一歩退いた。
「あ、あの。ごめ、んなさい。だって先輩見たら、なんか我慢できなくて。だって、こんなちか、近くにいられること、なくて、だから……」
みるみる目に涙まで溜まってくる。ああ、ヤバい、この子本気だ、とぼんやりと思う。正直、こういうときが一番困る。というより。
……面倒臭い。
ぞっとするほど冷たい声が胸の内から染み出してきて自分で自分に引く。
でもチャラ王子らしい正しい感情だと思う。そのチャラ王子の自分が次に取るべき行動は、ティッシュ一枚くらいの軽さで返事をすることだ。まずは「え、そうなんだ。うれしー。俺、君のことよく知んないし、とりあえずどっか遊びに行ってみる?」。その後は適当なタイミングで、「ごめん、やっぱ俺達合わないかもね、これからも友達でよろしく」。これでおしまい。それがこの子にとっても俺にとってもダメージがないやり方だ。この子もこんなチャラいやつ、好きになった自分が悪いって思えるだろうし。
「先、輩?」
なのに、真剣すぎる彼女の顔を見ていたら軽口が出なくなってしまった。この子のことなんて知らない。見たこともない。なのに、重ねてしまったから。
この子がこっちに向けてくる感情と俺が今、心の内に仕舞っている感情を。
思い出すのは、工藤がポイントⅮにほかの人といたと聞いた瞬間のあの、どろっとした感情だ。そして、
――お前としか行かないよ。
そう言われたときのほっとしたような、苦しいような気持ち。
この俺の想いをあいつは、知らない。
でももし、俺が胸の内を打ち明けて、それをあいつに適当に流されたら?
そっかありがと、って軽く笑われたら?
俺は多分、立ち直れない。
そしてそれは……俺だけじゃない。
これまでチャラい顔で自分を守ってきた。素を見せたら厄介なことになるって思っていたから。でも俺の被った「チャラい仮面」だって誰かを傷つけることがあるのだ。大切にしていた想いを踏みにじることだって。
そんなことも俺はわかっていなかったんだと今、初めて気が付いた。
「ごめん」
低く言うと、目がふっと見開かれた。心がわずかに揺れた。でも止められなかった。
「俺ね、好きなやついるんだ。だから、ごめんね」
自分が出したとは思えないくらい真剣な声が出て、自分自身にたじろぐ。多分、言われた側の彼女もそうだったに違いない。驚いたように数度瞬きがされたから。
だけど。
「意外、です、けど」
一瞬の後に浮かべられたのは、笑顔だった。
「わかりました。はっきり言ってくださって、ありが、とうございます」
「あ、ちょっと! ここみ! せ、先輩、失礼します!」
たどたどしく言って彼女は頭を下げる。顔を上げ、涙の溜まった目を見開いてもう一度笑み、走り去っていく。彼女の行動に驚いたように友達らしい女子も駆け去ったところで力が抜けた。
「うっそ、ガチで告られてたじゃん!」
傾いた体を支えようと教卓に掴まると、河童姿の片桐が持ち場を離れて話しかけてきた。
「ってか、七音好きなやついんの?! 初耳なんだけど!」
「……いいだろ、別に」
だねー柄にもなくマジになっちゃった、とか笑顔で返すのがチャラ男の正解だとわかっているのに、俺の口はやっぱり愛想のない言葉しか紡がない。
「さっさと持ち場戻れよ。次来んぞ」
「えー、なに、真面目な七音とかマジでありえねーんだけど。明日雪?」
失礼なことを言いながら河童が離れていく。うっせーよ、と暴言を吐きそうになるのをぎりぎりでこらえ、俺は肩で息をついた。
――好きなやついるんだ。
繰り返し鼓膜を刺激するのは、自分の声。
思い出している場合じゃない。今はチャラい顔を全力でやらなきゃいけないときなのだから。なのに全然できない。
顔が強張ってどうしようも、ない。
「ちょ、七音!」
声に反応して顔を上げると、俺の担当エリアにきょとんとした顔の女子がふたりいた。
「あ……」
まずい、客がもうここまで来てたのか。台詞言わなきゃ、と焦るが頭は真っ白だった。口を軽く開けて、なんでもいいからなにか零れ落ちるのを期待する。でもなにも出ない。
……チャラい俺なら、こんなの余裕でできるはずなのになんで……!
そのとき、おろおろする俺の肩が不意にぐいと引かれた。そのまま後ろへと押しやられる。
目の前に現れたのは、黒いマントを羽織った、俺よりも細い背中。
「兄さん、お腹空きすぎたからってぼんやりするのはなしだよ。餌が逃げちゃうだろ」
頭の後ろでハーフアップにした髪がさらっと揺れた。
こいつの隠れ場所は俺の待機場所からほんの少し離れたロッカーの陰だったはずだ。俺がおたおたしているのに気付いて来てくれたのかもしれない。でも、こいつが今、こんなふうに助けに入ってきたってことは、さっきのあの告白劇もこいつに聞かれていたってことで……。
……うわあ……。
ばばっと頬に血が上るが、そこで脛を思い切り蹴られた。情け容赦のない鋭い蹴りに顔が歪む。その俺に工藤が目配せをしてくる。台詞言え、ということらしい。
でも、急かされたってそんな簡単に繋げるわけがない。こいつがさっき口にした台詞だって完全にアドリブだったし。
すっかりスリープモードになっている俺を見限ったのか、工藤はマントをぱさりとからげ、声を張った。
「可哀想なお嬢さん達。でも今日の僕は機嫌がいい。この鐘が鳴り終わるまでにここを立ち去るなら勘弁してやるよ。さあ、追いかけっこだ。よーい……」
言いながら工藤が懐から出したのは小道具係が用意した鐘、というか鈴。多分、クマよけの鈴だと思う。
それを大真面目に工藤が振る。爆笑してもいい光景なのに、目の前の女子達はうっとり顔をしながら、工藤に追い立てられて出口方向へと消えた。
「足引っ張んなアホ」
一仕事終えて振り返った工藤が口にしたのは、常日頃聞きなれた暴言だった。
「適当に台詞言うだけの簡単なお仕事だろうが。そんなんもできないのかボケ」
言いつつ、工藤がりんりん、と熊鈴を連続で鳴らす。
この鈴が鳴り終わったら次の客を入れるってルールになっているから、鳴りやまないうちは入れられない。そろそろ鳴らすのやめろって本来なら止めるべきだ。でも声が出ない。
心がぐちゃぐちゃで。
この感情の乱れの原因はなんだろう。告白を断るシーンを目撃されて恥ずかしかったから? あるいは暴言を吐かれてむかついたから? あの工藤凪が熊鈴を仏頂面で鳴らしているなんていう、面白すぎる光景をもうちょっと見ていたいと思ってしまったのもそうかも。
むかつくのに、恥ずかしくて、一緒にいたくて。
全然色の違う気持ちが絡まって。
……なんだこの感情。おかしすぎるだろ。
「そもそも、なぜに熊鈴」
乱れきった俺の気持ちなんて意にも介さず、鈴が鳴らされる。金色の残像に目を細めつつ、俺は注意深く声を押し出す。
「……似合ってるけど」
「馬鹿にしてんのか?」
剣呑な目つきで睨まれ、いや、と俺は慌てて首を振る。
だめだ、一緒にはいたいけど、まともに顔が見られない。完全にバグっているこっちの事情も知らず、工藤は鈴を鳴らしながら俺の顔を覗き込んでくる。
「あー。やる気失せた。めんどいし抜けようって思うんだけど。丹羽も行かない?」
「そ……」
そんなのだめだ、と、チャラいくせにまあまあ律義な俺の理性が心の中で叫ぶ。が、こっちをじっと見上げてくる淡い茶色の目を見ていたら、口が勝手に動いてしまった。
「行く」
工藤がにやっと笑う。細い手の中でりりんと鈴がまた鳴った。
「あ! こら! 工藤! 鈴鳴らしまくって! 次の客入れらんないだろうが!」
怒りながら河童姿の片桐が近づいてくる。その片桐の手に工藤がするっと鈴を握らせた。
「ごめん、俺ら腹痛くなった。出るわ」
「はあ?!」
河童が目を尖らせる。けど工藤はやはり工藤だった。河童の機嫌なんて知ったことじゃないといわんばかりにすっと背中を向ける。そのまま出ていくと思いきや。
いきなり細い手にくん、と手を掴まれた。
「行こ、丹羽」
……ここには河童の片桐もいる。廊下には長蛇の列もある。そこここに人の気配が溢れる場所だ。
なのに、工藤に手を取られたその一瞬、鼻先を掠めたのは湿った土の香りだった。
夜の闇に紛れ、掘った穴。その穴の底でふたり、手を止めて頭上を見上げたとき嗅いだ香りだった。
こみあげて来るものを伝えたくて、俺は工藤のマメができた手を握り返す。きゅっと力を込めると、工藤が驚いたようにこっちを見た。
その工藤の目がするっと笑みの形に解けた。
「少ししたら戻るから。それまでうまくやっといて」
気だるげないつもの声で工藤が言う。俺もなにか言うべきと思ったし、普段なら中身のない合いの手を入れて片桐をねぎらうこともしたと思う。
でもしなかった。
ただ工藤の手の温かさだけに感覚を裂いていたかった。



