つがいがなんだってんだ!

 学院の外へ一歩出ると、一際大きな蝉時雨が容赦なく二人を包み込んだ。
 
「あっつい……!」
 
 青葉は思わず目を細め、空を見上げた。さっきまで冷房の効いた教室にいたせいで、まとわりつく湿気と肌を焦がすような真夏の陽光が、余計に強烈に感じる。
 
「今日は三十九度まで上がるらしい」
「うわぁ……そりゃ身体強化でも溶けるね」

 そんな他愛もない話を交わしながら坂道を下り、やがて駅前へとたどり着く。最初に足を運んだのは、文具売り場も充実した大型書店だった。

「術式ノート、術式ノート……あった」
 
 棚からサンプルを手に取り、ぱらぱらとページをめくり始める。しばらくあれこれとノートを吟味していると、先ほどまで別の棚の方へと向かったはずの東雲が、いつの間にか隣に戻ってきていた。既に必要な物を購入したのか、片手には紙袋を下げている。
 
「そんな眉間に皺寄せてノートを選んでる奴、初めて見た」
「大事なの! 紙の質感やインクの滑りで、術式の安定性が微妙に変わっちゃうんだから」
「そうなんだ。結構奥が深いんだな」
「うん。……よし、これにする!」
 
 ノートを決めると、五冊セットを四つ手に取り、胸にしっかりと抱えた。

「青葉、それ貸して」
「え? いや、重いよ?」
「大丈夫。まだ歩くんだから、ノートは俺が持つよ。青葉はこっちの袋だけ持っててくれる?」
「……ありがとう」

 会計を終え、二人はそのまま少し離れた大型ホームセンターへ向かう。
 
「青色塗料と発泡スチロールの追加分、補強用の木材、あと瞬間接着剤……」
 
 東雲がメモを確認しながらカートを押していく。頼まれていた資材は、実際に集めてみると想像以上の重量と体積になった。

「東雲。その木材、私が持つよ」
「いい。重いから。持たせらんないよ」
「でも、結構な量だよ? ノートも持ってもらっちゃってるし……」
「文具持ってくれてるだけで十分だよ。これは俺の仕事」
 
 東雲は軽々と長い木材を片肩へ担ぎ、もう片方の手には大容量の接着剤が入った袋を提げていた。
 両手いっぱいの荷物を抱える東雲と、片手に文具の袋を提げているだけの自分。はたから見たら随分とアンバランスだ。

「私、そんな非力じゃないのに」
「あのね。俺、身(・)体(・)強(・)化(・)だから」
「……あーもう、分かってるよ!! ありがとう!!」
「ははっ」

 最近、こういうやりとりが増えた気がする。サラッと気遣ってくれているんだろうけど、なんせしたり顔で言ってくるもんだからちょっとムカつく。こういう時、素直にありがとうと言えない自分は、本当に可愛げのない奴だと思う。けれど、全然役に立ってない感じがするのはやっぱり悔しい。腹いせに隣の肩を小突いてやると、何が面白いのか東雲はさらに笑みを深くした。解せぬ。
 会計を済ませると、かさばる木材や発泡スチロールは学院への配送を頼んだ。結局、自分が持っていたのは文房具類が入った紙袋だけだった。

「これで……全部揃ったか?」

 東雲が買い物メモの最後の項目にチェックを入れる。青葉も自分のリストを突き合わせ、小さく息を吐いた。

「うん、術式関係も、大道具の予備もバッチリだね。終わったぁ……!」
 
 店を出た瞬間、青葉はその場で両手を上に伸ばして、大きく伸びをした。
 
「思ったよりたくさん歩いたね。足がパンパンだよ」
「どっちも広い店だったもんな。かなり歩き回った」
 
 東雲が腕時計に目を落とす。気づけば針は午後三時半を回っていた。傾き始めた夏の日差しが、じりじりと体力を奪っていく。

「……」

 二人の足が、不意にピタリと止まった。
 目の前には、木製の看板を掲げた小さな喫茶店。色褪せた赤いオーニングが軒先へ影を落とし、店内からは涼しげなジャズが微かに流れてくる。中では買い物帰りの人々が、のんびりと冷たい飲み物を楽しんでいた。
 東雲は喫茶店を見上げて苦笑する。
 
「……ちょっと、休んでいく? このまま学院に戻ったら、本当に熱中症で倒れそうだから」
「そうしよう。冷たいもの、飲みたい」
 
 二人は顔を見合わせ、くすりと笑った。
 扉を開けると同時に、冷房のひんやりとした空気が熱のこもった身体を優しく包み込んだ。

「はぁー、生き返る……」
 
 窓際の席へと案内され、荷物を足元へ置いた瞬間、青葉は椅子の背もたれへとろけるように沈み込んだ。
 
「本当に。今日はアスファルトの照り返しが特に酷かったな」
 
 東雲も向かいの席へ腰を下ろし、持っていた紙袋を壁際へ寄せた。そのまま運ばれてきた冷水を一口含み、人心地ついたように息を吐く。
 ほどなくして、店員が注文を取りにやってきた。
 
「ご注文はお決まりですか?」
「私は、クリームソーダをお願いします」
「かしこまりました」
「俺は、プリンセットを。紅茶はアイスのアールグレイで」
「ありがとうございます。少々お待ちください」
 
 店員が去っていくのを見送りながら、東雲は驚いたように目を丸くした。
 
「青葉がクリームソーダ頼んだの意外だった。好きなの?」
「え、好きだよ。上に乗ってるチェリーが」
「ふはっ。それ添え物の方だろ」
「いいの! あれが楽しみなんだから。私からしたら、東雲が甘い物頼んでるのも十分意外だよ」
 
 東雲は一瞬きょとんとした後、きまり悪そうに目を逸らした。
 
「……なんでも好きってわけじゃないけど。ただプリンは、なんか好き」
「へぇ、そうなんだ」
「とろとろじゃないやつ」
「あー。それ、分かるかも」
「え?」
「最近流行ってるとろとろとしたやつ、美味しいんだけど、なんか物足りないんだよね。昔ながらの固めでちゃんと自立してるやつが一番美味しい」
「やっぱそうだよな!? 最近固めの置いてあるとこ少なくてさ。こういう喫茶店だと当たりが多いから、つい頼んじゃうんだよ」
「分かる! コンビニも固めの減っちゃったよねー」

 そこで会話が途切れ、二人はしばし顔を見合わせる。
 数秒の沈黙の後、どちらからともなく吹き出した。

「なんの話してんだろ、俺たち」
「プリンの話でしょ」
「それは分かってるけど」

 まさか東雲と、プリンの話だけでこんな盛り上がる日が来るとは思わなかった。そっか、東雲も固めのプリンが好きなんだ。正直こんな熱量で打ち返してくるとは思わなかったから、自分以上に偏愛しているのかもしれない。普段の冷静な彼からは想像もしていなかった熱の入りようが、おかしいと同時に、少しだけ可愛らしく思えた。何より、こういうちょっとしたこだわりを共有できたのが嬉しかった。

「お待たせいたしました」

 涼やかな声とともに、店員が銀色の盆を運んでくる。
 青葉の前には、淡い緑色のクリームソーダが置かれた。細かな気泡がグラスの中を絶え間なく昇り、丸く盛られた白いアイスクリームの頂には、鮮やかな赤いチェリーが鎮座している。
 一方、東雲の前に置かれたのは、琥珀色のアイスティーと、脚付きの硝子皿に載ったプリンだった。黄色い表面はつるりと滑らかで、上から掛かった濃いカラメルが、皿の底までゆっくりと流れ落ちている。飾り気のない、昔ながらのプリンだ。

「これは当たりだな」
「ね。美味しそう」
「食べる?」
「え、いいの? でも最初の一口って、一番美味しいとこじゃん」
「だからだよ」
「え?」
「美味しいとこだから、青葉が食べて」
「……じゃあ……お言葉に甘えて」
 
 青葉はクリームソーダのスプーンでプリンを一口掬った。口に入れた瞬間、卵の味わいとカラメルのほろ苦さが溶け合い、自然と頬が緩んだ。
 
「美味しい……! これこれ、この固さ! 完璧!」
「良かった」
 
 目が合うと、東雲もつられるように笑った。
 プリンを味わった青葉は、今度はクリームソーダの頂に載ったチェリーへとスプーンを伸ばす。
 その様子を見ていた東雲が、眉を上げた。

「最初に食べるんだ」
「うん」
「最後まで取っておくタイプかと思った」
「最後に残して、氷の下へ沈んだら嫌だから」
「そんな理由?」
「重要だよ。底に沈んだチェリーって、すごく取りにくいんだから」

 そう言いながら慎重にチェリーをすくい上げ、そのまま口へ運ぶ。甘酸っぱい果汁と、シロップの濃い甘さが舌の上に広がった。

「美味しい?」
「うん。今日の買い出し、頑張った甲斐があった」
「目的変わってない?」
「途中で追加されたの!」

 その返答に、東雲は呆れたように笑いながら、ようやく自分のプリンへスプーンを入れた。