つがいがなんだってんだ!

 ***
 
 夏休み最終日。霊学祭まで、あと一週間に迫った自科霊クラスの教室は、もはや授業を受ける場所ではなく、大がかりな工作と霊術の実験場と化していた。

「ちょ、成瀬、それ炙りすぎ」
「やっべ! ちょっと焦げ目ついた!」
「まあ、これも味ってやつだな」

 成瀬は友人たちとともに発泡スチロールの擬岩を囲んでいた。指先に小さな炎を灯し、表面を少しずつ溶かしながら、本物の岩肌のような凹凸を刻んでいく。
 
「植物班、手前の海藻もうちょい増やせる?」
「はーい、任せて!」
 
 杏奈が柔らかく笑いながら床に手を触れる。淡い緑の霊力に促されるように、設置してあった砂地から、細長い昆布のような若葉がすくすくと芽吹いていった。
 熱気と霊力が混ざり合う教室の中、誰もが汗を拭いながら忙しなく動いている。そんな喧騒から少し離れた窓際の席で——。
 青葉は、机の上に積み上げられた術式ノートの最後の一冊へ、ボールペンの先を走らせていた。ペン先が紙から離れると、ノート全体がふわりと淡い光を放ち、その輝きは紙へ溶け込むように静かに消えていく。
 
「……できた」
 
 机いっぱいに並んだ、三十冊の術式ノート。その一冊一冊には、自科霊クラス三十人それぞれの霊術をもとに、創成棟の仲間たちと組み上げた術式が丁寧に刻み込まれていた。
 
「終わった?」
 
 資材を運び終えた東雲が、覗き込むように声をかけてくる。
 青葉は振り返り、達成感に満ちた顔で大きく頷いた。
 
「うん! これで全部、修正完了したよ」
「三十人分か……大変だったよな。お疲れ」
「みんなのおかげだよ。私一人じゃ、絶対に無理だった」
 
 その言葉に東雲は優しく微笑むと、教室を見渡した。
 大道具班、装飾班、照明班、術式班——それぞれが自分の持ち場で、完成へ向けた追い込みに励んでいた。
 
「……よし」
 
 東雲はパン、と一度大きく手を叩く。乾いた音が、教室の喧騒を切り裂いた。
 
「みんな、一回手を止めてくれ」 
「どうした、玲司?」
 
 成瀬が脚立の上から、頭にタオルを巻いた姿で顔を出す。
 
「霊学祭まであと一週間だろ。大道具も揃ってきたし、一度、本番と同じ流れで全部合わせてみないか」
「通しリハーサル、ってこと?」
「そう。術式そのものの試験は済んだけど、照明や風、来場者が魚へ触れたときの反応までは、全部一緒に確認してないだろ。実際に通してみれば、まだ気づいてない問題点も見つかるかもしれない」
 
 その言葉に、さっきまで作業に没頭していた教室が一瞬で高揚感に包まれた。東雲は隣の青葉に向き直る。
 
「青葉。いけそう?」
「うん! みんな、お願いね!」
 
 その声を合図に、生徒たちが一斉に自分の持ち場へと散っていった。
 中央の統括班には、柊也、夏海、晴香の三人が配置されている。統括術式から制御回路を三つの区画へ枝分かれさせたおかげで、担当者が交代しても安定して運用できるようになったのだ。あれから何度も修正を繰り返し、無事に蔭山と雨夜の許可も貰うことができた。シフトを回せば、交代で休憩を取りながら展示を続けることもできる。
 パチ、と教室の蛍光灯が落とされる。遮光カーテンのわずかな隙間から漏れる夏の日差しだけが、床の擬岩を照らしていた。
 統括班の三人が、それぞれの担当区画へつながる制御回路に手を添える。青葉は三人の準備が整ったことを確認し、深く息を吸った。

「三、二、一——起動」

 燃えるような赤い光は炎操霊術を纏った赤い熱帯魚へと姿を変えた。その隣には植物操霊術の瑞々しい緑色に輝く半透明のクラゲが、ふわりふわりと漂い始める。天井近くには深い青。水操霊術の鮮やかな青いイルカが優雅に飛び跳ねた。
 一冊、また一冊と術式班がノートを開くたび、浮かび上がった色とりどりの光球が次々と魚へと姿を変えていく。
 教室のあちこちから、「うわぁ……」と感嘆の声が漏れた。
 
「千晶ちゃんたち、大丈夫?」
「まかせて! せーのっ」

 風操霊術班が手をかざした瞬間、魚たちは一斉にその場を離れ、教室の中を泳ぎ始めた。机の間をすり抜け、天井近くを優雅に旋回し、人と人の間を通り抜けていく。杏奈が霊力で海藻をゆったりと揺らし、由美が水のカーテンを引く。魚たちはその美しい景色の中で、群れをなして円を描いた。光操霊術の柔らかな照明が壁や天井に水面の揺らぎを映し出す。
 夏の教室は、いつしか静かな海中世界へと変わっていた。
 
「……すっげぇ」
 
 成瀬が、ぽつりと魂が抜けたように呟いた。その一言が引き金だった。
 
「大成功じゃんこれ!」
「やばい、鳥肌立った!」
「本当に海の中にいるみたい!」
 
 教室中が、割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。誰もが満面の笑みを浮かべ、抱き合い、ハイタッチを交わしている。
 伊織は目の前を泳ぐ水色の魚へ、目を輝かせながら手を伸ばした。
 
「ねえねえ、これは誰のやつかな!?」
 
 伊織の指先が、光の魚の鱗へ触れる。
 ——フワッ。
 小さな優しい風が、伊織の身体を包むように渦を巻いた。
 
「わっ、風だ! しかも前より長く続いてる!」
「すげぇ! 俺も触る!」
「雷のやつどこだ!」
「あ、クラゲ触ったら水が出た!」

 生徒たちが我先にと魚たちへ触れ、教室のあちこちで小さな炎が揺れ、水しぶきが弾け、風が舞い、雷が瞬いた。
 東雲はその様子を見渡し、ほっと息を吐いた。
 
「……ひとまず、成功だな」
「最高! めちゃくちゃ可愛い!」
「本番が本当に楽しみだねぇ」
 
 伊織は満面の笑みを浮かべ、杏奈も嬉しそうに目を細めた。
 その時だった。

「——あっ」

 青葉が手元のノートをぱらぱらとめくりながら声を漏らした。東雲がすぐに気づいて振り向く。

「青葉? どうした?」
「今、同じ魚に続けて何人か触ったよね」
「ああ。それがどうかした?」
「接触するたびに、このノートが効果の発動処理をしてるの。このまま同じ魚へ何度も続けて触られたら、一冊に負荷が集中して、本番中に術式が止まるかもしれない」
「じゃあ、どうすればいい?」
「同じ術式を二冊ずつ繋いで、触れられるたびに処理先を交互に切り替える。設計はもうできてるから、術式を写せばいい。ただ、全員分、もう一冊ずつ必要になるね」
「これ一式で三十冊だよな?」
「うん。新品はあと十冊あるから……最低でも二十冊、買い足さないと」
 
 するとタイミングを合わせたかのように、教室の後ろの大道具班からも悲鳴のような声が上がった。

「あー! 接着剤なくなった!」
「青い塗料も完全に切れたわ」
「やっぱここ、土台補強しないと危ねぇ!」
 
 今度は大道具班が一気に大騒ぎになり始める。
 
「……問題点が見つかるだろうとは思ってたけど、一気に来たな」
 
 東雲は苦笑しながらメモ帳を取り出すと、不足している材料と改善点を手早く書き留めていった。

「みんな、他に足りない材料とかある? 買い出しリストにまとめるから」
「あ、私が買い出し行くよ! ノートは術式との相性もあるから、自分で選びたいの」
「分かった、俺も一緒に行く。接着剤や塗料も量があるしな」

 そのやり取りを聞いた成瀬と伊織は、にやぁっといたずらを思いついた子どものように口角を上げた。

「おやおや〜?」
「二人きりで真夏のランデブーですかあ?」
「買い出し!!」
 
 青葉と東雲の声が綺麗に重なった。
 
「仕事だから。勘違いすんなよ」
「はいはい、わーかってるよ」
「熱中症に気をつけて、いってらっしゃーい!」
「うん、夕方には戻るね!」

 青葉は元気に手を振り返し、買い物メモを片手に、東雲とともに教室を後にした。
 二人の背中が廊下の角を曲がり、完全に消えるのを見届けてから——成瀬がぽつりと呟いた。
 
「なーなー、伊織ー」
「ん?」
「あの二人、本気で『買い出し』だと思ってるんだよな?」
「そこがまたウブで可愛いんじゃん!」
 
 伊織が我慢できずに吹き出した。それを聞いていた柊也も、苦笑しながら荷物を片付ける。
 
「にしても、あの二人。すっかり空気が出来上がってるよな」
 
 その言葉に、周囲の生徒たちも頷いた。いつの間にか、東雲玲司と篠宮青葉が並んで歩く姿は、誰にとっても当たり前の光景になっていた。