つがいがなんだってんだ!

 検診を終え、自科霊棟へ戻る東雲と保健棟の前で別れると、青葉は一人、創成棟へと向かった。
 数日前、解析班とデザイン班によるすべての作業が完了したため、今日の午後は、霊術魚の一斉起動試験を行うことになっていた。
 
「じゃあ、始めるよ」

 机と椅子はすべて壁際へ寄せられ、実習室の中央には、解析班とデザイン班が仕上げた三十冊の術式ノートが円を描くように並べられている。
 個別の動作試験は、昨日までにすべて終わった。しかし、本番と同じ条件ですべてが一斉に動くかどうかが重要なのだ。緊張からか、無意識のうちにノートを持つ手に力が入る。

「三、二、一——起動!」

 各班が担当する術式ノートへ霊力を流し込み、柊也が中央に置かれた統括術式を起動する。
 ぱっ、と最初の一冊から、淡い水色の光が立ち昇る。それを皮切りに、床へ並べられたノートが次々と光を放ち始めた。
 一匹、また一匹と、赤い熱帯魚が宙へ浮かび、小さな黄色い魚がその隣へ並ぶ。青白く透き通ったクラゲがふわふわと傘を開き、少し離れた場所では金色のタツノオトシゴが尾を丸めた。

「おぉ……!」
「いい感じじゃん!」

 教室のあちこちから期待に満ちた声が上がる。
 魚たちは次々と生まれ、薄暗い教室を鮮やかな光で満たしていく。
 良かった、この調子ならいけそうだ。
 青葉は口元を緩めた。
 あと少し。あとは大型の霊術魚を起動すれば——。

「柊也、大型入るから制御を広げて!」
「了解」

 柊也が頷き、統括術式へ添えた手に力を込めた。そのときだった。

「あれ?」

 突然、天井近くを泳いでいた青い魚の姿がぐにゃりと歪み、その身体が無数の光粒へと弾けてしまった。それを皮切りに、先ほどまで優雅に泳いでいた魚たちが、端から次々と輪郭を崩していく。

「えっ……ちょ、ちょっと待って。一回全部止めて!」

 青葉の声に、各班が慌てて霊力供給を切っていく。つい先ほどまで海中世界のようだった教室から、すべての光が消えた。

「……なんで? 昨日、一つずつ動かした時は全部問題なかったよね?」
「うん。クジラもちゃんと動いてたよ」
「じゃあ、一気に展開したから混線した?」
「でもそれなら崩れ方が違うと思うけど……」

 生徒たちは、誰からともなく近くのノートを手に取り、パラパラとページをめくりながら原因を探り始めた。青葉もその場へしゃがみ込み、ノートを確認する。
 おかしい。回路に欠損はないし、出力指定にも異常はないように見える。術式自体に問題はないはずだ。

「もう一回やってみよう」

 そう言って、再び最初から動かし始める。しかし、やはり二十匹を超えた辺りから出力が不安定になり、最後まで起動できない。
 何度繰り返しても、結果は同じだった。

「どうして……どこが間違ってるんだろ……」
「みなさん、順調ですか」

 その時、青葉の頭上から穏やかな声が落ちてきた。
 顔を上げると、いつの間にかすぐ傍まで歩み寄っていた蔭山が、青葉のノートを覗き込んでいた。

「蔭山先生、変なんです。一つ一つは動くのに、全部を一斉に動かそうとすると、何回やっても途中からダメになっちゃって」
「そうですね。術式自体に誤りはなさそうですが……篠宮さん、ここの必要霊力量の数値は、どのように算出しました?」
「一匹ずつ測定した消費霊力を合算して、そこに二割ほど余裕を持たせました」
「その測定の時に術式を起動したのはどなたですか?」
「えっと……全部、私ですけど」
「ふむ。ちなみに、それはいつですか?」
「一週間くらい前です」
「なるほど……では篠宮さん、あなたが蓮水くんの位置で制御してみてくれますか」
「え? はい」

 意味が分からないまま、今度は制御の中心へ自分が入った。柊也が元の自分の位置に入り、起動の声を掛ける。
 一匹、十匹、二十匹……二十五匹。
 やがて最後の一冊から、巨大な青白いクジラがゆっくりと姿を現した。

「あれ……できたね」

 ぽつりと誰かが呟く声が聞こえた。
 色とりどりの三十匹の魚たちは、まるでさっきまでの不具合などなかったかのように、ゆったりと教室を泳ぎ回っている。
 おかしい。霊力量は柊也の方が自分より多いはず。中央制御を任せたのも、そのためだ。それなのに、自分が入った時だけ、こうして問題なく動いている。霊力量の問題ではないということ……?
 何か、重要なものを見落としてはいないだろうか。

「なんでか分かんないけど……成功ってことでいい?」
「青葉が制御に入ればいけるってことだもんな」
「…………」

 歓声が上がる中、青葉だけが笑えなかった。