つがいがなんだってんだ!

 やがて、一限の終わりを告げる鐘が鳴り響く。

「はい、今日はここまで」

 蔭山はチョークを置き、手についた白い粉を払って教科書を閉じた。

「提出物は来週です。次の授業は能力別授業ですので、移動は早めにお願いしますね。以上、解散」

 その言葉を合図に、教室中で一斉に椅子を引く音が響き始めた。生徒たちが慌ただしく荷物をまとめ、それぞれの専門棟へと散っていく。青葉も筆箱を鞄へしまいながら、小さく息をついた。
 結局、授業の内容はあまり頭に入らないまま終わってしまった。こんな調子じゃ、このまま一日無駄にしてしまう。なんとか気持ちを切り替えなければと、席を立とうとしたところで、教壇の方から声が飛んできた。

「篠宮さん」
「は、はい」
「ちょっとこちらへ来てください」

 蔭山は柔和な表情のまま、教卓の前で待っていた。近くにいた生徒たちも、移動の足を止めて「なんだ?」という顔でこちらをちらちらと見ている。

 ——嫌な予感がする。ハゲ山がこの顔をしている時は、大体突拍子もない無茶振りをしてくるのだ。

 恐る恐る歩み寄ると、蔭山は仏様のような優しい笑みで、物腰柔らかに言い放った。

「能力別授業のことなんですが。今日から三か月ほど、貴女は自然科学霊術(しぜんかがくれいじゅつ)棟へ行ってくださいね」
「……はい?」

 思いがけない発言に、間の抜けた声が漏れた。
 能力別授業は、生徒がそれぞれの適性に応じて、自然科学霊術、術式創成霊術(じゅつしきそうせいれいじゅつ)結界霊術(けっかいれいじゅつ)式神調伏霊術(しきがみちょうぶくれいじゅつ)の四系統に分かれる。
 自分の持つ霊術は、世に現存する霊術を解析して術式へと落とし込み、一般化する『式化霊術』——典型的な術式創成霊術だ。なぜ、自然科学霊術棟……?

「私、創成なんですけど」
「もちろん知っていますよ。私が指導教官ですからね」
「いや。あの、それはそうですけど、そういうことじゃなくって……え?」
「大丈夫ですよ、私から話は通してありますから。安心して行ってきてください」
「ちょ、ちょっと待ってください。どういうことですか!」

 一体、何が大丈夫なのだ。
 目の前にいるのは自分の指導教官のはずなのに、全く話が通じない。まるで宇宙人と会話しているようだ。
 しかし蔭山は、まるで駄々をこねる子どもを見守るような眼差しで、ふんわりと腕を組んだ。

「術式創成を専門とする者にとって、他系統の生の霊術を観察するのも大切な学びなんです」

 その優しく細められた目の奥には、有無を言わせぬ強い光を宿していた。

「貴女には、卒業研究の一環として、自然科学霊術の現場をじっくり見てきてもらいます」
「…………卒研!!!?」

 卒業研究——高等部の三年生に課される、卒業要件の一つである。研究と言ってもクラスによって様々で、実技試験を主とするところもあれば、がっつりとレポートの体裁を整えて提出するところもある。研究者志望が多い創成クラスは無論、後者だ。だからこそ、早ければ夏休み前の段階で研究テーマを決定する者もいる。
 そしてどうやら、まさに今、自分のテーマが決まったらしい。
 ああ、そうか。分かった気がする。
 自然科学霊術クラスには、東雲が在籍している。つまり、『同級生に事情がバレないように、東雲と行動をともにしても不自然に見えない理由を作ってやる』ということなのだろう。
 そんな裏の事情など知る由もないクラスメイトたちは、二人のやり取りを聞いて、感心したように声を上げ始めた。

「へぇ! 篠宮さん、もう卒業研究始めるんだ!」
「根っからの研究好きだもんな。他クラス回ってデータ集めるってことか」
「え!? あ、う、うん。まあ……そんな、感じ……かな……」

 ここで「違います!」と叫ぶわけにもいかず、青葉は引きつった笑顔のまま、曖昧に話を合わせるしかなかった。
 いや、知らんけど。自分が一番、なにも聞いてないんだから。
 思わず頭を抱えそうになる。……けど、ちょっと待てよ。自科霊(しかれい)は、四つのクラスの中で一番多種多様な能力が集まってるはずだ。
 水や炎といった自然現象の制御から、身体機能の強化、さらには感応や予知といった知覚能力まで。霊力によって自然界や人体に生じるさまざまな現象を感知・増幅・制御する霊術を専門とする者たちが集う、まさに霊術の宝庫である。そんな彼らの霊術を間近で観察できるのだとしたら——。
 創成棟では日々、術式事典を片手に議論を重ねている。けれど、実際の術者たちの霊術を、これほど長期間にわたって間近で観察できる機会は、そうあるものではない。
 例えば、植物操作の霊力回路は、どう分岐しているんだろう。根から霊力を流すタイプと葉から放出するタイプで回路が違うのだろうか。
 ……って、なにちょっと楽しみになってんのさ。
 一人悶々としている自分をよそに、蔭山は今度は教室の右後方で移動の準備をしている東雲へと視線を向けた。

「東雲くん」
「はい」
「貴方は自科霊(あちら)級長(キャップ)でしたね」
「そうですが……」
「本日からおよそ三か月——今年の霊術祭が終わるまで、彼女のことをお願いします。教室の場所も、設備の使い方も、色々と教えてあげてください」
「! ……承知しました」

 東雲は力強く頷いた。蔭山も満足そうに「よろしい」と一言だけ返す。
 完全に外堀を埋められ、青葉だけがその場に取り残される。

「先生、待ってくださいよ」
「なんですか?」
「なんですか、じゃないですよ! 私を置いて、どんどん話が進んでません!?」
「ええ、そうですねえ」
「こういうの、普通は私にも事前に相談を——」
「貴女に相談したら、どうせごちゃごちゃと理屈をつけてお断りになるでしょう?」
「うっ……」

 ぐうの音も出ないとはこのことである。

「まあそもそも、これはもう決定事項ですし……それに」

 蔭山は静かに微笑んだ。その穏やかな物腰が、かえって恐ろしい。

「貴女の霊術は、観察した霊術を術式という形に再構築する力でしょう? 式化霊術ほど、自分の研究室に閉じこもっていては伸びません。研究というのは、自分が予測できる安全な場所にいるうちは、大した結果は出ないものです。予定外の環境に放り込まれて、足掻いてからが本番ですよ。——ぜひ、面白いものを拾ってきてくださいね」

 それだけ言うと、蔭山は教科書を小脇に抱え、微笑みながら教室を出ていってしまった。くそう、負けた。
 残された青葉は、呆然とその背中を見送ることしかできず、思わず右手で額を押さえる。

「ハゲ山……いつも以上に笑顔が凶悪すぎるよ……」
「蔭山先生、ああいうところあるよな」

 いつの間にか隣へ来ていた東雲が、苦笑いを浮かべながら頷いた。そういえばハゲ山は、剣道部の顧問だったっけ。東雲、お前もか。

「……だよね。知ってる」

 本日最大級のため息が溢れた。