つがいがなんだってんだ!

「あれ、青葉?」

 まだ人もまばらな教室の中、自分の席でSNSを眺めていた伊織が、こちらを見るなり目を丸くした。
 無理もない。昨日までほとんど接点のなかったはずの二人が、なぜか示し合わせたように並んで登校してきたのだから。

「なんで東雲くんと一緒に……?」

 伊織は困惑を顔いっぱいに浮かべ、小走りで歩み寄ってきた。

「おー、おはよ……え、なにこの空気」

 ちょうどその時、陸上部の朝練を終えた颯人が教室に入ってきた。彼もまた、三人から漂う異様な空気に戸惑っているようだった。
 青葉は胸の奥の重苦しい塊を吐き出すように、小さく息を漏らす。

「おはよう、伊織、颯人。あのね……二人に、話があるんだけど」
「え?」
「昼休みじゃなくて、今。今すぐ聞いてほしいの」

 緊張で、声が震えた。普段とはまるで違う自分の様子に、二人は顔を見合わせている。伊織の顔からいつもの笑顔が消え、颯人もまた、静かに顎を引いて頷いた。

「分かった」

 二人の承諾を確認し、青葉はまだ教室の入り口に佇んでいた男を振り返る。

「東雲も、一緒に連れていく」
「東雲も?」
「そうじゃないと、私がここで倒れるから」
「倒れる、って……どういうこと?」
「全部説明するから。とりあえず、屋上へ行こう」

 青葉は踵を返して歩き出した。
 朝の一限が始まる前の屋上には、仄かに湿り気を帯びた六月の風が、制服の裾を揺らしていく。
 どう言葉を選べばいいのか、自分でも全く整理がつかない。説明したところで、どこまで理解してもらえるかも分からない。
 しばらく無言で空を見上げていた青葉は、意を決して口を開いた。

「あのね、二人とも。……これを見て欲しいの」

 静かに制服の左袖を捲り上げ、手首に巻いたテーピングを解いていく。

「……っ!」

 伊織が短い悲鳴を上げて息を呑む。

「え……嘘でしょ。だってそれって……」

 驚愕する二人の視線を受けながら、隣の東雲を見上げると、彼もまた無言で右腕の袖を引き上げた。そこには青葉のものと対になるように、左右反転した同じ形の紋様が静かに拍動している。

「昨日、放課後の図書館でね。私と東雲に……番紋が出たの」
「そんなまさか……」

 伊織は何度も何度も、二人の手首の紋様と、その顔を見比べ、衝撃で言葉を失っている。
 颯人は青葉の表情を窺うように、静かに口を開いた。

「……桜さんのこと、話したのか?」
「うん……全部、話したよ」

 彼は静かに目を閉じ、天を仰ぐようにして小さく息を吐き出した。たった一往復のやり取りだけれど、自分の精神状態を心配してくれているのだと分かる。流石は幼馴染と言うべきか。

「え……? ごめん。待って、なんのこと? 桜さん、って——誰?」

 伊織は、突然颯人の口から出た、聞いたことのない名前に混乱しているようだった。当然だ。この話は、颯人しか知らないのだから。青葉は俯いたまま、昨日の帰りに東雲へぶちまけた家の事情を、再び話し始める。すべてを話し終えた頃には、重く長い沈黙だけが横たわっていた。

「そんなことがあったなんて……青葉、ごめんなさい。アタシ昨日、なにも知らないで、無神経なことばっかり言っちゃって……っ」
「ううん、気にしないで。伊織が謝ることじゃないよ。五年も前のことだし。……こんな暗い話、普段するもんじゃないでしょ」

 泣き出しそうな親友に、青葉は少しだけ目元を和らげて苦く笑った。伊織にこんな顔、させたくなかったな。不可抗力ではあるが、話してしまったことを少しだけ後悔した。

「それで……私は、どれだけ運命に強制されようと、番だからって理由で、誰かを好きになることだけは、絶対にないからって……そう、言ったの」

 再びその言葉を向けられた東雲は、ただ静かに受け止めるように、まっすぐ自分を見つめていた。やがて、自分の言葉の終わりを待ってから、ゆっくりと口を開いた。

「事情は、そういうことだ。ただ、霊力が安定するまでの間、俺から離れれば、篠宮はまた霊障を起こす危険がある」

 感情の読めない声音だった。三人の視線が彼へと集まる。

「だから俺たちは、互いの霊力が安定するまでの三か月間、まずは——」

 東雲はそこで一拍置き、青葉の横顔を真っ直ぐに見つめた。

「番とかいったん抜きにして。友達として、一緒にいることにしたんだ」
「……え?」

 伊織は今度こそ、完全に思考がフリーズしたように固まった。

「と、友達……?」
「それが今の篠宮にとっても、俺にとっても、一番無理のない形だと思ったから」

 伊織は確認するように青葉の顔を覗き込み、青葉もまた、小さく息を吐いて首を縦に振った。

「……私も、それで一応納得したから」

 再び沈黙が四人の間に落ちていく。
 すぐに理解してもらえるとは思っていない。けれど、これが今の自分たちの結論だ。お互い納得している以上、周囲に理解してもらう必要もないのかもしれない。それでも、この二人にだけは、何も知らないまま自分たちの事情へ巻き込みたくなかった。理解されなくても、自分の口から話しておきたかったのだ。
 やがて朝の予鈴が、校舎中へ鳴り響いた。

「戻ろう。先生が来る」

 東雲のその一言を合図に、四人は屋上を後にする。
 階段を下り始めたところで、背後から颯人に呼び止められた。

「青葉」
「颯人、なに」
「俺にできることなんてないかもしれないけどさ。あんま無理すんなよ」
「……うん。ありがとう」

 ◇

 屋上から教室へと戻る階段を下りながら、伊織は数段前を歩く青葉の背中を見つめていた。
 その隣には、何も訊かずに歩調を合わせる颯人。そのさらに後ろを、東雲が一人で歩いている。
 番同士が友達でいる——そんなこと、聞いたことがない。けれど、あの二人のことだ。悩みに悩んで決めたのだろう。その決意を否定する権利なんか、自分にはない。……もともと否定するつもりはないし。そういう番が存在したって、別に良いじゃない。青葉の過去の傷を知ってしまったら、尚更そう思う。彼女が彼女らしくいられなくなる方が、寂しい。
 ただ、一つだけ気になることがあるとすれば——。
 伊織はそっと歩幅を緩め、東雲の隣へ並んだ。

「ねえ、東雲くん」
「ん? 橘、どうした?」

 伊織は、自分よりも遥かに背の高い男を少しだけ見上げる。

「本当に、それでいいの?」
「なにが?」
「だから、青葉と友達でいるってこと」
「…………」
「東雲くんは知ってると思うけど、アタシ、()()()()霊術だからさ。感情の揺れには人より敏感なんだ。毎日いろんな人の顔を見てると、隠してるつもりでも、結構分かっちゃうんだけど」

 東雲は何も言わず、言葉の真意を探るようにこちらを見つめている。
 ……やめよう。遠回しに訊いても仕方ない。

「東雲くん、青葉のこと好きなんでしょ」

 足音が止んだ。階段の踊り場にある大きな窓から、眩いばかりの朝の光が差し込み、二人の足元を照らし出す。
 東雲は——否定しなかった。
 しばらく無言で俯いていたが、やがて困ったような笑みを浮かべ、再び歩き始めた。

「多分……でも、今は言えない」
「それは……青葉のため?」
「…………」

 東雲は、前方を歩く青葉の小さな背中を見つめながら続ける。

「自分のためでもある。この気持ちが、本当に俺自身のものなのか……確信が持てるまでは、伝えないって決めたんだ」

 なるほど。青葉を追い詰めないために、踏みとどまった。その一方で、自分には、答えが出る保証もない問いを課したということか。いや……誠実だとは思う。けどさあ。

「……東雲くんって、思っていたよりずっと、面倒くさい人なんだね」
「だよな。自分でもそう思う」
「あはは、嫌いじゃないよ。むしろ安心した。……青葉はさ、頑固だけど。一回信じた人の手は、絶対に離さないから。焦らないであげて」
「……分かった」

 二人がこの先どうなるのかは分からない。けれど少なくとも、この男なら、青葉が自分で答えを出すまで待ってくれるだろう。
 それにしても、似たもの同士だ。外野だから気楽に言えるというのを差し引いても、もう少し肩の力を抜いても良いと思う。不器用だなぁ。
 伊織はふっと笑みを浮かべ、青葉の背中を追った。