「ふわぁ~~っ、こ、怖かったあああ……!」
戦いが終わり村のみなさんの歓声が響き渡る中、あたしはトクン、トクンと未だに激しく脈打つ胸を押さえて、大きく息を吐き出した。
ブラン様の記念すべき初陣。頼もしく的確に指示を出すブラン様の横顔があまりにも格好良くて、あたしがうっとりと見惚れてしまっていたら……まさか、前衛のみなさんをすり抜けた魔物さんが、真っ直ぐこっちに突っ込んでくるなんて。
あの瞬間は、本当に頭の中が真っ白になって。
でも、考えるより先に身体が動いて。
気がついたらあたしはブラン様に全力で飛びかかって、そのお身体を庇うように押し倒していました。
だってもしあの鋭い牙がブラン様を傷つけていたら、なんて……想像するだけで心臓が止まりそうになる。あたしにとってブラン様がいない世界なんて、ぜったいに嫌ですから!
本当に無事でよかった……。
泥を払ってけんじゅうを腰に収めるブラン様の背中を見つめながら、あたしは出会った頃の懐かしい日々のことを思い出していました。
◇◇◇
あたしは、生まれてすぐに両親を亡くした。 それからはずっと孤児として、アイザス領内の小さな教会でお世話になっていた。
教会での暮らしはお友達もたくさんできて毎日楽しかったけれど、やっぱりとても貧しくて。だから、あたしが十歳になったとき「伯爵家が若いメイド見習いを探している」というお話が教会に届いたときは、本当に嬉しかったのを覚えています。
これで自立してお給料をもらえれば、お世話になった教会に少しでも恩返しができるって、胸を弾ませて伯爵のお館に行きました。
だけど、現実はそんなに甘くはなかったです。
あたしは何人かのご子息様たちのお給仕につくことになり、仕事自体はきっちりこなせるようになったのですが……
「貴様、なんだそのにやけ面は! 仕える主人を馬鹿にしているのか!」
「おい、お前! へらへら笑うな、不愉快だ!」
「これだから教会の孤児なんてダメなんだ。正教会のクソ依頼がなければ、こんなクズなど雇わんのに……」
ご子息様たちから浴びせられるのは、毎日そんな罵倒ばかりでした。
あたしは、ただ人の「笑顔」が大好きだったんです。早くに両親を亡くして寂しかったから、無意識に人の温もりを欲していたのかもしれません。
そして誰かに微笑んでもらうためには、まずは自分から笑顔を届けたほうがいい。あたしはそう信じていました。教会の優しいみんなは、あたしが笑えばいつも同じように笑顔を返してくれたから。
でも、あの伯爵館では違ったのです。
お貴族様たちにとって、使用人の笑顔なんて求められていない無駄なものでしかありませんでした。
たしかに、メイドの本業はご主人様やご家族のプライバシーを尊重し、目立ちすぎず控えめであることが求められると教わりました……だから必死に表情を引き締めて頑張りました。
それでも、少しばかりはもれてしまう。
でも、微笑むことがそんなにダメな事なんでしょうか。
悩んでいたある日……
「ムフフ、メリーよ。おまえの笑顔はたまらんな」
「あ、ダロスさま。ダメですったら」
偶然にも、あるご子息様と別のメイドさんとのやり取りを見てしまいました。
なんとなく理解しました。
あたしは教会から依頼されて伯爵家に仕えたメイドです。詳しくは分からないですが、王国内の正教会から全国の貴族にそのようなお達しがあって、そのチャンスを得たのがあたし。
政治の事はよくわかりません。
でも、この館で必要とされていないことは分かりました。
そして、あたしの笑顔はいらないということも。
その後も、毎日毎日笑顔を否定され続けるうちに、あたしの心は少しずつ削れてその表情もお人形のように固まっていきました。
そんなある日、あたしは伯爵家九男であるブラン様の専属メイドになるよう命じられたのです。
「ふん、あの愚息の給仕だ。お前のような薄汚い教会孤児ぐらいがお似合いだろう」
伯爵さまの第一声が、このお言葉でした。
案内されたのは館の離れにある小さな一室。
案内してくれた前任メイドさんからは、変わり者で、本ばかり読んで奇妙な木彫り細工を好むとという変人と言われて。その前任さんは、そのまま部屋にも入らずにそそくさと去ってしまいます。
不安だな……また怒鳴られるのかな。
今度のご主人様は、どんなに怖い人なんだろう……
ノックをする手が震えました。
でも、弱気になっちゃダメ。ここで失敗して追い出されたら、教会のみんなに顔向けができません。あたしはグッと拳を握り、できるだけ感情を殺してお人形のような無表情を作ってドアを開けました。そして事務的な挨拶をしようとしたその時です。
「―――いつもの笑顔でいいぞ。俺の前では無理はしなくていい」
机に座って何やら難しい本を読んでいたブラン様が、ふっと顔を上げてあたしにそう言ったのです。
「へぇ……?」
ビックリして、声が裏返ってしまいました。
だって、ブラン様とはそれまで館の廊下ですれ違ったことがあるくらいで、まともにお話ししたことなんて一度もなかったんです。それなのに。
「以前は廊下を歩くとき、いつも楽しそうに笑ってただろ。実家の連中は堅苦しい奴ばかりだけどさ……まあ笑っててくれた方が、部屋が明るくなって俺も助かる」
ええ、な、なにこれ。
全然想像とちがう……
「えへへ……っ。よ、よろしくお願いします、ブラン様!」
否定され続けてすっかり引っ込んでいたあたしの笑顔が、その瞬間にポンッと飛び出してきました。嬉しくて、視界がじんわりと滲みます。
「ああ、よろしくな、リナ」
―――リナ。
他のみなさんからは「お前」とか「クズ孤児」としか呼ばれなかったのに、ブラン様はあたしの名前までちゃんと言い当ててくれたのです。胸の奥がじんわりと温かくなりました。なんだか遠い教会の頃のような優しい温もりを思い出した気がしたのです。
それからブラン様に仕えるようになって、あたしの毎日は百八十度、きらきらした楽しい日々に変わりました。ブラン様の前だと、素のあたしがどんどん出てきちゃうんです。
なにこれ、楽しすぎます♪
ブラン様の専属メイドになって、少しばかり時が経った頃のこと。あたしが大きなお皿を割ってしまうという大失敗をして、部屋の隅で一日中ズーーンと激しくへこんでいたことがありました。
すると、ブラン様が「ほらよ」って、小さな木彫りの置物をあたしに手渡してくれたんです。
「ええぇ……これ、ブラン様が作ったんですかっ!?」
あたしは涙も吹き飛んで、目を丸くしました。
そこに置かれていたのは、あたしが生まれ育ったあの小さな教会が。手のひらサイズの手作りなのに、驚くほど精巧で形も雰囲気もビックリするくらいそっくりだったんです。あたしが教会の話をなんども嬉しそうにしていたのを、覚えていてくれたみたいで。
「ふはぁ~~っ! ブラン様は天才ですか!?」
「さあな。俺は頭の中の妄想をこうして形にするのが好きなんだよ」
「えへへ~~ありがとうございますっ! あたし、一生の宝物にして毎日大切にしますねぇ♪」
あたしが両手で木彫りを抱きしめて満面の笑みを浮かべると、ブラン様は少し照れくさそうに頭を掻きながら、ぼそっと呟きました。
「……いい笑顔だ」
「え?」
「今までで一番いい笑顔だったな。グフフ……これだから、何かを作るのはやめられん」
あ、ブラン様が微笑んだ。
この人、本当に作るの大好きなんですね……
ブラン様は、いつだって傷ついたあたしを見つけて一番欲しい言葉と優しさで、あたしを「笑顔」にしてくれる人。 だからこそ、ブラン様が実家を追放されて最果ての辺境地ラスタールへ行くことになったときも、あたしは一秒だって迷いませんでした。
地の果てだろうが、魔物の森だろうが、絶対にブラン様について行く。ブラン様の笑顔はあたしが一生お守りするんだって、心に固く決めたから。
戦いが終わり村のみなさんの歓声が響き渡る中、あたしはトクン、トクンと未だに激しく脈打つ胸を押さえて、大きく息を吐き出した。
ブラン様の記念すべき初陣。頼もしく的確に指示を出すブラン様の横顔があまりにも格好良くて、あたしがうっとりと見惚れてしまっていたら……まさか、前衛のみなさんをすり抜けた魔物さんが、真っ直ぐこっちに突っ込んでくるなんて。
あの瞬間は、本当に頭の中が真っ白になって。
でも、考えるより先に身体が動いて。
気がついたらあたしはブラン様に全力で飛びかかって、そのお身体を庇うように押し倒していました。
だってもしあの鋭い牙がブラン様を傷つけていたら、なんて……想像するだけで心臓が止まりそうになる。あたしにとってブラン様がいない世界なんて、ぜったいに嫌ですから!
本当に無事でよかった……。
泥を払ってけんじゅうを腰に収めるブラン様の背中を見つめながら、あたしは出会った頃の懐かしい日々のことを思い出していました。
◇◇◇
あたしは、生まれてすぐに両親を亡くした。 それからはずっと孤児として、アイザス領内の小さな教会でお世話になっていた。
教会での暮らしはお友達もたくさんできて毎日楽しかったけれど、やっぱりとても貧しくて。だから、あたしが十歳になったとき「伯爵家が若いメイド見習いを探している」というお話が教会に届いたときは、本当に嬉しかったのを覚えています。
これで自立してお給料をもらえれば、お世話になった教会に少しでも恩返しができるって、胸を弾ませて伯爵のお館に行きました。
だけど、現実はそんなに甘くはなかったです。
あたしは何人かのご子息様たちのお給仕につくことになり、仕事自体はきっちりこなせるようになったのですが……
「貴様、なんだそのにやけ面は! 仕える主人を馬鹿にしているのか!」
「おい、お前! へらへら笑うな、不愉快だ!」
「これだから教会の孤児なんてダメなんだ。正教会のクソ依頼がなければ、こんなクズなど雇わんのに……」
ご子息様たちから浴びせられるのは、毎日そんな罵倒ばかりでした。
あたしは、ただ人の「笑顔」が大好きだったんです。早くに両親を亡くして寂しかったから、無意識に人の温もりを欲していたのかもしれません。
そして誰かに微笑んでもらうためには、まずは自分から笑顔を届けたほうがいい。あたしはそう信じていました。教会の優しいみんなは、あたしが笑えばいつも同じように笑顔を返してくれたから。
でも、あの伯爵館では違ったのです。
お貴族様たちにとって、使用人の笑顔なんて求められていない無駄なものでしかありませんでした。
たしかに、メイドの本業はご主人様やご家族のプライバシーを尊重し、目立ちすぎず控えめであることが求められると教わりました……だから必死に表情を引き締めて頑張りました。
それでも、少しばかりはもれてしまう。
でも、微笑むことがそんなにダメな事なんでしょうか。
悩んでいたある日……
「ムフフ、メリーよ。おまえの笑顔はたまらんな」
「あ、ダロスさま。ダメですったら」
偶然にも、あるご子息様と別のメイドさんとのやり取りを見てしまいました。
なんとなく理解しました。
あたしは教会から依頼されて伯爵家に仕えたメイドです。詳しくは分からないですが、王国内の正教会から全国の貴族にそのようなお達しがあって、そのチャンスを得たのがあたし。
政治の事はよくわかりません。
でも、この館で必要とされていないことは分かりました。
そして、あたしの笑顔はいらないということも。
その後も、毎日毎日笑顔を否定され続けるうちに、あたしの心は少しずつ削れてその表情もお人形のように固まっていきました。
そんなある日、あたしは伯爵家九男であるブラン様の専属メイドになるよう命じられたのです。
「ふん、あの愚息の給仕だ。お前のような薄汚い教会孤児ぐらいがお似合いだろう」
伯爵さまの第一声が、このお言葉でした。
案内されたのは館の離れにある小さな一室。
案内してくれた前任メイドさんからは、変わり者で、本ばかり読んで奇妙な木彫り細工を好むとという変人と言われて。その前任さんは、そのまま部屋にも入らずにそそくさと去ってしまいます。
不安だな……また怒鳴られるのかな。
今度のご主人様は、どんなに怖い人なんだろう……
ノックをする手が震えました。
でも、弱気になっちゃダメ。ここで失敗して追い出されたら、教会のみんなに顔向けができません。あたしはグッと拳を握り、できるだけ感情を殺してお人形のような無表情を作ってドアを開けました。そして事務的な挨拶をしようとしたその時です。
「―――いつもの笑顔でいいぞ。俺の前では無理はしなくていい」
机に座って何やら難しい本を読んでいたブラン様が、ふっと顔を上げてあたしにそう言ったのです。
「へぇ……?」
ビックリして、声が裏返ってしまいました。
だって、ブラン様とはそれまで館の廊下ですれ違ったことがあるくらいで、まともにお話ししたことなんて一度もなかったんです。それなのに。
「以前は廊下を歩くとき、いつも楽しそうに笑ってただろ。実家の連中は堅苦しい奴ばかりだけどさ……まあ笑っててくれた方が、部屋が明るくなって俺も助かる」
ええ、な、なにこれ。
全然想像とちがう……
「えへへ……っ。よ、よろしくお願いします、ブラン様!」
否定され続けてすっかり引っ込んでいたあたしの笑顔が、その瞬間にポンッと飛び出してきました。嬉しくて、視界がじんわりと滲みます。
「ああ、よろしくな、リナ」
―――リナ。
他のみなさんからは「お前」とか「クズ孤児」としか呼ばれなかったのに、ブラン様はあたしの名前までちゃんと言い当ててくれたのです。胸の奥がじんわりと温かくなりました。なんだか遠い教会の頃のような優しい温もりを思い出した気がしたのです。
それからブラン様に仕えるようになって、あたしの毎日は百八十度、きらきらした楽しい日々に変わりました。ブラン様の前だと、素のあたしがどんどん出てきちゃうんです。
なにこれ、楽しすぎます♪
ブラン様の専属メイドになって、少しばかり時が経った頃のこと。あたしが大きなお皿を割ってしまうという大失敗をして、部屋の隅で一日中ズーーンと激しくへこんでいたことがありました。
すると、ブラン様が「ほらよ」って、小さな木彫りの置物をあたしに手渡してくれたんです。
「ええぇ……これ、ブラン様が作ったんですかっ!?」
あたしは涙も吹き飛んで、目を丸くしました。
そこに置かれていたのは、あたしが生まれ育ったあの小さな教会が。手のひらサイズの手作りなのに、驚くほど精巧で形も雰囲気もビックリするくらいそっくりだったんです。あたしが教会の話をなんども嬉しそうにしていたのを、覚えていてくれたみたいで。
「ふはぁ~~っ! ブラン様は天才ですか!?」
「さあな。俺は頭の中の妄想をこうして形にするのが好きなんだよ」
「えへへ~~ありがとうございますっ! あたし、一生の宝物にして毎日大切にしますねぇ♪」
あたしが両手で木彫りを抱きしめて満面の笑みを浮かべると、ブラン様は少し照れくさそうに頭を掻きながら、ぼそっと呟きました。
「……いい笑顔だ」
「え?」
「今までで一番いい笑顔だったな。グフフ……これだから、何かを作るのはやめられん」
あ、ブラン様が微笑んだ。
この人、本当に作るの大好きなんですね……
ブラン様は、いつだって傷ついたあたしを見つけて一番欲しい言葉と優しさで、あたしを「笑顔」にしてくれる人。 だからこそ、ブラン様が実家を追放されて最果ての辺境地ラスタールへ行くことになったときも、あたしは一秒だって迷いませんでした。
地の果てだろうが、魔物の森だろうが、絶対にブラン様について行く。ブラン様の笑顔はあたしが一生お守りするんだって、心に固く決めたから。

