「お前は本当に……、怖くないのか。この世を厭うのは、気まぐれではないのか」
神様は、低い声でるりに問いかける。
だがその低さは脅しなどでは無く、純粋にるりの真意を伺うが故のものだった。
るりは、ぼろぼろと大粒の涙を零したまま、口を開く。
「美しいものを素直に喜べないこの心が!顔が!悔しくて……!」
るりは顔を歪めて、唸った。
初めて胸の裡を誰かに伝えられたこともあり、押し寄せる感情の波が止まらない。
「私のせいで、お母さんもヒスイも死んだの!私がガーネットを加工したから!私がいるから!そのせいでお母さんとヒスイは……!」
喉を詰まらせながら、るりは必死に叫ぶ。
ずっと、怖かった。
お母さんとヒスイがこちらを睨んでいる気がしていた。
お母さんもヒスイも、そんな人でないと知っていても、その幻影は消えずに私を糾弾し続けた。
お前のせいだ。
そう、責められている気がしていた。
「だから、私なんてもう……!ひっ!」
頭を抱え、肩を震わせるるりの顔に、何か冷たいものが触れた。
神様だった。
彼はそっと、人差し指でるりの頬に触れる。
びくりと身体を跳ねさせたるりだったが、静かに自身を見つめている神様の瞳を見て、何も言えなくなってしまう。
「もう泣くな」
不意に、神様が呟いた。
るりの涙を掬い取り、その雫をまじまじと眺めて言う。
「お前の涙は、澄んでいて綺麗だ。まるで混じり気のない、ダイアモンドのよう。だがおかしい」
神様は、頬を引きつらせた。
「これ以上、出てこなくて良いと思っている」
首を傾げて、未知のものに出会ったかのように続ける。
「私には意味が分からない。美しいものはあればあるだけよい。それなのに、」
突然、つい、とるりに視線を向けた。
今その目は、灰色だった。
「お前が泣くのは見たくないのだ」
それから神様は、ごしごしと自身の袖口でるりの顔を拭う。
細かな繊維が、るりの泣き顔を柔らかく包んだ。
いつしか、るりの涙は引っ込んでいた。
理不尽で、畏れ多くて、でも、どこか安心する。
そんな温かさをるりが感じていた、その時だ。
「お前、名は何という」
まだるりを袖の中に包んだまま、唐突に、神様が名前を問うた。
るりはつっかえながら、丁寧に答える。
「るり、です」
神様はしばらくじっとしていた。それから、整った容貌を崩さないまま、冷たく、だが優しく、るりに笑いかけた。
「そうか、良い名だ。お前の身からこぼれる純粋な美しさや深い悲しみを、よく表している」
「そ、そうですか……?」
るりは、急に褒められてどんな顔をして良いか分からなかった。
ただ、神様の笑顔を美しい、とだけ思った。
「もう泣くな。ヒトの女に泣かれると、居心地が悪い。どこかこう、むずむずする」
神様はそう呟くと、手招きするような仕草をした。途端、るりの頬から宝石がするすると剥がれ落ちていった。
るりの頬には、かすり傷一つ残っていない。
呆然とするるりを背に、彼は社殿の方へと歩き始める。
そして、ぼそりと言った。
「早く来い、るり」
──初めて、神様に名前を呼んでもらえた。
そのことが、ひたすらに嬉しくて。
「はい!!」
るりは、弾けるように神様の後を追った。
「るり、それは何を持っている?」
本殿へと向かう廊下の途中で、ふと気が付いた神様はるりに尋ねた。
神様の視線の先には、るりが先ほど破いた服の切れ端がある。
るりはカーっと顔を赤くして、しどろもどろに返答した。
「あ、えっと……、せめてきれいな布で、鳥居を拭こうと破いた服で……。ごめんなさい、過ぎた真似を!!」
居た堪れなくなって、ぺこ、とるりは深く頭を下げる。
「おそばにおいてもらえる以上、なるべく気持ちよく過ごして頂きたくて、それで……」
「もう良い」
神様はそれだけ告げると、足を止め、るりをじぃっと観察した。
余りに無表情なので、るりは自身の汚さが想像より遥かに度を過ぎていたのか、と不安になる。
だが、事情は少し違った。
神様は、ぐ、とるりの腕を掴むと、どこかへと向かって行く。
「あ、あの、」
戸惑うるりをよそに、本殿の奥にあった扉を開け、再び外に出る神様。
その先には、小さな泉があった。
ほとりまでるりを連れてくると、神様は言った。
「脱げ」
「え」
「その服を脱いで、泉を浴びよ」
突然のことに、るりは目を白黒させる。
神様の言うことは、聞かなくてはならない。頭では分かっている。ましてや居候させてもらう身。反抗するなど、失礼極まりない。
だが、その命令は────。
「なんだ?」
ぴしり、と石のように動かなくなってしまったるりに、神様は怪訝な顔をする。
意を決して、るりは嘆願した。
「あの、せめてあちらを向いてもらえると……」
「何故?」
「は、恥ずかしいからです!!」
首を傾げる神様に、るりは顔を赤くして俯いた。
「なるほど。そういうものなのか」
納得したかどうかは微妙だったが、神様はくるりと背を向ける。
その仕草を見届けて、緊張しながらも、るりは何とか服を脱いで泉に足をつけた。
「わあ……!」
るりは歓声を上げた。
神様の前で裸であることも忘れて、全身を浸からせる。
泉は冷たくも温くもなく、とろりとした水質で、心地よい。みるみるうちに、汚れた肌が綺麗になっていく。
すると、神様は後ろを向いたまま、宣わった。
「ここは、俺しか入ることが許されない泉。だが特別に、るりは入っても良いことにする」
「え!そんなこと、良いんですか……?」
るりはぱしゃりと音を立てて、思わず立ち上がる。
神様は、声色を変えずに言った。
「るりの気持ちも考えず、非道なことをした詫びだ」
「ありがとうございます……!」
格別の心遣いに、るりの声は弾んだ。
お言葉に甘えて、もう少し泉の中に身体を委ねる。
だが、それだけでは無かった。
しばらく至高の水質を堪能したるりが泉から上がると、着ていた服が見当たらない。
「あ、あれ?」
るりがきょろきょろと周囲を見渡すと、
「こっちだ、るり」
神様が声をかけた。
るりが神様の方を向くと、神様の後ろ姿が目に入った。だが、掌を上に向けているのが見て取れる。
「あの……?」
戸惑うるり。
だが直後、宝石神の神たる所以を知ることとなった。
神様の掌から数センチメートル上空に、大きな宝石が一つ、出現した。真珠のような虹色の輝きを放つそれは、神様の瞳のようだった。
するとその宝石は、くるくると回転し始める。それと同時に、きらきらとした細い糸が、その宝石から紡がれて宙を舞った。
「きれい……」
絹よりも美しい糸が、美麗な宝石から生まれていることに、るりは感嘆した。
さらに。
その糸達は独りでに織られ始めた。
集まって、縦と横を編んで、ある一つの物を生み出していく。
出来上がったのは、女性用の和風ドレスだった。
宝石の神様と並んでも見劣らないほど絢爛なその服は、ふわふわとるりの元へと飛んできた。
「着ろ。るりに与える」
「でも私、何もお返し出来るものが……!」
ぎゅうと貰ったドレスを抱きしめて、るりは必死に問う。急な、大層な贈与品に、恥じらう暇もなかった。
振り返った神様は、るりの目を真っ直ぐに見て、告げた。
「るりに、汚い服は似合わない」
そう言い残し、神様は真っ直ぐに本殿へと戻って行った。
るりは、光の反射で赤にも青にも緑にも見えるドレスに、しばらく魅入っていた。



