ジュエルクッキー、君の分だけ様子がおかしい

 文化祭当日、校内は朝から人が多かった。外部来場者も入れる日だから、見慣れない人がそこかしこにいた。普段は男しかいないのに、女子がいっぱいいて、共学ってこんな感じなのかと思った。

 去年と同じ感想だけど。みんなが彼女作るぞとか、ID交換するぞと必死の形相だったけれど、俺は模擬店のキッチンで、永遠にクレープを焼いて終わった気がする。

 今年のクラスの模擬店はシアトル系カフェで、チャンクチョコのデカいクッキーとティーラテが目玉だ。クッキーはみんなで前日から仕込んだから、今日はトースターで焼き直すだけにしてある。

 ドリンクは、ティーラテ、チャイラテ、抹茶ラテ、ほうじ茶ラテの四種類で、無料でホイップモリモリに出来るのが売りだ。

 開場してすぐ列ができて、朝からずっと慌ただしかった。女子にも人気のようでクラスのやつらが喜んでいる。俺はクッキーを焼きつつ、ドリンクも作ったりと忙しい。

「白石、チャイラテ二つ」

「はい、少し待って」

 スパイシーな香りが教室に漂っていて、製菓部みたいな匂いだなあ、と思いつつ手を動かすのは止められない。みんな部活ばかりでバイト経験もない、お茶すら入れたことのない奴らだから、俺がサポートするしかない。

 オーダーをこなし、みんなも慣れてきた昼前の少し落ち着いた頃、七瀬が教室に入ってきた。午後から弓道部の演武があるから忙しいはずだけど、まだ制服姿のままだから、移動する僅かな時間に寄ってくれたみたいだ。

 七瀬を見つけた女性客は分かりやすくヒソヒソし始めた。あまりいないレベルの顔整いが入ってきたから仕方がないだろう。普段はノーセットだけど、前髪が分けられていて、額と綺麗な鼻筋が際立っている。アイドルみたいに勝手にスマホを向けられていて、勝手に撮るなよ、と叫びたくなった。

 でも、七瀬は女子たちの視線を避けるように、するするとカウンター前まで来て、「白石先輩いますか?」と元気にレジ係に声をかける。

 可愛いやつめ。俺がひょこッと顔を出すと、「先輩、チャイラテとクッキーください」と、いつものようにニカッとして言うから、笑いそうになった。

「ホイップは?」

「モリモリで。それと……甘くしてください」

「うん、わかってる」

 氷とシロップ多めに入れてから、チャイを注ぎ、ホイップをたっぷり絞って渡すと、七瀬がその場でクッキーを一口かじった。バカデカいチョコチャンクがごろごろ入ったやつを。

 今日の髪型は、整った目鼻立ちが見えやすくて、目を奪われてしまう。こちらを見ている時は、バレないように視線を外す。

「……美味しいですね」

「クラスのやつらと頑張ったやつだからな」

「でも、先輩のジュエルクッキーの方が、好きです」

 七瀬がなんか真剣な表情で見つめてくる。

「……急に何」

「本当のことです」

 チャイラテを一口飲んで、「カルダモンも入ってますよね。これは、先輩の匂いです。甘くてスパイシーな」とニヤリとする。なんか意味深だな……。

 次第にじわじわと胸がくすぐったくなって、照れ隠しに「早く演武行け」と返すと、七瀬は「絶対に来てくださいね」と言って教室を出て行った。

 その背中が見えなくなってから、田中がニヤニヤしながら隣に立ち、『やっぱりカップルですよね、お二人は』と耳元で囁いてくる。『違う』と返すと『でも今の嫉妬、すごかったですよ』とさらにニヤつく。『うるせー』とだけ言って、持ち場に戻った。

 しばらく模擬店を手伝ったあと、抜けさせてもらった。弓道部の演武を見るために、休憩時間を合わせていたのだ。田中が気を利かせて、「早く休憩してくださいね」と言ってくれて、すんなりと解放されたから、余裕で間に合いそうだ。
 
 何回も来て欲しいって言われたし、約束したからな。まあ、もう一度七瀬の弓道する姿も見たいし。

 急ぎ足で弓道場に向かうと、すでに人が集まっていて、前の方には他校らしい女子の集団が陣取っていた。

 すると、三名の弓道部員が出てきて、その中に七瀬がいた。観客に一礼をすると、キャーという女子たちの声が湧き上がる。部長らしき人の挨拶が終わり、三名がそれぞれの立ち位置に移動していき、女子たちはその姿にスマホを向ける。

 七瀬が射線に立つと、ざわついていた体育館が静かになった。白い道着と袴姿が似合ってて、凛とした立ち姿はそれだけで人々を魅了する。

 七瀬が弓を手に取り、的の方に視線を向けると、静寂が流れる。誰も声を出せない雰囲気で、キャーキャーうるさかった女子たちも大人しくなった。

 七瀬の瞳はやはり、普段と違い、凍てつく湖のように静かだ。集中している七瀬は大人みたいで、別人みたいで、言葉にならない。

 そして、ゆっくりと弦を引き始める。限界まで引いて、引いて――そして、止まる。静止の長さに、女子たちも息を呑んでいるようだ。

 パーン。

 矢が的の中心に突き刺さった瞬間、どよめきが場内を揺らした。前列の女子たちが「かっこいい」と声を上げて、スマホを向けるのをやめない。しかし七瀬はそちらを一切見ずに、もう次の矢を取っていて、息つく間もなく、気づけば三本の矢が的の中心に並んでいた。

 射線から離れると、女子たちが七瀬に駆け寄るが、あまり笑顔を見せない。陽キャなのにファンには意外と塩対応みたいだ。モテすぎるから対応に疲れているのか。

 三人の演武が終わって、礼をしてから退場していく。拍手でみんなが送り出すと、七瀬だけがギャラリーの方に戻ってきて、人混みの中を誰かを探すみたいにキョロキョロしている。

 目が合った瞬間、七瀬がニカッとする。いつもの俺に向けるあの表情だ。
 こんなに大勢に見られているのに、あいつが最初に探したのが俺だったことが――なぜか、むず痒い。嬉しいような、恥ずかしいような、変な気持ち。

 女子たちの「こいつ誰」みたいな視線が痛いけれど、嫌な気はしない。
 弓道場では笑えないと言っていた七瀬が、俺を見たら安心して笑ってくれたのかと思うと、胸のあたりがホカホカした。

 二人で話しながら弓道場を出ると、後を着いて来たであろう女子の集団の声がする。

「七瀬くん、写真撮ってもいいですか?」

 振り返ると女子が数人、スマホを構えながらキラキラした目で七瀬を見つめている。七瀬は愛想笑いを浮かべているから、きっと「はい」と答えて写真を撮らせてあげるのだろうなあ……と思った時だった。

 七瀬は俺の方をちらっと見て、次の瞬間、袖を引っ張る。

「逃げましょう」

「え?」

「走ってください」

 俺は七瀬に手を繋がれ、引っ張られながら一緒に走った。後ろで「あ、ちょっと」という声が聞こえたけど、七瀬は構わず人混みをかき分けて進んでいく。
「七瀬、ミーティングは?」と呼び止める部員の声も無視して、校庭を駆け抜ける。街路樹が生い茂る人気のない旧棟の角を曲がって、ようやく止まった。

 二人とも息が上がっていて、「はあはあ」という呼吸音だけが響いている。

「……なんで逃げるんだよ」

「先輩との時間を邪魔されたくなくて」

「それで逃げるの?」

「はい」

 女の子たちにちやほやされることに飽きているのか、全然悪びれない。本当、面白いやつだな。その時ふと気づいた……七瀬がまだ、俺の手を掴んでいることに。

「……手、もう大丈夫だから」

「あっ、ごめんなさい……痛かったですか?」

 七瀬がぱっと手を離して、一瞬だけ残念そうな表情をした気がした。その顔を見てしまって、俺はどうしようもなく、保護したくなった。しょんぼりした子犬みたいで、頭をなでてあげたくなったりして……。

 掌に残る七瀬の温かさを意識した瞬間、遅れて耳の奥が熱くなっていく。

「そんなことないよ……行くぞ」

「どこ行きますか」

「一緒に回るんだろ? あっ、でももう休憩時間終わるから戻らないと」

「じゃあ、先輩のクラスの店に行きます。クッキー食べたいので」

「さっきも食べただろ」

「もう一回食べたいです」と訴えるから一緒に戻ることに。一緒に、というのがもう自然になっている。機嫌よくにこにこしながら隣を歩いている七瀬は、さっきまで射場で圧倒的だった奴と同じ人間とは思えない。でも、こっちも本物だということを俺は知っている。

弓道着のままだと移動中に目立ちすぎるからと、七瀬はこっそり更衣室で制服に着替えてから、二人でクラスの模擬店へ向かう。

 校内の人混みの中を歩いているとき、自然と俺の前に立って、さりげなく道を開けてくれて、もう隣にいることが当たり前になってしまった。

 模擬店に戻ると、松本が駆け寄り「白石、ありがとな~ お前のおかげだ」と抱きついてきた。シアトル系カフェの売り上げが良くて喜んでいるのかもしれない。よしよしと頭をポンポンしてやる。深い意味はなく軽い感じで。

 その瞬間――。

「白石先輩」

 低い声がして、振り返ると七瀬の表情からは笑顔が消えて、弓道場で矢を放つ前の、あの獣みたいな意思の強そうな瞳をして、今にも松本を射抜きそうだった。

 松本が何かを察したのか、「俺、牛乳取りに行くんだった~」と俺からササっと離れて、バックヤードへ消えた。
 七瀬はしばらく黙っていたけど、静かに口を開いた。

「嫉妬してます」

 さらっと、少し怒ったように口を尖らせて言う。なんか、拗ねてるみたいだ。

「……まさか、やきもちとか?」

「はい。先輩が、俺以外の男に触られたりするの、凄く嫌です」

「えっ……」

 重い言葉が腹の底にズドンと落ちてきた。怒られても、責められてもいないけれど、自分の気持ちを素直に伝えてくれている――その真っ直ぐさが、俺には眩しすぎる。そんなに、思われているなんて知らなかったから。

「……俺の分のジャムって、まだ、特別ですよね?」

「……多いけど」

「じゃあ、いいです」

 よくないだろ、その態度に吹き出しそうになる。わかってたつもりだけど、七瀬の想いは本物だ。

「……明日のジャム、山盛りにしてください」

 拗ねたままの表情で言うのが、とても可愛かった。

「任せとけ。でも、笑うなよ」

「はい」と元気に答えてはにかむ。ちょっと機嫌を直してくれたようだ。

 ふいに、今日の体育館で大勢に見られている中、迷わず俺を探しだした光景が脳裏に蘇る。そして、逃げながらギュッと握られた、あの手の熱も……。

 このまま行くと、本気になって取り返しがつかなくなる。そんな不安が押し寄せてきた。
 ずっと俺を好きでいてくれるだろうか? 

 お菓子をあげるのが俺だから好きってこともあったりして……。今日、女の子たちに囲まれていた姿を思い浮かべてみる。もっとお菓子作りが得意な可愛い女の子とか現れたら、どうなるのかな? 

 選び放題なのに本当に俺でいいのかな――好きになるのが怖い。