金貨の娘

ハーフガンは席に戻って手札を持つと、
東側の席でスーがサンサに意見した。


「いまになって言っても遅いけど、
 ニクスに会談はまだ早いよね。」


わたしは無言で首を縦に振る。


「過小評価ね。」と、サンサ。


「みんなサンサみたいに
 器用には生きられないんだよ。」


「ニクスはものを知らないだけで、
 察しも要領も良くて賢いでしょ?」


今度は無言で首を横に振る。


サンサに指名されて
教育室でみんなの前に立たされたり、
メノーの話に苦労した記憶が蘇る。


「札を彫ってみて気付いたよ。

 頭の中では完成形が出来ていても、
 技術はすぐには上達しないって。

 アイリアも言ってたよ。」


「彼女はなんて?」


「技術は知識と経験で磨かれるんだって。

 絵の巧いレナタでも、
 経験がなければ壁画は作れないのと
 同じことだよね。」


サンサはわたしを見て目を細め、
またスーを見た。


「なるほど。それも良いわね。」


口角を上げて怪しく笑みを浮かべる。


「ニクスもニクスだよ。

 元はと言えばサンサが全部悪いし、
 ハーフガンが相手だから良かったけど、
 お客さんに家庭の話をしたらダメだよ。」


「わたしは悪くないでしょ。」


「俺だから良いってこともないだろ。」


二人から責められてスーは笑う。


「それならスーがなにか話をしなさい。

 詐欺師の話は前にやったわよね。」


「詐欺師ってお前のことか?」


ハーフガンのそんな指摘に、
わたしはテーブルに顔を伏せ、
下唇を噛んで笑いを堪える。


「くふっ…。」


堪えられなかった。


「ちょっとニクス、不敬の罪に問うわよ。」


「仕方がないよ。
 サンサだもんね。」


「くふふっ、詐欺師だって。サンサ。」


太腿の上で寝ていたイオスが起きて
仰向けになると、わたしの前髪に
前足を伸ばす。


「もー。なんなの。二人して。」


サンサは不満を顕わに、
アルの頭を指で何度も突いた。


深く息を吐き、わたしは貝札を並べる。


「ほら、黙って続け始めたわ。

 黙り続けるのなら、
 誰も居なくなった話でいいわよ。」


「それ、結末でしょ?
 もう…。」


スーは唇を舐めて濡らしてから、
両の唇を噛んで軽い音を立てて開いた。


「これはソーマの時代の、
 ずっと昔の言い伝え。

 船に構わず荒れ狂う海。

 波が船を倒そうと、船体は前へ後ろへ。

 船の中の輸送品は、
 慣れない海に酔い、倒れる。

 異国の奴隷達は、
 船底で転がらないように櫂に抱きつく。」


「櫂?」ハーフガンが訊ねた。


「櫂は水を掻いて
 船を進める長い棒状で――。

 (へら)の柄を長く、
 先を広くした形の道具ね。

 酔っ払いは知らないでしょ。」


「知るかよ。」吐き捨てるように言う。


「言葉遣いに品がないわね。

 海船ではそれを、数十人単位で使うの。

 川岸に衝突しないように、
 水夫が艀に使う
 ただの棒とは違うわよ。」


ネルタの湖でも、櫂を使って漕いでいる
水夫の姿を見たことがある。


水夫が何十人も必要な船は、
湖では見たことがない。


「荒れた海でも使えるものなの?」


「使えないわね。だから、
 波が横に当たって転覆しないように、
 舵をとって波の方向に船を合わせるの。

 舵というのは船の後ろ側の底にあって、
 水流を変えることで進行方向を
 調節する機構のことね。

 舵で船を操ることを操舵と呼ぶわ。
 歴史書にも登場する単語よ。

 櫂を握る奴隷は
 獲物の船に逃げられないように、
 早く近付いて襲う為の道具扱い。

 波に揺られる船に慣れていない奴隷は、
 酔っ払いも同然ね。」


「お前は海に出たことなんてないのに、
 なんでそんなに詳しいんだ。」


捓われたことに気付いていない
ハーフガンが、疑問を口にする。


「自分に関わりがなければ、
 知らなくていいなんて思ってるの?

 物事への関心。未知への好奇心。
 探究心を失えばどうなるかしら。

 お酒に溺れて病めば、
 炎を崇めるだけの愚者になるわね。

 無知は妄想に耽り、
 知識は創造を形作るのよ。」


スーはサンサの顔を見て言う。


「人間が鳥のように
 空を自由に飛べなくても、
 飛び方の原理を学んでいけば、
 いつか星にも手が届くんだって
 家庭教師の時に言ってたね。」


「昔の話をよく覚えているわね。

 『星を掴む』というのは流れ星の夢、
 欲望の比喩よ。

 そして話が逸れてるわ。」


――いまのはヴィカロスの神話の話かしら。


二人の話に耳を傾けて、
テーブルに置かれた札を見た。


札を置いたハーフガンは
顎髭を撫でて、静かに喜んでいる。


――せっかく、98を並べたのに、
  恐慌札を出されてしまったわ…。


――ヴェールした札はないから、
  回収は無いのよね?


商品(グッズ)をヴェールしていないので、
市場の札を手札に戻す必要はない。


わたしの考えを読んだスーが、
なにも言わずに頷いた。


恐慌札を並べたハーフガンは、
公開している数字の0の札、
商人札を手にする。


「さっきの話の続きね。」


スーが瞼を閉じては開き、
金の睫毛から碧色の目を覗かせる。


「一人の奴隷が風邪を患います。

 荒れる海の中で風邪は酷く長引き、
 奴隷は死んでしまいました。

 船の中には遺体を埋める土も無く、
 焼く為の薪も油も使えません。

 海の上ではお墓も作れませんでした。

 奴隷の遺体は海に投げ捨てられます。」


スーは低い声で、男の咳を真似する。


「すると、他の奴隷も風邪を患いました。

 次から次へと咳をして、
 呼吸もままならず苦しみ、
 眠ったまま起きなくなります。

 奴隷達はこれを『呪い』と言いました。

 弔われずに荒波に落とされた奴隷が、
 悪い魂となって奴隷達を苦しめ殺す
 と言うのです。」


次は低い声で笑ってみせた。


「船長は笑いました。

 異国の奴隷の言葉など、
 信じるはずもありません。

 しかし、呪いを畏れた奴隷達は騒ぎます。

 ならばと船長は奴隷達に命じました。

 呪いの禁止です。」


「なんだそれは。」と、ハーフガン。


「呪いという言葉を禁止したのよ。」


「言葉遊びで病が治るもんか。」


「その通りね。

 あなたが聞いて感じたことは
 誰も否定しないから、
 お話を妨げないことね。

 続けていいわよ。」


「咳をした者、呪いと口にした者、
 それらの奴隷を生きたまま
 荒れる海へと落とします。

 それでも風邪は船員にも広まり、
 病人は死者へと変わります。

 迷信を畏れた船員までも海に落とされ、
 船の中で命を奪い合います。

 こんな状況でも船長は笑いました。」


「なにがおかしいんだ。」


「笑わずにはいられなかったのよ。

 迷信に揺れる船は
 人間社会の縮図だもの。」


それを聞いてハーフガンも黙った。


「やがて嵐は過ぎ去って、
 海は穏やかになりました。

 船は海を漂います。

 櫂を使う奴隷も、
 奴隷を使う船員も居ません。

 甲板に残ったのはただ一人。

 船長だけでした。」


スーが低い声で、咳払いを一つした。


「ニクス、聞いてた?」


「…聞いてたよ。」


――わたしはいま、それどころではないの。


8巡目。


先手のわたしは再度、同じ98を並べた。
手札は残り3枚。


7巡目で0の札を使ってしまい、
100の雷霆で勝つ方法を失った。


――あれ、これって…。もう終わり?


10巡ルールでは手札を先に無くすか、
先手後手が10回ずつ出し終えた時点で
手札が少ない方が勝ちになる。


そこに昼と夕の星札が市場に並べられた。


わたしの手札の数は、
彼の並べた星札の課税で2枚も多くなる。


彼の手札は残り3枚になり、
課税を受けたわたしの手札は5枚。


わたしはもう、
手札を全て無くして勝てなくなった。


9巡目。
わたしが市場に貝札を置く先手番。


運行の原則を逸脱する恐慌札の前札と、
後札には夜の星札を並べる。


この2枚の札を並べることで、
小さな値が優位になる逆順に変えた。


わたしは恐慌札を並べたので、
公開している0の商人札を手札に加える。


ハーフガンは星札による課税――、
厳密には還付を受けて手札が1枚増える。


ハーフガンはスーに前もって言われた通り、
市場の商品(グッズ)にヴェールをしていない為、
彼の手札は4枚になった。


わたしの手札も残り4枚。


最後の10巡目で貝札を並べても、
わたしの手札は無くならない。


後手のハーフガンは04の貝札を並べ、
彼の手札は残り2枚になった。


値の評価は逆順のまま。


「負けね。」サンサがアルに囁く。


10巡目。


ハーフガンの並べた04よりも
小さな値の貝札を作れなければ、
わたしは包囲されて負けになる。


――01。


「これで、わたしの勝ち?」


スーがこちらを見て頷いた。


「相変わらず弱いわねぇ。」


「ヴェールが出来ねえんだから、
 手加減してやったんだよ!」


「ヴェールで回収しても、
 10巡の枚数差で負けてるわよ。

 星札も持っていなければ
 秩序化(オーダー)もできないのに、
 99だけ手元に残してどうするのよ?」


ハーフガンの手札も見ずに
サンサは彼を責める。


「ちっ!」彼の舌打ちが庭に響く。


「舌打ちは禁止だよ。」


「お前があんな話をするからだぞ。」


「負けた言い訳を並べても、
 勝ったことにはならないわよ。」


「詐欺師め…。」


悔しさを滲ませるハーフガンと、
喜び笑みを浮かべるサンサ。


わたしは長い溜め息を吐くと、
去り際のハーフガンにまた酷く睨まれた。



 ◆ 第5章 『混濁の庭』 おわり