わたしは二つの料理を食べ切った。
新しい肌着に着替えて歯磨きをして、
またベッドの上で採光窓を見た。
サンサがわたしの額に手を当てる。
成年の割に細く柔らかな左手。
「しばらく寝ていれば良くなるわね。」
「もう寝過ぎて眠れないよ。」
「薬は使わないの?」
「二皿も食べたのだから、
薬なんて必要ないわよ。
セリーニの塊茎ならあるわよ。」
「あれかぁ。」スーは自分の鼻を指で塞ぐ。
「月の女神? の、塊茎?」
セリーニは女神の名前。
サンサは棚から革袋を取り出して、
わたしの鼻先に向ける。
「痛み止めね。
昔、天蓋山の麓で採ったのよ。ほら。」
乾燥した指先ほどの白い塊から、
痛み止めと説明した効果に反して、
目を突き刺すような臭気に襲われた。
「わっ! なにっ! ぐざびっ!」
鼻を摘んでも残った臭気が喉を焼き、
湧き出す鼻水と、零れる涙に溺れかける。
イオスも異常な臭気に危機を覚え、
においから逃れようと本能のまま暴れ回る。
「ふふふっ。」
臭気に満ちたこの部屋でも、
サンサは平然と笑っている。
「オーブの媚薬の方がマシに思えるよ。」
と、スーが目を濡らして言う。
「どちらも大差ないわよ。」
スーが扉や天窓を開けて換気し、
アルが暴れるイオスの首元を噛んで、
部屋の外へと跳び出していった。
「ニクスが元気だったら、
今日は四時を教えようと
思ってたのにね。」
「四時って、これだよね。」
わたしは鼻を摘んだまま、
スーから貰った箱の札を取り出した。
ファウナの手伝いやサンサへの来客が続き、
勉強が遅れていたわたしは
メノーから渡された医学書に集中し、
札遊びをする余裕を失っていた。
手にした木の札には、
数字と記号が彫られている。
「そっちは数字の札、
こっちが星の札ね。」
「星?」
数字の書かれた札と、
記号のようなものが書かれた札の2種類。
「星札の呼び方は色々あって、
書かれてるものが文字なら文字札。
ニクスのは古代の記号だから、
記号札とも呼べるね。
太陽や星の位置を示すものは天体札。
他にも季節札、四季札、
絵札とも言ったりするかな。
地域差なんかもあるけど、
星札って言えば伝わるよ。」
わたしの星札には数字や文字はなく、
古代の記号は鏃の絵図にも見え、
先端は1枚ずつ上下左右を向く。
鏃の下側には横線が引かれている。
「横線が札の下側ね。
記号には向きがあって、
右で朝、上が昼、左が夕で、
下が夜を古代語で意味してるよ。」
「太陽の位置を描いてるから、
星札なんだね。」
鏃の下に引かれた横線は地平を示し、
星札の上下左右が判別できる。
5枚ある記号札の中には1枚だけ、
2本の斜線が交差した形が書かれている。
あるはずの横線も無い。
「これは?」
「そっちは恐慌札。
太陽の位置、天体の運行に関係なくて、
疫病や天災なんかを表す札だね。
一応、星札に関わる札だよ。」
恐慌という言葉をわたしは初めて耳にした。
「ニクスが寝付くまで、
スーがお話でもしてあげたら?」
「子供みたいに言わないでよ。」
サンサからまた子供扱いを受けて抗議する。
「なんの話がいいかな。サンサ。」
「四時に纏わる話なら、
船が無くなる話がいいわね。」
「どうしてサンサは、
すぐに結末を言うかなぁ。」
「また…。」
以前も伝道師の話なのに詐欺師と呼んで、
わたしに結末を明かしていた。
「船体が、右の頬を殴られて、
床は左へ右へと揺れ続けた。
前へと進むも、
波に船首を押し上げられて、
身体は後ろへ傾いた。」
スーがベッドの上で、
身体を揺らして語りだす。
心地の良い彼女の声が、
荒れた語調で物語の景色を語り描く。
「揺れぬ大地を離れ、そこは遠く海の上。
海水は塩の湖。
飲めばすぐに喉が焼ける。
船の上は、異なる出自の船員達、
言葉の分からぬ奴隷が働く。
ソーマはそこに居ました。」
スーが目で拍手を求めた。
わたしは毛布の中で手を叩き、
サンサは自分の膝を軽く叩いた。
「ソーマって、確かこの札のひと?」
「知らなくても分かる話よ。」
サンサの言葉にスーも頷く。
わたしはソーマという人物を知らない。
マルフとの会談で出た名前。
四時の札で使う板の代わりに、
羊皮紙を用いた技法を持つ人物らしい。
彼の名前を法則や定理で見た記憶はない。
「船上では常に奴隷が忙しく働き、
荒々しい労働歌、品のない酒宴と
喧嘩の繰り返しでした。
貴族であったソーマが求める、
華やかな娯楽は船上にはありません。
ソーマは大陸での生活を懐旧し、
海の上で紙に季節の植物を描きました。
また商人との商談を真似て、
品物の代わりに数字を書きました。
彼は決められた道具と知恵を使う、
四時という遊びを考案します。
しかし大量の札を作るには、
羊皮紙が足りません。
ソーマは甲板を剥がして切り取らせ、
小分けにして札を作ったのでした。」
「甲板って?」
「私も川船しか乗ったことないや。
何日も海に浮かぶくらい
巨大な船になると、船には屋根と、
寝るだけの部屋があるんだよ。
船の中は狭いし揺れるから、
こんなベッドはないんだって。
どうやって寝てるのか分かる?」
スーがサンサの顔を見て答えを求めた。
「甲板は屋根ではなく正しくは床材ね。
床を水平にすれば荷物が置けるし、
船体の強度を保つ役割があるのよ。
って話が逸れてるわよ。」
「でも気にならない?
どうやって寝るか、知ってる?」
「船内は揺れるから、
左右の壁に渡らせた1枚の布や、
網の上で寝るのよ。
庭の天蓋を細くした感じね。」
「楽しそう。
今度、やってみようか?」
「天蓋の上で?」
「庭のあの柱には、
フランジを支えられるほどの
強度は無いからやめなさい。
あなた達が落ちて
負傷するのは勝手だけれど、
ルービィに叱られるのはわたしよ?」
「柱の強度を高めれば良いんだね?」
「良くないわよ。」
「船の中にベッドを吊るしたところで、
揺られないわけでもないよね?」
船は、水が押し上げる力によって浮かぶ。
運動を続ける性質のある流体の上では、
風や潮汐で発生する波の影響で、
船体は常に前後左右に揺れる。
海のように広い場所では波が増幅して、
船は重力で下へ落ちたり、
波に突き上げられる。
たとえ船の重心に、
ベッドを吊るしたところで
この揺れは防げない。
「技術があれば、
揺れない船もいつかは作れるわよ。」
「それ、鉄の船の話?
寝心地はどうなんだろうね。」
「海船に乗って経験したらいいわ。
大陸はスーの行ってみたい
ところなんでしょ?」
サンサがスーを捓っている。
「旅行感覚で乗れるものでもないよね。
ニクスも聞いたことある?
民間伝承だと洞窟港の外は竜が居て、
島の人間は外洋に出られないんだよ。」
わたしはスーの話を聞き流すと、
彼女はサンサに顔を向けた。
「あれ?
サンサって海船に乗ったことあるの?」
「ふふっ。わたしの場合は、
海船の定義によるわね。」
「サンサこそ話が逸れてない?」
わたしは頭を揺らして指摘した。
「それで、なんの話だっけ?
船のベッド?」
「甲板よ。甲板。」
スーは頷き、話を続けた。
「切り取った甲板から札を作ると、
船員達に遊びが広まって、
自分だけの札を欲しがりました。
言葉の通じない奴隷達にも遊ばれ、
賭け事に興じると誰も仕事をせず、
誰も船を漕ぎません。
みんなが自分の札を欲しがったので、
材料は甲板だけでは済まず、
やがて船は帆柱さえも
無くなってしまいました。」
「え?」
話の内容に耳を疑い、
わたしは二人の顔を見た。
「当時はそのくらい夢中になったらしいよ。
賭け事を禁じた記録もあるんだよ。」
「他人が持っているものを欲しがるのは、
流行という群集の理解できない行動よね。
船が無くなったというのは
結末を誇張して伝えてるだけよ。
でなければ島に上陸できないもの。
指導者ソーマの伝説の一つね。」
「ソーマ…。」
わたしはスーが彫った札を見つめ、
四時を作ったソーマに興味が湧いた。
「ニクスも四時を覚えて、
早く一緒に遊べるといいね。」
「その前に体調を戻さないとダメよ。」
「うぅん…。でも、鼻が…。」
鼻腔を突く塊茎の臭気が部屋に残っていて、
わたしはしばらく寝付けなかった。
▶
新しい肌着に着替えて歯磨きをして、
またベッドの上で採光窓を見た。
サンサがわたしの額に手を当てる。
成年の割に細く柔らかな左手。
「しばらく寝ていれば良くなるわね。」
「もう寝過ぎて眠れないよ。」
「薬は使わないの?」
「二皿も食べたのだから、
薬なんて必要ないわよ。
セリーニの塊茎ならあるわよ。」
「あれかぁ。」スーは自分の鼻を指で塞ぐ。
「月の女神? の、塊茎?」
セリーニは女神の名前。
サンサは棚から革袋を取り出して、
わたしの鼻先に向ける。
「痛み止めね。
昔、天蓋山の麓で採ったのよ。ほら。」
乾燥した指先ほどの白い塊から、
痛み止めと説明した効果に反して、
目を突き刺すような臭気に襲われた。
「わっ! なにっ! ぐざびっ!」
鼻を摘んでも残った臭気が喉を焼き、
湧き出す鼻水と、零れる涙に溺れかける。
イオスも異常な臭気に危機を覚え、
においから逃れようと本能のまま暴れ回る。
「ふふふっ。」
臭気に満ちたこの部屋でも、
サンサは平然と笑っている。
「オーブの媚薬の方がマシに思えるよ。」
と、スーが目を濡らして言う。
「どちらも大差ないわよ。」
スーが扉や天窓を開けて換気し、
アルが暴れるイオスの首元を噛んで、
部屋の外へと跳び出していった。
「ニクスが元気だったら、
今日は四時を教えようと
思ってたのにね。」
「四時って、これだよね。」
わたしは鼻を摘んだまま、
スーから貰った箱の札を取り出した。
ファウナの手伝いやサンサへの来客が続き、
勉強が遅れていたわたしは
メノーから渡された医学書に集中し、
札遊びをする余裕を失っていた。
手にした木の札には、
数字と記号が彫られている。
「そっちは数字の札、
こっちが星の札ね。」
「星?」
数字の書かれた札と、
記号のようなものが書かれた札の2種類。
「星札の呼び方は色々あって、
書かれてるものが文字なら文字札。
ニクスのは古代の記号だから、
記号札とも呼べるね。
太陽や星の位置を示すものは天体札。
他にも季節札、四季札、
絵札とも言ったりするかな。
地域差なんかもあるけど、
星札って言えば伝わるよ。」
わたしの星札には数字や文字はなく、
古代の記号は鏃の絵図にも見え、
先端は1枚ずつ上下左右を向く。
鏃の下側には横線が引かれている。
「横線が札の下側ね。
記号には向きがあって、
右で朝、上が昼、左が夕で、
下が夜を古代語で意味してるよ。」
「太陽の位置を描いてるから、
星札なんだね。」
鏃の下に引かれた横線は地平を示し、
星札の上下左右が判別できる。
5枚ある記号札の中には1枚だけ、
2本の斜線が交差した形が書かれている。
あるはずの横線も無い。
「これは?」
「そっちは恐慌札。
太陽の位置、天体の運行に関係なくて、
疫病や天災なんかを表す札だね。
一応、星札に関わる札だよ。」
恐慌という言葉をわたしは初めて耳にした。
「ニクスが寝付くまで、
スーがお話でもしてあげたら?」
「子供みたいに言わないでよ。」
サンサからまた子供扱いを受けて抗議する。
「なんの話がいいかな。サンサ。」
「四時に纏わる話なら、
船が無くなる話がいいわね。」
「どうしてサンサは、
すぐに結末を言うかなぁ。」
「また…。」
以前も伝道師の話なのに詐欺師と呼んで、
わたしに結末を明かしていた。
「船体が、右の頬を殴られて、
床は左へ右へと揺れ続けた。
前へと進むも、
波に船首を押し上げられて、
身体は後ろへ傾いた。」
スーがベッドの上で、
身体を揺らして語りだす。
心地の良い彼女の声が、
荒れた語調で物語の景色を語り描く。
「揺れぬ大地を離れ、そこは遠く海の上。
海水は塩の湖。
飲めばすぐに喉が焼ける。
船の上は、異なる出自の船員達、
言葉の分からぬ奴隷が働く。
ソーマはそこに居ました。」
スーが目で拍手を求めた。
わたしは毛布の中で手を叩き、
サンサは自分の膝を軽く叩いた。
「ソーマって、確かこの札のひと?」
「知らなくても分かる話よ。」
サンサの言葉にスーも頷く。
わたしはソーマという人物を知らない。
マルフとの会談で出た名前。
四時の札で使う板の代わりに、
羊皮紙を用いた技法を持つ人物らしい。
彼の名前を法則や定理で見た記憶はない。
「船上では常に奴隷が忙しく働き、
荒々しい労働歌、品のない酒宴と
喧嘩の繰り返しでした。
貴族であったソーマが求める、
華やかな娯楽は船上にはありません。
ソーマは大陸での生活を懐旧し、
海の上で紙に季節の植物を描きました。
また商人との商談を真似て、
品物の代わりに数字を書きました。
彼は決められた道具と知恵を使う、
四時という遊びを考案します。
しかし大量の札を作るには、
羊皮紙が足りません。
ソーマは甲板を剥がして切り取らせ、
小分けにして札を作ったのでした。」
「甲板って?」
「私も川船しか乗ったことないや。
何日も海に浮かぶくらい
巨大な船になると、船には屋根と、
寝るだけの部屋があるんだよ。
船の中は狭いし揺れるから、
こんなベッドはないんだって。
どうやって寝てるのか分かる?」
スーがサンサの顔を見て答えを求めた。
「甲板は屋根ではなく正しくは床材ね。
床を水平にすれば荷物が置けるし、
船体の強度を保つ役割があるのよ。
って話が逸れてるわよ。」
「でも気にならない?
どうやって寝るか、知ってる?」
「船内は揺れるから、
左右の壁に渡らせた1枚の布や、
網の上で寝るのよ。
庭の天蓋を細くした感じね。」
「楽しそう。
今度、やってみようか?」
「天蓋の上で?」
「庭のあの柱には、
フランジを支えられるほどの
強度は無いからやめなさい。
あなた達が落ちて
負傷するのは勝手だけれど、
ルービィに叱られるのはわたしよ?」
「柱の強度を高めれば良いんだね?」
「良くないわよ。」
「船の中にベッドを吊るしたところで、
揺られないわけでもないよね?」
船は、水が押し上げる力によって浮かぶ。
運動を続ける性質のある流体の上では、
風や潮汐で発生する波の影響で、
船体は常に前後左右に揺れる。
海のように広い場所では波が増幅して、
船は重力で下へ落ちたり、
波に突き上げられる。
たとえ船の重心に、
ベッドを吊るしたところで
この揺れは防げない。
「技術があれば、
揺れない船もいつかは作れるわよ。」
「それ、鉄の船の話?
寝心地はどうなんだろうね。」
「海船に乗って経験したらいいわ。
大陸はスーの行ってみたい
ところなんでしょ?」
サンサがスーを捓っている。
「旅行感覚で乗れるものでもないよね。
ニクスも聞いたことある?
民間伝承だと洞窟港の外は竜が居て、
島の人間は外洋に出られないんだよ。」
わたしはスーの話を聞き流すと、
彼女はサンサに顔を向けた。
「あれ?
サンサって海船に乗ったことあるの?」
「ふふっ。わたしの場合は、
海船の定義によるわね。」
「サンサこそ話が逸れてない?」
わたしは頭を揺らして指摘した。
「それで、なんの話だっけ?
船のベッド?」
「甲板よ。甲板。」
スーは頷き、話を続けた。
「切り取った甲板から札を作ると、
船員達に遊びが広まって、
自分だけの札を欲しがりました。
言葉の通じない奴隷達にも遊ばれ、
賭け事に興じると誰も仕事をせず、
誰も船を漕ぎません。
みんなが自分の札を欲しがったので、
材料は甲板だけでは済まず、
やがて船は帆柱さえも
無くなってしまいました。」
「え?」
話の内容に耳を疑い、
わたしは二人の顔を見た。
「当時はそのくらい夢中になったらしいよ。
賭け事を禁じた記録もあるんだよ。」
「他人が持っているものを欲しがるのは、
流行という群集の理解できない行動よね。
船が無くなったというのは
結末を誇張して伝えてるだけよ。
でなければ島に上陸できないもの。
指導者ソーマの伝説の一つね。」
「ソーマ…。」
わたしはスーが彫った札を見つめ、
四時を作ったソーマに興味が湧いた。
「ニクスも四時を覚えて、
早く一緒に遊べるといいね。」
「その前に体調を戻さないとダメよ。」
「うぅん…。でも、鼻が…。」
鼻腔を突く塊茎の臭気が部屋に残っていて、
わたしはしばらく寝付けなかった。
▶


